君のとなりで

テーブルには香ばしく焼き上げられたローストチキンと、湯気を立てる野菜たっぷりのスープが並んでいた。部屋の空気は温かく、けれどその奥底に、微かなざわめきが潜んでいるようだった。

茉里がスプーンを置き、柔らかな口調で話しかける。

「今日はふたりで随分ゆっくりしてたみたいね?」

真衣は頬をほんのり赤らめ、控えめに笑ってうなずいた。

「うん。海まで散歩してて……夕陽がすごくきれいだった。」

茉里は優しく目を細めながら、向かいに座る礼央に視線を向ける。

「そう。ふたりともリフレッシュできたならよかったわ。礼央、ちゃんと付き添ってくれてありがとうね」

礼央はナイフとフォークを持ったまま、軽く首をすくめる。

「別に。たいしたことしてない。」

その言葉に、乃亜が小さく鼻を鳴らした。どこか皮肉げな音だった。

「へぇ……たいしたことしてない割に、帰ってきたときめちゃくちゃ機嫌よかったけど?」

礼央は一瞬だけ眉をぴくりと動かし、乃亜のほうに視線を向ける。真衣がその間に入りそうに顔を上げた。

「乃亜……?」

乃亜はさらりと肩をすくめ、わざと無邪気な口調で続ける。

「いや、なんかさ。礼央って、いつからそんなに優しかったっけ?前はもうちょっとツンツンしてたよな。」

礼央は静かにフォークを置き、乃亜に向き直る。その目には、ほんの少しだけ苛立ちの色が混じっていた。

「なんだよ、それ。別に普通だろ。」

「うん、まあ。そうかもな。ただ、真衣といると急にいい人になるの、なんか意外でさ。」

「ふたりとも、食事中よ?」

茉里の声がやわらかくも鋭く、ふたりのあいだに静かに落ちた。だが、乃亜の表情は変わらない。

「いや、別に責めてるわけじゃないよ。ただ、ちょっと違和感あるってだけ。」

礼央の声が少し低くなる。

「……お前、今日は何が言いたいんだよ。」

乃亜は椅子の背にもたれながら、わずかに口の端を上げた。

「いや、本当に。ただちょっと、兄さんらしくないなって思っただけ。」

真衣はふたりを交互に見つめ、戸惑ったように声を上げる。

「乃亜、そんな言い方しなくても……」

その声に、乃亜の肩がわずかに揺れる。視線をそらし、言葉を飲み込むようにしながら、やがてぽつりとつぶやいた。

「……ごめん。俺の勘ぐりかもな。」

礼央は乃亜をまっすぐに見据えたまま、抑えた声で言った。

「だったら、余計なこと言うなよ。」

その瞬間、乃亜の表情から余裕が消えた。彼は黙って立ち上がり、椅子を少し乱暴に引いた。

「……ちょっと、外の空気吸ってくる。」

真衣はすぐに心配そうに体を乗り出す。

「乃亜……!」

けれど乃亜は振り返らず、リビングのドアを静かに閉めた。その音だけが、しんとした食卓に響いた。

真衣はしばらくじっとドアの方を見ていた。やがて、ポツリとつぶやくように言った。

「……なんか、乃亜、無理してる感じがして……」

茉里は静かに頷き、落ち着いた声で真衣に応える。

「ええ。だから、今はひとりにしてあげましょう。」

真衣は小さくうなずいたが、その目には拭えない不安が宿っていた。