「え……」
「いや、無理にじゃないけど……また、今度さ」
そう言って彼女は照れたように笑い、わたしの反応を待たずに手を振って出ていった。
——私と話そうとしてくれた……。
その背中を見送りながら、胸の奥にほんのりとあたたかさが広がっていくのを感じた。
そして、ふと気づく。
誰もいないと思っていた教室の隅に、ずっとこちらを見ている人がいたのだ。
──一ノ瀬くん。
岸本さんと話していた間、彼は静かに、でも確かにそこにいた。
——……待っててくれた?
その気づきに、わたしの心がふわりと揺れた。
「佐倉さん、残ってたんだ」
声に振り返ると、一ノ瀬くんが教室の入り口に立っていた。
制服のシャツの袖をまくり、少し汗ばんだ額を手でぬぐっている。
「……うん。なんとなく」
自分の返事が自然だったことに、少しだけ驚いた。



