雪乃が台所に向かっていったとき、神崎はそっと目線を外していた。
あの場で彼女に気を張らせたくなかったし、少しでも気持ちを落ち着けてほしかった。

静かな水音が聞こえた数秒後。
空気が、ピンと張りつめる。

――むせる音。

反射的に立ち上がった。
苦しそうに咳き込む音、そして水を口に含んだまま耐えている気配。

すぐにキッチンへ駆け寄り、身体を横から包むように支える。

「水、吐き出して。全部。」

誤嚥する――。
このまま意識が遠のけば、水が気道に入り、窒息しかねない。
医師としての判断は瞬時だった。

雪乃がようやく口の中の水を吐き出すと、肩が大きく上下する。
咽せたせいだけじゃない。
胸元をぎゅっと掴んだその手の震えが、異常な動悸を物語っていた。

「……っ、やっぱり……」

ゆっくりと崩れるように床に座り込む雪乃の背を、神崎は後ろから抱き留めるようにして支えた。

「わかる? 雪乃さん。」

意識を確かめるように声をかける。
彼女の目は開いていたが、焦点は虚ろで、明確な反応がない。

それでも話しかけながら、そっと身体を引き上げる。
足元を確認しながら慎重にベッドへと運び、その体を横向きに寝かせた。
仰向けにすれば、嘔吐した場合に気道を塞ぐ危険がある。
気道を確保しつつ、彼女の体温と呼吸を確認する。

「大丈夫。落ち着いて。ここにいます。」

言葉をかけながら、彼女の額にかかった髪をそっとかきあげた。
苦しそうに息を吐く彼女の横顔が、なぜかやけに脆く見えて――

胸の奥が、少しだけ、痛んだ。