わがおろか ~我がままな女、愚かなおっさんに苦悩する~

 あっ! とシノブの驚いた顔を見たアカイは手で口を覆った。なんだよその嫌な大声! 醜くて汚い! 違う俺は決して嫉妬なんかしていない! そんなカッコ悪いことなんかしていない。

 というかさぁシノブ、だいたい王子がすごいなんて当たり前だろ。王子なんだし。それなのにそんなに強調して……そうじゃない! おいコラ俺! 当然のことに対してなんだその態度は声は言葉は! 違うんだシノブ! 俺は王子に嫉妬なんかしていない。誤解だ! 勘違いするんじゃない、しないでください。俺は若い男に嫉妬するみっともない他のおっさんとは違うんだ!

「あっそう、ってなに? 私はいまとても大事な話をしているんだけど」
「ゴホンゴホン、ごめん。変な相槌を打ってしまって。わかってるよ、シノブはとても大事な話をしているって。うん、そうだね、王子の凄まじい魔力によって世界の平和は保たれている、それでその先は?」

 そう答えるとシノブの不機嫌そうな表情がパッと晴れた。

 なんだよそれ、と俺の心のほうは曇った。

 なんで俺が王子のことをオウム返ししただけでそんな顔になるんだ? お前は俺にそんな表情をしたことが今までで一度だってあったか? それともなにか? 王子の前だといつもそんな表情をしているというのか?

 俺はこれまでこんなに頑張ってお前のために色々と苦労してきたのに、お返しなんてロクにないじゃないか。王子だというだけでそんな喜色満面をプレゼントするのか? この俺には……俺には……君にとってなんなの?

「それでね、その王子の魔力で以って邪な力は封じ込められていたわけなのだけれども、ここでトラブルが発生したの」

 なんだ? 王子が死んだのか? あっヤバいやめろ落ち着け俺。変な期待をするな。それが妙な反応となるんだ。冷静に、クールになれ、なるんだ、俺。大人の余裕でもって若い女の子の話を受け止めるんだ。

「王子が悪い女に騙されてしまったのよ」
「よぉし!」

 俺はガッツポーズしながら席から立ち上がると、固まった。なにしてんの、お前という存在な俺。 呆れるほどのこの喜びよう。声と言葉と態度の豪華スペシャル三点セット。言い訳御無用この状況。

 まずいまずいまずいまずい……脂汗を滲ませながら視線を下に向けるとシノブの怒った顔が見えた。いつも俺に見せてくれるその表情。俺に対してはそれなんだよね、と俺は自嘲気味に鼻で笑うと今度はシノブが立ち上がった。

 威圧感からか俺は中腰になると視線が合った。すごく睨んでいる。恐いどうしよう……鬼嫁だ、婚前前だが鬼嫁が現れた……夫婦の危機だ。結婚していないのに離婚となってしまう。

「なんで喜んでんの?」

 静かで重い声が心臓に痛みを与えに来ていると俺は感じた。シノブは瞬きすらせずに睨んできている。死が、そこにある。すると口が勝手に開いて、無意識が語りだした。

「どうしたシノブ。おれはよぉしと言ったんだよ。だっておしまいまで聞くまでもないじゃないか。王子は悪い女に騙されて陥落寸前。それは世界秩序の崩壊の兆し。それを阻止するためにその悪い女をぶっ倒す! それがシノブの、いや俺の使命だ、だからよぉしやるぞ! と立ち上がったんだ。それともそういうことじゃなかったの? 俺の早合点だったとか? 悪い女は良い女なのかい? それなら今のは失態だったね」

 するとどうだろう一瞬きと共に鬼嫁の般若面は消え去り喜色満面な新妻がそこに現れ、手を握ってきた。

「そうよ! そうなのよ! つまりはそうなの!」

 何故そんなに嬉しそうなんだ? しかし、でも、超かわいいなと俺はシノブの笑顔を見ながらそう思った。俺にもっと微笑んでくれ……というよりかは俺のことで喜んで笑ってくれ。俺に関心を抱け。王子なんて捨ててしまえ!

「そっそうだよな。悪女というかその魔女を退治しないと」
「そうよそう。悪女というか魔女、それよあれは魔女なのよ」

 あっちょっと俺の言葉で笑ったなとアカイの心は温かくなる。普段は絶対に自分の軽口に笑うことなんてないのに、笑っている。なんという至福の瞬間だろうか。さっきまでは修羅であったシノブが菩薩みたいになっているとアカイは混乱と幸福を噛みしめていた。

「けどさ。今の話を本当に信じてくれるの? あれが悪い女のことを信じてくれる?」
「当たり前だろ」

 知らないものの俺は反射的に返した。軽はずみな発言でもあるが俺は特に悪いとも思わなかった。人として見るのではなく男女として考えるのならそれでいい。そもそも男にとって女とは、ほとんどみんな悪いものだ。ここで※ただしをつけるとしたら俺の嫁となる。

 基本的に愛する女以外は悪女かつ魔女といっても差し支えはあるまい。つまりは俺にとってシノブ以外の女は魔性の悪女と言っても過言ではない。というか、男は愛していない女の悪に耐えられないのであって、愛している女の悪は耐えられるといったほうが適切かもしれない。女好きに悪者が多いのは女の邪悪さを許容し過ぎてしまうからである。たくさんの女のわがままと邪悪さを全て受け入れていたら闇に堕ちざるをえない。

 そんな悪に耐えると喜びがもたらされるのだ。だから俺はシノブの邪悪さには耐えられる。怒ったり嘘ついたりこっちの尊厳を損ねても、なんとか耐えられる。様々な嬉しさがやってくるのだから。そうでなかったら我慢などできない。これを、滅ぼさなければならない。

「よかった。みんなが信じてくれないからさ」

 そう、みんな信じなくていいと俺は願う。俺だけが信じればいい。この信じる心こそが俺が彼氏となる条件。おおそうだ。たとえ世界を敵に回しても俺は味方となり君を守り通す……男だ……これこそ俺であり男になれるのだ。

「俺だけは信じていいよ」

 俺ってかっこいいなと恍惚感に浸りながら言うとシノブが失笑した。あれ? もしかして俺っていま滑った? と水を掛けられたようになったアカイに対してシノブは言った。

「話をよく聞かない癖によくそんなことが言えたもんだね」
「だから聞かなくても」
「だから聞いてよ。はい座って」

 惜しいと思いつつ手が離れ俺が座るとシノブは息を吐いた。

「話を戻すね。そう王子は魔女に騙されてしまってそいつを王妃候補者にしてしまったの。その魔女は王子の力を封印させ邪な力を解放するべく陰謀を持っていたわけ。それを知った私はその陰謀を阻止するために戦ったのだけど……一歩及ばずにやられてしまったわけ」
「そういうことだったのか!」

 俺はやっと知ることができた。