「今日は偶然だったけど……またちゃんと、連絡してちょうだいね」
「うん……わかった」
一ノ瀬くんは短く答える。
その声は、いつもより少し低くて、どこか押し殺しているようだった。
「それじゃあ、失礼するわ。ひよりさんも、暑いから気をつけてね」
一ノ瀬くんのお母さんはそう言って、足音を立てずに去っていった。
わたしたちの間に、しばらく言葉が落ちてこなかった。
彼が静かに歩き出す。
わたしも、数歩遅れてそれに続いた。
数分後、一ノ瀬くんがぽつりと口を開いた。
「……ごめん、びっくりしたよな」
その言葉に、わたしは首を横に振った。
「……ううん。びっくりは、したけど……」
その先を、うまく言葉にできなかった。
わたしは、さっきの真澄の表情を思い出していた。
完璧で、優雅で、隙がなくて。
でも、その完璧さが、一ノ瀬くんを縛っているようにも感じられた。



