昼のピークを過ぎ、ようやく店内にひと息つける時間が訪れた。
鉄板の熱気もおさまり、揚げ物の香ばしい匂いが、ほのかに残るだけになっている。

店の奥で、おじいさんが出汁をとっている音が小さく聞こえるなか、雪乃はカウンターを拭いていた。
すると、手ぬぐいで汗をぬぐいながら厨房からおばあさんが顔を出し、にっこりと笑いかけてきた。

「雪乃ちゃん、ほんと助かるわよ。若い子は長続きしないか、スマホばっかりで……。でもあんたは違う」

「え……そんな、私なんかまだまだです」
雪乃は思わず照れくさそうに笑い、手元の動きを止めた。

「そんなことないわよ。動きは早いし、気も利くし。お客さんにも好かれてるじゃない。
朝の常連さんだって、あんたの顔見て“今日は元気が出る”って言ってたのよ」

「……ほんとに、そう言ってました?」
雪乃は、不思議な気持ちで顔を上げた。

こんなふうに、誰かに“いてくれて助かる”って言われることが、
どれだけ久しぶりだったか。
夜の世界では、“稼げるかどうか”だけがすべてで、
人として見られているような気がしないことも多かった。

でもここでは、違う。
自分が動くことで、誰かが助かって、誰かの役に立っている。
そんな実感が、静かに、でも確かに胸を温めていく。

「頼りにしてるわよ。ほんとに」

「……ありがとうございます」

小さく頭を下げたその声は、どこか震えていた。
それが感情のせいなのか、胸の奥の病気のせいなのか──自分でもよくわからなかった。

でも今は、それでいいと思えた。
少しずつ、ちゃんと歩いている。
治療に向けて、自分の人生を自分の手で変えていくんだ。

雪乃は再び布巾を手に取り、丁寧にカウンターの端を拭いた。
胸の奥に、小さな希望が灯っていた。