雪乃は、ふと自分の喉がひどく乾いていることに気づいた。
緊張と苦しさが少し落ち着いた今、ようやく体の声が聞こえてきた気がした。

「ちょっと……水、飲んでもいいですか?」

その問いに、神崎はすぐに頷いた。

「もちろんです。」

そう言って一度立ち上がる彼の背を見ながら、雪乃はそろそろとキッチンに向かう。
何かしなければという気持ちだけが先走り、思わず口からこぼれた。

「お茶も出さずに……すみません……」

我ながら、こんな時に何を言っているんだろうと思った。
でも神崎は、ふっと微笑みながら、

「お気遣いなく。」

そうやさしく返した。
その言葉にまた、心が少しだけふわりと温かくなる。

雪乃は自分のコップを取り、水を注ぎ、唇をそっと当てた。
冷たい感触が舌先を通り過ぎた瞬間――

心臓が、ドクン、と大きく跳ねた。

瞬間、胸の奥から不穏な衝撃が突き上げてきた。
まるで、冷たい水に反応するように心臓が荒々しく揺れ動き、脈が飛ぶ。
手の中のコップが震える。
呼吸が引っかかり、喉の奥がぎゅっと閉じる。

「っ……く、苦しい……」

水が気管に入ったのか、咳が止まらない。
それでも反射的に、こぼさないよう水を口に含んだまま、耐える。

――でも、もう無理。

手すり代わりにキッチンのカウンターに手をつき、体を預けたその時。

横から、包み込むような手が伸びてくる。
柔らかくも力強く、揺れる体をそっと支えた。

「水、吐き出して。全部。」

低く静かな声が、すぐそばで響いた。
神崎だった。

背中に手が当てられ、その感触に安心したのか、雪乃はもう耐えきれずに、口に含んでいた水をこぼした。

「ゲホッ、ゲホゲホッ……ッ」

止まらない咳と涙、痙攣する喉。
苦しさで何も見えなくなりながら、それでも神崎の手は決して離れなかった。

そばにあった綺麗に畳まれたタオルを、神崎は迷いなく手に取り、雪乃の口元にそっと当てる。
優しく、確かに。

そして、崩れるようにして床に座り込んだ雪乃。
意識が遠のく寸前、ただ一つだけ感じていたのは――

温かな手のひらと、やわらかい声だった。