過保護な医者に心ごと救われて 〜夜を彷徨った私の鼓動が、あなたで満ちていく〜

「手術でも――そうだな、保険使って、高額療養費制度もあれば……実質、十数万ってところだろ。」

神崎は数字を淡々と口にした。
専門職らしい落ち着いた言い方だった。

「そんな、大きな額じゃない。」

雪乃は微かに、目を細めた。

――そんな大きな額じゃない?

言葉の意味はわかる。
数字としては、現実的な金額だ。
制度も知っている。高校のとき、自分なりに調べたこともあった。

けれど――その“十数万”を、ぽんと出せる日常なんて、自分には一度もなかった。

「……そうですね。」

小さく微笑んで返す。
でもその笑顔は、苦味を含んだ砂糖菓子のようだった。

“そんなに大きな額じゃない”。
そう言える生活を、送ってこられた人の言葉だ。
毎月の電気代に怯え、金を持って逃げようとして殴られ、夜の街に立ってまで得たお金を、父親に奪われた――そんな世界では、“十数万”はまるで天井のない空のように遠い。

「大丈夫、簡単に治る」

「たいしたことないよ」

過去にも何度も、そういう“まともな人間の言葉”を浴びてきた。
正論だ。優しさでもある。
でもそれは、遠い世界の音にしか聞こえなかった。

「……それでも、私には、すぐに払える額じゃなかったんです。」

それだけ、ぽつりと呟く。
あとはもう何も言わなかった。

神崎は、しばらく雪乃を見つめた。
軽く言ったつもりはない。
でも彼女の言葉の奥には、長い時間をかけて積もった“諦め”があった。

その沈黙の重さに、何も言えなくなったのは、神崎の方だった。