カフェのガラス戸を押すと、控えめなベルの音がやさしく店内に響いた。

そこは、こじんまりとしたローカルなカフェだった。
ウッド調のカウンターに、丸みを帯びた小さなテーブル。壁には古びたサーフボードや、モノクロの海辺の写真が飾られていて、斜めに差し込む朝の陽光が、空間全体をあたたかく包んでいた。

「ここのカフェ、俺も乃亜も好きで子どもの頃から来てる。」

礼央が言いながら、窓際の席を指さす。
その笑顔は、どこか懐かしさを含んでいた。

「へぇ……そんなに前からなんだ。なんか、落ち着くね。こういう雰囲気。」

真衣は店内を見渡しながら言った。
木の香りとコーヒーの匂いが混じり合って、心がふっとほどけていくようだった。

「だろ? コーヒーもいいけど、マフィンが絶品なんだ。特にチョコチップ。」

「じゃあ……今日はそれにしてみようかな。」

真衣がメニューを閉じて微笑むと、礼央も嬉しそうに頷いた。

コーヒーとマフィンを注文し、ふたりは並んで窓辺の席へ。
ガラス越しに見える通りは、のんびりとした土曜の朝を映していた。犬を連れた老夫婦、手をつないだ若いカップル、サングラスをかけたランナーが風のように通りすぎていく。

マフィンを分け合いながら、ふたりは自然と笑い合った。
学校の話。茉里おばさんの昔話。そして、最近観た映画の話。

私が笑うたび、礼央の横顔がふっとやわらかくなる。その表情を見ているだけで、私の胸の奥がじんわりとあたたかくなった。

カフェを出たあと、ふたりは街をぶらぶらと歩いた。
海沿いには小さなアートギャラリーや雑貨店が並び、どの店も個性にあふれていた。ショーウィンドウを覗き込んでは、あれこれと好き勝手な感想を言い合う。

「このサーフボード、絶対乗れない自信ある」

「逆に、どれなら乗れるの? ピンクのやつ?」

「……それ。言おうとしたのに、先に言わないでくれる?」

真衣が肩をすくめながら笑うと、礼央も吹き出した。

午後の陽射しが、少しずつ金色に変わっていく。
風は優しく、潮の香りが頬を撫でた。ふたりの歩幅はぴったりと合っていて、言葉がなくても心地よい沈黙が流れる。

やがて、夕陽が空を染めはじめたころ——
ふたりは海岸へと向かう木製の階段をゆっくりと降り、砂浜へと足を踏み入れた。

潮騒の音と、少しひんやりとした砂の感触。
空はオレンジとピンクに染まり、水平線の向こうへと陽が静かに沈んでいく。

この時間が、もう少しだけ続いてくれたら。
そんな想いが、ふたりの胸に、そっと灯っていた。