作業の合間。自動販売機から戻ってきた直樹が、缶コーヒーを手渡しながら言った。
「今週で、しばらくバイト休むよ。次の公演の準備に入るから」
明日香は、缶を受け取りながらちらりと視線を上げる。
「また舞台やるんだ」
「うん。来月頭。今回は、午後五時開演。明日香さん、見に来やすいかなと思って」
「気ぃ遣ってくれたんだ」
「前は……時間のこと、ちゃんと考えなかったから」
明日香は缶のプルタブを開けて、一口飲む。
「じゃあ、行けたら行く」
直樹の顔に、少しだけ安堵の色が浮かぶ。
「チケット、次の休憩のときに渡すね」
「はいはい。ごちそうさま」
そのやりとりは、以前よりもずっと自然だった。
缶の温もりが、手のひらにゆっくりと沁みていく。
遠くで第二陣のエンジン音が聞こえてきて、ふたりは立ち上がる。
夜の仕事が、また動き始めていた。
◇◇
公演当日。明日香はアパートを出て、開場時間よりも少し早く劇場に到着した。
今回は迷うことなく、まっすぐ入口へ向かう。
チケットを手に、ホールの中に入ると、客席には思いのほか多くの観客がいた。
大学生らしい若者、年配の男性、同じ劇団員の家族らしい子どもまでいる。
明日香は静かに空席に座り、始まりを待った。
照明が落ち、舞台に光が当たる。
――物語が、始まった。
ある町に現れた霊媒師。幽霊が出るという噂を聞いて調査に訪れた。
やがて霊はその霊媒師に取り憑き、自らがなぜ殺されたのかを知りたいと訴える。
直樹の脚本には、奇抜さよりも、静かな重みがあった。
幽霊の語る真実、それがやがて町全体を巻き込む陰謀へとつながり、霊媒師は選択を迫られる。
明日香は、ただ黙って舞台を見つめ続けていた。
難しい言葉も、少し大げさな演技も、彼女には不思議とすんなり入ってきた。
終盤、霊が霊媒師の身体を離れ、町の未来を守ろうとする場面。
静かな音楽とともに照明が落ちて、舞台が暗転した。
拍手が湧き上がる。
その中で、明日香は小さく手を叩きながら、心の中でひとつだけ思った。
――わかるようで、よくわからなかった。でも……なんだか、よかった。
それで、充分だった。
◇◇
翌週の月曜日。
新聞の束を荷台に積み替えていた明日香の視界に、見慣れた顔が映った。
「おつかれさま」
直樹が「報知」のトラックの荷台から、手馴れた動きで新聞の束を差し出してきた。
「今日から戻ってきたんだ」
「そう」
明日香は新聞を受け取りながら、いつものように荷台に積み込んでいく。
「……見に来てくれた?」
「うん」
直樹が一瞬、目を見開く。
「どうだった?」
「不思議な話だった。でも……楽しめたよ」
「ほんと?」
「うん。よくわかんなかったけど、でも、なんか、すごかった」
それを聞いた直樹は、小さく息を吐き、束を渡しながら目を細めた。
「伝わったなら、嬉しい」
その言葉に、明日香は一瞬だけ顔を上げると、また手を動かし始めた。
「……仕事中だよ」
「了解」
直樹は、次の新聞の束を持ち上げた。
「今週で、しばらくバイト休むよ。次の公演の準備に入るから」
明日香は、缶を受け取りながらちらりと視線を上げる。
「また舞台やるんだ」
「うん。来月頭。今回は、午後五時開演。明日香さん、見に来やすいかなと思って」
「気ぃ遣ってくれたんだ」
「前は……時間のこと、ちゃんと考えなかったから」
明日香は缶のプルタブを開けて、一口飲む。
「じゃあ、行けたら行く」
直樹の顔に、少しだけ安堵の色が浮かぶ。
「チケット、次の休憩のときに渡すね」
「はいはい。ごちそうさま」
そのやりとりは、以前よりもずっと自然だった。
缶の温もりが、手のひらにゆっくりと沁みていく。
遠くで第二陣のエンジン音が聞こえてきて、ふたりは立ち上がる。
夜の仕事が、また動き始めていた。
◇◇
公演当日。明日香はアパートを出て、開場時間よりも少し早く劇場に到着した。
今回は迷うことなく、まっすぐ入口へ向かう。
チケットを手に、ホールの中に入ると、客席には思いのほか多くの観客がいた。
大学生らしい若者、年配の男性、同じ劇団員の家族らしい子どもまでいる。
明日香は静かに空席に座り、始まりを待った。
照明が落ち、舞台に光が当たる。
――物語が、始まった。
ある町に現れた霊媒師。幽霊が出るという噂を聞いて調査に訪れた。
やがて霊はその霊媒師に取り憑き、自らがなぜ殺されたのかを知りたいと訴える。
直樹の脚本には、奇抜さよりも、静かな重みがあった。
幽霊の語る真実、それがやがて町全体を巻き込む陰謀へとつながり、霊媒師は選択を迫られる。
明日香は、ただ黙って舞台を見つめ続けていた。
難しい言葉も、少し大げさな演技も、彼女には不思議とすんなり入ってきた。
終盤、霊が霊媒師の身体を離れ、町の未来を守ろうとする場面。
静かな音楽とともに照明が落ちて、舞台が暗転した。
拍手が湧き上がる。
その中で、明日香は小さく手を叩きながら、心の中でひとつだけ思った。
――わかるようで、よくわからなかった。でも……なんだか、よかった。
それで、充分だった。
◇◇
翌週の月曜日。
新聞の束を荷台に積み替えていた明日香の視界に、見慣れた顔が映った。
「おつかれさま」
直樹が「報知」のトラックの荷台から、手馴れた動きで新聞の束を差し出してきた。
「今日から戻ってきたんだ」
「そう」
明日香は新聞を受け取りながら、いつものように荷台に積み込んでいく。
「……見に来てくれた?」
「うん」
直樹が一瞬、目を見開く。
「どうだった?」
「不思議な話だった。でも……楽しめたよ」
「ほんと?」
「うん。よくわかんなかったけど、でも、なんか、すごかった」
それを聞いた直樹は、小さく息を吐き、束を渡しながら目を細めた。
「伝わったなら、嬉しい」
その言葉に、明日香は一瞬だけ顔を上げると、また手を動かし始めた。
「……仕事中だよ」
「了解」
直樹は、次の新聞の束を持ち上げた。



