わがおろか ~我がままな女、愚かなおっさんに苦悩する~

 なんだこいつは急に態度を変えて、とシノブはアカイの態度の豹変に不気味さを感じた。あの、さっきのでよかったんだよさっきので。こっちの接待プレーに全体重で乗ってきてこちらの掌の上で転がっているようでさ。

 本当に性懲りもないよこの男。こっちはあんたの意図は全て見抜いているんだよ。こういう風にされたかったんでしょ? まったくもってどうしようもないなこいつは、と軽蔑しながら嫉妬の演技をしていたものの、いまのアカイの態度には、驚いた。なんだこいつは? わけがわからない、怖い。

 分かり難い男って嫌だな恐いな。急に妙なことを仕出かしそうだ。ちゃんと本能に従って獣みたいに分かりやすい行動をして欲しいものだ。でもこれってもう接待はしなくていいってこと? それならそれでいいが、なんだ? もしかしてこっちの態度を演技だと見抜いていたとか?

 まさかそんな。この男にそんな知性があるとは思えない。凄い馬鹿だし。でも待てよ。こいつは凄い魔力を持っているんだよな。不思議なぐらいな魔力を。これまで色々な大魔術師を見てきたけど、馬鹿はいなかったな。性格に難はありはほぼ全員だったが、ということはこいつも……よし、そこを探ってみるか




「ところでさアカイ。あの炎のことなんだけど」
「俺の炎が、なんだって?」

 いきなり出鼻を挫く変な答え方にシノブの思考は急停止する。ヤバいなこいつは。俺の炎だって。キツイな。愛の炎とか言い出してそれは君に対する想いだとか言い出したらどうしよう。告白への恐怖に悲鳴をあげたらこいつ取り乱して暴れ出しそうだし。かといって無言でやり過ごしたら肯定と受け取って何をしでかすかわからん。

 拒否でもしたら二度と炎が使えなくなるというか旅をリタイアするかもしれない。藪蛇をしちゃったな! とシノブは後悔するも振り返らずに前に行くことにした。そうだ、この先その魔術で道を切り開くのだから。

「かなり強力だね。兄さんの魔術に対抗できるとかすごいよ」
「ふぅーんそうかそうか。大したことじゃないんだがな」

 何を言っているかこの男は? とシノブは思わずにいられない。

「いやいや大したことだよ」
「へぇそうなんだ。俺にはちっともわからなかったけど」

 なんだなんだ? にやけているのになんでそんなリアクションなんだ? とシノブは混乱する。そこは俺ってすごいじゃんとか、しなよ。こっちが困惑するというか不可解な気分になるじゃん。もしかして俺の力はこんなもんじゃないとか言うつもり? それは嘘つけだしそれともなに? 年下の女の前で感情を露わにするのが恥ずかしいの?

 バレているのに隠す方が恥ずかしいと思うんだけどな。ああ分かり難いうえにめんどくさいな……あっカッコつけているだけとか? そうやってスカしていれば私が称賛の言葉を出てくるからやっている? まためんどくさいことをし始めたのかこいつは! とシノブは中年男の心の複雑さに頭を抱えそうになった。

 もっと分かりやすくやってくれ。俺ってすごいだろと素直にやれ。大したことあるけど他人からそう言われる方が楽だし嬉しいからそう言えという誘い否定はやめてくれ。なにそれ私はこれを続けないといけないの? まだ接待を続けさせるつもりなの? そうしないと荷物を持ってくれないの? そんなのは両方とも嫌だ! 私は「NO」と言える女だ!

「アカイ、ちょっと聞いて」
「あっはい。なに?」

 低い声が出ちゃったなとシノブは思うも、しかし驚くアカイの顔に向かって構わずに続けた。

「あなたの炎はすごい。認めて」
「えっ? ほっ? あっうん。そっそうだね」

 なんだその態度は? とシノブはアカイの戸惑いにイライラした。なんでそんな態度をとる。もっと素直に誇らしげな態度をとりなさいよ。どうしてここで堂々としない? めんどくさいうえに全然かっこよくもないんだけどなぁ。

 あれ? とシノブの頭に不思議な閃きがよぎった。ひょっとしてこいつは褒められ慣れをしていないとか? そしてシノブは今一度いつもは可能な限り見ないようにしているアカイの頭からつま先までを一望し、頷く。褒められるところとか、ないもんね。そりゃそうだ。

 顔も体型も良くないし頭は悪いし性格も変だし運動神経も良くないし何ごとに対しても要領も悪くってこれだとまず仕事もできない上に家もきっと貧乏なはず。挙句の果てにはもはや若くもなく無駄に歳を喰っている。これでいったいにどこでどうやったら褒められるというのだろうか? なにかあるかな?

 いや、ない。お金を使えば褒められるだろうが、それはお金が褒められているだけだ。男の友達からはおろか女の知り合い……いないだろうな、ましてや年下の女から凄いとか言われたことはないだろうな。例えればこやつが一度も恵んでもらえず飢え死に寸前で道端に座っているところ、突然年下の娘が現れておむすびをあげるとしたらこの人は喜んで食べるだろうか? いや食べないだろうな。まず戸惑い怪しみ自分は飢えてなどいないとアピールするかもしれない。または俺はそんな優しさにあやかれるほどの身分ではないのだと己を恥じる。自らの卑しさを弁えおむすびを返してしまうかもしれない。もしくは俺は良いからほら食べなよって受けた恩を返して恩を着せてくるだろう。

 かたじけないとお礼を言い食べることができないその哀れさ。人としての器が小さいから人の想いを受け止められずみんな零して台無しにしてしまう。

 人間の難しさ、男であることの困難さ。

 憐れな男だ……とシノブは哀しくなった。きっと私に執着するのもそういうことなのだろう。なんて迷惑な男だ、とシノブは今度は怒りを覚える。これまでの人生でもうちょっと真面目に異性関係に取り組んでいればよかったのにと。そうすればちっとは弁えてたであろうに。私の心理的苦労も軽減されたというのに。

 しかしそうなると私に対して協力などしてくれないという二律相反つまりはジレンマに陥ってしまう。この褒められ耐性零な男をこのまま褒め続けたらどうなるのだろうか? 間違いなく私に依存するであろう。こんなことを言ってくれるのは君だけだと。実際にそうだよきっと。この世界で一番あなたのことを見ていてその価値を認めているのは私だけだからね。私が王妃となったらいくらでも地位と名誉を授けてあげるつもりだしさ。

 そうしたらこいつを操るのは容易で、まぁ今だって楽といえば楽だが、もっとらくになるが、しかし……それは悪いことだよね。いや私が今やっていることは同じかもしれないけど、意識の違いからという面もある。アカイに協力させているのは個人の事情よりも世界の事情によるもの。決して己の欲望のためにアカイを利用しているのではない。

 まぁ多少はそういうところはあるが大義の前の小事ということでお天道様もお許しになってくださるはず。でもこれをいまの意識でやるとしたら、良心の呵責に苦しむかもしれない。私は別に悪人ではないのだ。ただちょっとだけ嘘を吐いている女なだけ。わざとは、いけない。それはアカイにも悪いし関係が変なものとなる。ここは普通にすればよい。

 決してアカイを操って自分の思い通りにしようとかいう悪事をしているのではない。結果的にそうなっているに過ぎないことであり、それは私の罪ではない。彼がそう思い自らの意思で動いている。そういうことである。だから私の心は痛まない。そんなつもりはなかったの、これで全ては丸っと収まるって寸法です。うむ。

「……俺の炎ってそんなに凄いのかな?」

 おっと、シノブの意識はアカイの弱々しい声によって呼び戻された。尊大だったり小心だったりと、とことん情緒不安定だなこの男はとシノブは溜息をつきそうになるが、漏らさない。こういう男であることを私は受け入れなければならないのだから。だからその弱気を受け止めた。

「なかなかに凄いよ。ちゃんと自分の力というものを正確に認識しないといけないと私は思うの。自分の力を過大評価したり過小評価することはどちらも誤りだし、その自己認識のズレが大きな失敗に繋がるものだからね。人は短所でしくじるものだけど長所でも大いにしくじるというものよ。敵を知り己を知れば百戦しても負けず、とソンシ―の言葉もあるしね。アカイ、自分を知ろう」
「あっああうん、わかってる」

 なんか分かっていなさそうだなとシノブはなおも不安になる。自分で自分が分かっていない状態。自分か、とシノブは自嘲する。考えてみると自分を知るとは中々に辛いことだと。例えば自分だが、こうだ。元天才忍者であるも現在は最低忍者。元王妃最終候補者であるも敵の陰謀により落選し現在は追われ者。最強から最弱なためこの正体不明な謎の中年男によって身を守られている状況。

 びっくりするぐらいの転落人生。普通の人なら絶望してしまうかもしれないよね、普通ならね。でも私は天才で最強かつ王妃となる女。これぐらいの逆境はむしろ未来のための美味しいネタよ。ちっとも諦めていないし少しだって自分に絶望してなんていない。私は再び最強の天才へと戻り王妃に返り咲くことは確定的なのだからね。

 このアカイの炎によって……その思い安心した瞬間にシノブの身体に戦慄が走った。私がこんな男の強さに安堵している? 強い男に守られたいとかいう被庇護欲を満足させている? そんな馬鹿な! 私はいままでそんな感情を抱いたことなど無かったのに。弱くなったから自分一人で生きられなくなったからこんな弱々しい感情が芽生えてしまったのか! 考えるな自分、とシノブは己に命じた。こんなものは一時の感情に過ぎないことだと。いま考えるのは私のことではなくアカイの方だ!

「ちょっと真面目に考えようよアカイ。自分をもう一度見つめ直してくれない?」