暇な治療院

 信じられない治療院はたっくさん有る。 唖然とするのを通り越して反応できなくなる治療院もね。
「先生たちのことはちゃんと考えてますよ。」って言いながら実は考えてなかったりする人も居る。
 ほとんどはマッサージってのがどういう仕事なのか知らないんだよなあ。 だから余計に困る。
夏なんて蒸し風呂になるくらいに暑いのに休憩を挟まないで次の予定を入れてきたりする。
だからさあ「ちゃんと考えろ。」って言うと「考えてるから心配するな。」って言ってくるんだ。
 どうせやるならきちんと分かってからやってほしいよなあ。
分からないで社長面されるのはいい迷惑だよ まったく。
 でもさ何を考えたのか、免許を取りに行った社長さんも居るんだよね。 その影響で治療院の営業が3年分遅くなってしまった。
しかも既に3人の施術者が居るのに社長が免許を取ってきたから大変。 仕事が回らない。
事務屋のままで良かったんじゃないのかなあ? そのほうが営業に時間を使えたし。
 さらに困ったことに真昼間の一番暑い時間に9件も並べられた人が居て、あまりの暑さに倒れてしまった。
それを社長さんは「家で倒れたんだ。」って思い込んだから大変。 話が噛み合わない。
その人は「このまま消えたい。」って言っていた。
 今日も患者さんは来ませんねえ。 このまま終わりかなあ?
現在、午後4時。 不本意ながらそろそろ終わりにしましょうか。
 と思っていたら誰か来た。 「はいはーい。」
「すいません。 今からいいですか?」 「ああ、どうぞ。」
(ワーイ 患者さんが来たぞーーーーーーー。)
 中村芳江さん、近所の喫茶店のウェイトレスさんだねえ。 やっと来てくれたわ。
開業前に宣伝しておいたんだ。 芳江さんも腰が痛いって言ってたから。
 「腰はどうですか?」 「そうなのよ。 ずっと立ってる仕事だから痛くて、、、。」
まずは座ってもらって痛みの状態を調べましょう。 状態が分からないと確実な施術は出来ないからね。
 ほとんどのマッサージ師はいきなり寝てもらっていきなり揉み始めるから効いたかどうかも分からない。
患者さんもそれじゃあ中途半端だよなあ。 楽にはなるだろうけど、、、。
 特に腰はヘルニアだった李ぎっくりだったりするからおっかないんだよな。
その辺の違いをはっきりしてからじゃないと本当の施術は出来ない。 揉めばいいってもんでもないからさ。
 芳江さんの場合は腰椎にも異常は見られないからまずまず腰痛と考えていいだろう。
まだまだ35歳。 結婚もしてないって言ってたなあ。
「何で?」って聞いたら「面倒だから。」って言ってた。
面倒か、、、。
 面倒はぼくが見てあげますよ。 それは違うか。
けっこう、ふっくらした人なんだよね。 可愛いのに何で彼氏を捕まえないの?
「何かさあ、私より細い人がいいんだって。」 「気持ちは分かるけどそれは無いよね。」
「でしょう? だから売れ残っちゃった。」 「残り物には福が有るって言うじゃない。」
「そうよねえ。 もうちっと様子を見ようかな。」 この時、(俺でもいいんだけどなあ。)って思った。
 肩から腰へじっくりしゃっくり揉んでいきましょうか。 あっそうそう、間違えても性感帯は刺激しないでね。
トラブルの元だから。
 いつだったかなあ、ふっくらしたお姉さんを俯せて揉んでいたら「うん」だの「あん」だのって聞こえてきたことが有る。 (何だろう?)と思いながら様子を見ていたら、、、。
マッサージを終わった後で「暑い。 暑い。」って言い出した。 「どうしたの?」って聞いたら「先生が変な所を刺激するから、、、。」って笑ってた。
旦那さんもふっくらした人だから夜はさぞや激しかっただろうなあ。
 さてさて仕事が終わると白衣を脱ぎますよ。 まだまだ春だからね、うすら寒いくらい。
今年は暑くなりそうだなあ。 耐えられるかな?まあいいか。
そんなことを考えながら白衣を脱ぎ施術室を閉めて日常モードにしましょう。
 夜のお楽しみは刺身です。 真鯛とかカレーとか買ってこようかな。
んでビールを飲みながらさっきのお尻を思い出したりして、、、。 うん、変態。
 でもさあマッサージ師ってよくやるよね。 肩だと思ってお尻を揉んでたり、、、。
(この辺かな?)って思って手を置いたら背中じゃなくておっぱいの上だったり。
 足を揉んでたら笑ってこけた拍子にパンツを直撃したり、、、。
 背中を揉んでいたら「感じちゃいます。」って言われて大焦りしたり、、、。 うん、有ったなあ。
ほんとにいろんなことが有ったもんだ。 マッサージ人生30年はやっぱり長いなあ。
 でもさあ冷や冷やの連続だったよ。 ほんとにいろんなことが有った。
ホテルに出張してる時も、老健で働いてる時も。 これまでに何人会ったんだろう?
延べ人数だと相当な数になるよね。 覚えてる人も居るし忘れてる人も居る。
夢に出てくる人も居れば出てこない人も居る。
学校で実習をしていた頃に会った人たちも居る。 あの頃もいろんな人に支えてもらってたんだ。
 「私の体を使って一人前になってね。」って言ってくれた人も居る。 優しそうなおばあちゃんだった。
苗字が同じだったから孫みたいに思ったのかなあ? たぶんそうだよね。
 卒業する時にお礼の電話を掛けた。 「ありがとうございました。 この次も後輩のために来てやってくださいね。」
そしたらおばあちゃんは言った。 「行かないよ。 あなたはもう居ないんでしょう?」って言った。
その言葉には何も言えなかった。 ありがとう としさん。
 ここまで一人でやってきたんです。 クラスメートはみんな離れてしまった。
唯一、仲の良かったあいつも福島に引っ越してから完全に音信不通になってしまった。
 親友でさえこうなんだから一元さんはもっとすごいよね。 その中でも忘れられない人が居るとは思うけど。

 好きな女の子だって居たよ。 離れたけどね。
ぼくが28歳だったころ、パン屋でバイトしていたあの子は、、、、、。 ねえ文江ちゃん。
一緒に働いていたお姉さんが気を使って店を留守にするほど仲が良かったんだ。 驚いた。
農業高校に通っていた子でね、どことなく母さんに似てたんだ。 パン屋に行くといつも話し込んでたよね。
んでたまに文江ちゃんが焼いたパンも買わせてもらった。 美味しかったなあ。
 その子は1999年3月に卒業した。 同時にJR九州観光のバスガイドになった。
本当はここで告白したかった。 でも母さんと同じような苦労をさせたくなくて言わずに離れたんだ。
名刺は渡しておいたからもしかしたら電話を掛けてくれたかもしれない。 でもぼくは出なかった。
そのまま離れたんだよね。 今はどうしてるのかなあ?
 さあ今日も夜を迎えます。 ビールで乾杯しましょうか。