翌朝の病室。
まだ午前八時前だというのに、窓の外にはすでに強い陽射しが差し込んでいた。

ベージュのカーテン越しに透ける光が、白い壁にゆらめきを落とし、どこか幻想的に空間を包み込んでいる。

空調の効いた室内はひんやりとしていたが、雪乃の額にはうっすらと汗が浮かんでいた。
緊張からか、それとも季節のせいか――けれどその指先は、毛布の端をしっかりと握っていた。

「ノックしてますよー」

扉が開いて、滝川が軽やかに姿を現す。
白衣の袖をまくり、片手にはカルテ、もう片手で病室の空気をあおぎながら言った。

「夏の手術ってのも、なかなか風情があるねぇ。朝っぱらから外はもう灼熱地獄。ここが天国に思えるくらい」

「……例えが怖いんですけど」

雪乃の小さなツッコミに、滝川は「冗談冗談」と笑って手をひらひらと振る。

続いて入ってきたのは神崎だった。
すでに手術の準備を終えているのか、濃紺のスクラブ姿のまま、額の髪をわずかに濡らしている。

いつもより表情は硬く、目の奥には抑えきれない緊張が滲んでいた。
だが、雪乃の顔を見た瞬間、ふっとやわらかくなる。

「……おはよう」

「おはよう、ございます」

短く言葉を交わすと、神崎は迷うことなくベッドのそばに腰を下ろし、雪乃の手を包み込む。

「昨夜、眠れた?」

「……少しだけ。でも、平気」

「そう」

その短いやりとりだけで、ふたりの間に流れる想いが見える。
滝川が一歩引いた位置で見守る中、神崎は、ほんの一瞬、ためらったように雪乃の目を見つめ――そのまま、彼女の身体を抱きしめた。

呼吸が重なるほど近く、優しく、でも離さない強さで。

「こわいの、隠さなくていい。俺が全部、受け止める」

その声は小さく、けれど深く胸に染み入るような響きだった。

雪乃は驚きつつも、そっと神崎の背に手を回す。

「……ありがとう」

その一言に込めたすべてを、神崎は黙って感じ取ったように、さらに強く抱きしめた。

「おーいおーい、俺、ここにいるんですけど」

滝川がやや芝居がかった口調で茶々を入れる。

「このまま病室でプロポーズでも始まったら、さすがに俺、退室するからね?」

神崎は微動だにせず、淡々と答えた。

「そうなったら退室してください」

「……真顔で言うな、真顔で」

滝川が肩をすくめると、雪乃が堪えきれずに笑い声をもらした。
空気が少しだけ和らいだ瞬間だった。

「さてと、時間だ」

滝川が腕時計を見て告げると、看護師がそっと病室の奥から現れ、車椅子を押してくる。

神崎は立ち上がり、最後に雪乃の顔をまっすぐ見つめた。

「行っておいで。絶対、戻ってきて」

「うん。……行ってきます」

夏の光がカーテン越しにきらめく中、雪乃は看護師に付き添われて病室をあとにした。
その背中に、神崎と滝川はただ静かに目を向けていた。

一歩ずつ進んでいくその先に――
生きるための、確かな希望が待っていることを信じて。