食事を終えたあとの食器はすでに片付けられ、二人はリビングのソファに並んで座っていた。

夏の夜は静かで、窓の外からは微かな蝉の声と風の音だけが届く。
カーテンの隙間から差し込む街灯の明かりが、柔らかく部屋の輪郭を縁取っていた。

雪乃は、大雅の肩にもたれかかるように身体を預けながら、ぽつりと呟いた。

「……ねえ、大雅さん。今日、夜勤明けだったんでしょ?
寝てないよね……大丈夫?」

「ん……」
大雅は瞼を半分閉じたまま、雪乃の髪に唇を落とす。

「昨夜は救急も落ち着いてたから、仮眠はとれたよ。……でも、やっぱり眠い。もう限界かも」
言葉の後半には、ふっと笑い混じりの力が抜けたトーンが滲んでいた。

雪乃が「ベッド行こうよ」と声をかけて起き上がろうとしたそのとき、大雅が彼女の手首をそっと取って引き止めた。

「……寝かしつけて」
その声は、子どものように甘えていて、普段の冷静な彼からは想像もつかないほど柔らかい。

「……え? 大雅さんが……?」

思わず目を瞬かせた雪乃に、大雅は目を閉じたまま、微かに頷く。
「うん。雪乃がそばにいてくれたら、安心して眠れるから……」

そのひと言に、雪乃の胸がじんわりと温かくなる。
どんなに強く見える人でも、誰かに甘えたい瞬間がある。
その「誰か」に自分がなれていることが、何よりうれしかった。

「……仕方ないなあ。今日は私が、大雅さんのお世話係だね」
雪乃は、そっと彼の髪を撫でながら微笑む。

「うん……お願い……」
もうまどろみの淵にいる彼は、雪乃の膝を枕にするようにして、静かに身体を預けた。

雪乃はそっと、彼の頭を包むように両手で撫でる。
額からこめかみへ、髪の生え際を優しくなぞるたびに、大雅の表情が緩んでいく。
眉間の皺が少しずつほどけて、呼吸もゆっくりと深くなっていった。

「疲れたんだね……頑張ってきたんだね」
雪乃は、小さな声でそうささやきながら、そっと彼の額にキスを落とす。

「おやすみ、大雅さん。今日もありがとう。……いっぱい、がんばってくれて」

手のひらを静かに動かし続けるたびに、大雅の寝息が少しずつ安定していく。
まるで、深い水の底へ沈んでいくような、穏やかな静けさが部屋を包みこんだ。

雪乃はその様子を見守りながら、時折そっと髪を撫でたり、耳元で「大丈夫だよ」と囁いたりしながら、静かに寄り添い続ける。

どこかから蝉の声がかすかに届き、窓の外の風がカーテンを揺らす。

──今だけは、私があなたを守る側でいたい。
そのぬくもりを胸に抱きながら、雪乃はそっと目を細めた。

まるで時間が止まったかのような、やさしい夜だった。