君のとなりで

──放課後。太陽が傾き、校舎の影が静かに地面を染めていく。

真衣は、約束の場所──中庭のベンチへと向かっていた。校舎のガラス窓に映る夕焼けは、まるで空が燃えているようだった。オレンジと赤に染まる世界のなかで、真衣の足音だけが小さく響く。

少しだけ緊張していた。

愛海に呼び出された理由はわからない。でも、あの笑顔の奥に何かがある気がして、ずっと胸の奥がざわついていた。

真衣が中庭の角を曲がったとき、その場に立ち尽くしてしまった。

目の前、ベンチのそばの植え込みの影。礼央と愛海が、向かい合っていた。そして──そのまま、愛海が礼央にそっと近づき、唇を重ねた。

礼央は驚いたように目を開いていた。その表情は確かに戸惑っていた。けれど、ほんの数秒──彼は動かなかった。拒まなかった。唇を離すまで、ただそのまま受け入れていた。

まるで、夕陽の中に閉じ込められた一枚の絵のようだった。

真衣の胸に、鈍い衝撃が走る。足元が揺れるような感覚。息が詰まる。喉の奥が熱くなる。理解が追いつかず、でも心は叫んでいた。

「……なにそれ?」

かすれた声が、自分の口から漏れた。

「どういうこと?私、あんたのこと……どれだけ信じてたと思ってるのよ!」

その声には、怒りだけじゃない。悲しみと、裏切られた苦しみと、呆然とした心のままの叫びが混ざっていた。

礼央は、愛海からさっと身を引き、真衣の存在に気づいた。驚きの表情。けれど、その視線は真衣を真正面から見つめることなく、少しだけ逸れていた。

「違う……これは、違うんだ。愛海が……急に……」

その言い訳が、真衣の心をさらに締めつけた。

「急にって……そんなの言い訳にしか聞こえない!キスされるのを止めなかった時点で、あなたにもその気があるってことでしょ?……私、バカみたいじゃない!」

言葉に乗せて、感情が溢れ出した。いつの間にか目に涙がにじんでいるのがわかった。だけど、それを拭う余裕なんてなかった。

礼央は、一瞬だけ眉をひそめた。沈黙のあと、低く言葉を落とす。

「責めるなよ。俺たち……付き合ってないだろ。」

その一言が、致命的だった。

真衣は息を呑んだまま動けなかった。目の前が揺れるような感覚。手が震え、心が冷えていく。

ゆっくりと、でも確かに唇が動いた。

「……最低。パパとママが生きてたら……あんたになんか、出会わなかったのに。」

自分でも驚くほど冷たい声だった。だけど、それが今の本音だった。どうしようもないほど、傷ついていた。

礼央の顔がぴくりと歪む。その目に浮かんだのは、怒りではなく──深い痛みだった。

「……それ、本気で言ってるのか。」

真衣はうなずいた。涙が頬を伝って落ちていく。でも目は、逸らさずに彼を見ていた。

「言ってるよ。本気で。だって、あんなの……ひどすぎるよ……」

沈黙のあと、礼央が言葉を吐き出す。

「──お前は何も知らないくせに。勝手に全部決めつけて、人の気持ち踏みにじるな。」

その声は静かだったけれど、どこかで傷ついた動物が呻くような、痛みを隠しきれない響きを含んでいた。

でも──

真衣はもう、何をどう受け止めればいいのかわからなかった。彼の気持ちを聞くよりも、ただ、あのキスの光景が頭から離れない。

「……じゃあ、何を知ればよかったの?あなたが他の女の子とキスしてるのを、ただ黙って見てればよかったの?」

自分でもどうしてそんなに冷静に言えるのか、わからなかった。心の中は、ぐちゃぐちゃなのに。

礼央は何も返さない。ただ、真衣をじっと見ていた。その表情は硬く、どこかで何かを押し殺しているようだった。

風が吹く。木々の枝が揺れ、落ち葉が一枚、真衣の足元に落ちた。

真衣は目を伏せ、小さく息を吐いた。

「もういい……こんなの、もうどうでもいいから。」

それだけ言うと、ゆっくりと背を向けた。

礼央のことばを待たなかった。期待するのが怖かった。もう、これ以上傷つきたくなかった。

足音だけが、夕暮れの中に遠ざかっていく。肩が小さく震えている。けれど、真衣は振り返らなかった。

礼央は、その後ろ姿を黙って見つめていた。まるで、その場に立ち尽くすことしかできないかのように──。

中庭には、夕陽の光が静かに広がっていた。風が過ぎ、空はさらに赤く染まっていく。

誰の心にも届かないまま、ひとつの恋が──深く、静かに裂けていった。