奥様は振り返った。
 その視線はひどく冷たく、怒りと蔑みが込められている。

(今、死んでっておっしゃった?)

「ここ数ヵ月、村は日照り続き。村のやつらなんとかしろってうちに押しかけてんのよ」

 確かにここ数ヵ月は、雨がほとんど降っていない。
 そのせいもあり水不足、不作、それらの影響で村のみんなは苦しんでいた。

「はい、なので、うちにある貯蓄を崩して町から食料を仕入れて……」
「そんなことできるわけないでしょ!」

 あまりの剣幕に私は肩をピクリと揺らす。
 すると、奥様は突然にやりと形のいい唇を歪ませた。

「旦那様が言ってたのを聞いたのよ。この土地の守り神である水神様に生贄を差し出せば、雨が降るんじゃないかって」
「いけにえ……?」
「ええ、そう。生贄。ぴったりだと思わない? あなたの仕事に……」

 にじり寄ってくる奥様。
 私は逃げるように後ろへと後ずさる。

 私は後ろに視線をやった。

(これ以上、下がったら……)

 その瞬間、私の体は強く後ろに押された。

「あ……」

 最後に見たのは、奥様の笑顔だった。
 ふわっとした感覚がしたと思ったら、私の視界は空いっぱいになる。
 そして、大きな衝撃と共に何も音が聞こえなくなった。

(体が重い……)

 どんどん沈んでいきながら、私は死を予感する。

(苦しい……)

 私は水の中で必死に手を伸ばす。
 けれど、どんどん暗くなっていく視界は明るくなることはなかった。

(お母様、ごめんなさい……もう私、終わりみたい。でも、私の生贄でみんなを守れるなら、それでいい……かな……)



(あれ、温かい……)

 さっきまで体の自由がきかなかったのに、なんだか軽い。
 私はゆっくりと目を開けてみる。

(お部屋……?)

 私は知らない部屋にいた。

「お布団、どうして……」

 ふかふかのお布団は私のじゃない。
 私は起き上がって周りを見渡してみる。

(和泉家じゃない……どこなんだろう……)

「起きたか」

 私一人だと思っていたところに、男性の声がした。
 声のしたほうを見ると、そこには見目麗しい人がいた。
 年は二十歳半ばくらいに見えるけど、村で見たことない人。
 それより……。

(すごく綺麗な人……)

 淡い水色の長い髪は絹のように美しい。
 冷静になって考えてみれば、同じ人間には思えない。

 私が彼に見惚れていると、その人が私に近づいてきた。

「さあ、お前をどうしようか」

 彼は私の顎をくいっとして品定めをするような瞳を向けてきた。
 その瞳は空のような、いや、深い水の色のようだった。

「お前は滝に落とされた。私への生贄として」
「私への……ってことは……あなたは!」

 私は奥様の言っていた通り、水神様の生贄となったらしい。

(そっか……じゃあ、今から私はこの人に食べられて……)

 私は彼の手から逃れると、その場で深々と頭を下げた。

「どうか、私の身で村を救うことができるのなら。どうか、どうか……」

 私は懇願した。
 目をぎゅっとつぶって祈るようにして彼の返答を待った。
 食べられるのは、死ぬのは痛いのかな。
 
 でも、いくら待っても痛みはこない。
 私はゆっくりと顔をあげてみる。

 そこには、じっと私を見つめる彼の姿があった。

「お前を食うことはしない」
「え……?」

 戸惑っていると、肩にわずかに重みを感じた。
 私はびっくりしてそちらを向くと、小さな精霊さんがそこにいるではないか。

「きゅ~!」

 突然の再会だった。

「あなた、もしかして……」

 私の問いに答えたのは、水神だった。

「お前は八つの時、その精霊を助けた」

 私の中の大事な大事な思い出。
 精霊さんとの初めての出会い、そして温かい出会いの思い出。

「よかった、元気になってたのね」
「きゅ~!」

 十年前よりも少し大きくなった精霊さんは、すりすりと私の頬に身をする寄せる。

(あの時と同じだ……)

「その精霊はまだ子どもでな。ふと目を離した隙に結界の外に出てしまった」
「結界?」
「ああ、ここは人間からは見えないように屋敷まわりに結界を張っている」
「じゃあ……」
「ああ、ここは私、水神の屋敷。人間の理とは違う世界。お前はそいつを助けてくれた。だから、助けた」

(じゃあ、私、生きてるってこと……?)

「お前のことをずっと見ていた。水神の像を毎日掃除し、私の別宅を綺麗に保ってくれていた」

(全部見ていらしたんだ……)

「お前を落としたのが誰かもわかっている。和泉家での扱いもな」
「そう、ですか……」
「だから、ここにいていい。この屋敷を好きに使え」

 それだけ言って、水神様は立ち去ろうとする。
 私は急いでもう一度頭を下げて言う。

「あ、あのっ! ありがとうございます!」

 水神様は私を一瞥すると、そのまま部屋を後にしようとした。
 その時だった、部屋に二人の少女が入ってくる。

「もうっ! 水神様ったら、早く私たちを呼んでくださいよ」
「そうです! もう準備はできているのですよ!?」

(あれ、同じお顔……?)

 二人を見比べると同じ背丈、同じ髪型をしている。
 声もそっくりで見分けがつかない。
 まるで双子のよう。

 すると、水神様がため息をついた。

「お前たちはいつも賑やかだな」
「ささっ! 殿方は早くご退出を!」

 水神様への親し気な態度に驚いていると、少女たちが私に声をかける。

「これから琴音様のお世話を担当させていただきます、桃と」
「桜でございます!」
「お世話……?」
「はい、水神様からお客人として丁重にと言付かっておりますので!」
 「客人」と聞いて私は首を勢いよく左右に振った。

「そんなっ! 私なんかがそのような待遇で、いっそお布団だけ……いえ、畳一枚いただければそれで……」
「ダーメです! そんな扱いは私たちが許しません! ね、うーちゃん!」
「きゅー!」

 うーちゃんと呼ばれて返事をしたのは、私の肩に乗っている精霊さん。

「さ、時間がありませんので、お着替えをしますよ!」
「お着替え、ですか?」
「はい、今日は琴音様の歓迎会でございます!」