君のとなりで

そして、ふたり並んで砂浜に腰を下ろす。

目の前では、夕陽がじわりと水平線に沈みかけていた。空は茜色に染まり、その中に金色が柔らかく溶け込んでいる。波の音だけが静かに、絶え間なく耳に届いていた。

真衣は、その美しい景色を見つめたまま、小さくつぶやくように言った。

「……真衣。」

「うん?」

隣から聞こえた声に真衣が振り向くと、礼央が穏やかな表情で海を見つめていた。

「今日、なんか……嬉しかった。こうやって、一日一緒に過ごせて。」

少し驚いたように、真衣は礼央の横顔を見た。

「礼央がそういうこと言うの、珍しいね。」

「そうかもな。でもさ、真衣が来てから……なんていうか、家の空気が変わったんだ。前よりずっと、あったかくなった気がする。」

真衣の胸の奥がふっと温かくなる。その気持ちが、波音と一緒にゆっくりと胸の中に広がっていく。

「……私も。最初は、不安しかなかったけど。今は、こうして誰かと過ごせる時間があるのが、嬉しい。」

海を見つめながら真衣が言うと、風が静かにふたりの間をすり抜けていった。

やがて、ぽつりと、彼女は言った。

「……たまに思うの。」

「ん?」

礼央が真衣のほうを見た。

「この海をね、ママとパパと一緒に見れたらなって。」

礼央は何も言わずに、彼女の横顔を見た。

「ママ、きっと写真いっぱい撮ってたと思う。パパは……アイス買ってくるとか言って、勝手にどっか行っちゃうんだろうな。」

真衣が笑った。その笑顔には、懐かしさと少しの切なさが混じっていた。

礼央は視線を落としながら、ぽつりとつぶやいた。

「……そっか。いい家族だったんだな、」

そして少しだけ考えてから、低く穏やかな声で言った。

「……真衣の話、また聞かせてよ。気が向いたらでいいからさ。」

真衣は一瞬、目を見開いたあと、そっと頷いた。

「……うん。」

風がひとつ吹いて、ふたりの髪を揺らす。

心の奥にあった小さな隙間が、少しだけあたたかいもので満たされていくようだった。

そしてふと、礼央がぽつりと呟いた。

「……父さんが浮気してた頃さ、母さん、毎晩のように泣いてたんだ。」

真衣はその横顔をそっと見つめる。

「何も言わずに泣いてる母さんを見て、俺……どうしていいか分かんなかった。助けたくても何もできなくて……ただ傍にいることしかできなかった。」

礼央はゆっくりと、言葉を確かめるように続けた。

「乃亜には言ってない。あいつには、明るいままでいてほしかったし……あの頃のこと、背負わせたくなかったから。」

真衣は黙って聞いていた。波の音が静かに寄せては返す。

礼央は空を見上げ、ゆっくり息を吐く。

「だから今、こうして誰かが笑ってるだけで、ちょっと安心すんだ。……お前がいるってだけで、な。」

真衣の胸が、きゅっと鳴った気がした。

そっと横を向いて、彼の横顔を見る。

潮風に髪が揺れていて、夕陽の光が頬をやさしく照らしていた。

真衣は何も言わず、そっと空を見上げる。

波の音が、夕暮れの空気にとけるようにやさしく響いている。

ほんの少し肌寒くなってきた風に、真衣のワンピースの裾がふわりと揺れる。

礼央が、ふと横目で真衣を見る。

夕陽の残光が頬に差して、玲奈に借りたワンピースがどこか特別に見えた。

「……それさ。」

「ん?」

真衣が振り向くと、礼央は視線をそらしたまま、ちょっとだけ咳払いをする。

「……今日の服。なんか、似合ってる。……っていうか、可愛い。」

「えっ……」

真衣の目が丸くなる。

でも礼央はもう真衣を見ていなくて、海のほうを向いたまま、どこか落ち着きなく足元の砂をつま先でいじっていた。

「別に、特に意味はないけど。言っとこうかなってだけ。」

その声は少しだけ低くて、どこか照れ隠しの色が混じっていた。

真衣は驚いたように目を瞬かせてから、ふっと笑った。

「……ありがとう。今日の服、気合い入れたんだ。礼央と出かけるから。」

礼央の肩がぴくっと動いた気がした。

礼央は照れたように視線を逸らし、立ち上がった。ズボンについた砂をぱんぱんとはたきながら、海のほうを一度見てから、背を向ける。

「……もう帰るぞ。冷えてきたし。」

「待って、私も帰るー!」

真衣は小走りで礼央を追いかける。ふたりの笑い声が、夕暮れの浜辺にそっと溶けていった。

長く伸びた影が、並んで揺れている。
その距離は、もう少しで、重なりそうだった。