母を亡くしてから、わたしは叔母の家に引き取られて暮らしている。
叔母も叔父も、いとこの美帆も、悪い人ではない。
それなのに、わたしはいつも“静かにしなければ”と気を張ってしまう。
リビングで流れるテレビの音や、食器の重なる音すら、どこか居心地が悪く感じるのだ。
だから、気づけばいつも“出てきてしまう”。
この教室だけが、誰にも気を遣わずにいられる、自分だけの場所だった。
ペン先がノートをなぞる音だけが、教室の静けさを満たしていった。
──ガラッ。
不意に、ドアが開く音がした。
自然と体がぴくりと反応し、ペン先が止まる。
顔を上げると、そこに立っていたのは一ノ瀬くん──一ノ瀬遥だった。
その姿を見た瞬間、空気の温度がほんの少しだけ変わったような気がした。
光の中に自然と溶け込むような存在感。
肩からかけた鞄をゆるく持ち、乱れのない髪。
誰にでも好かれそうな、優しい雰囲気をまとう男子。
それがクラスで一番の人気者一ノ瀬くんの姿だ。



