ICUのナースステーションから出ると、朝の光が廊下を淡く照らしていた。
神崎がカルテを片手に医局へ戻ると、白衣を羽織った滝川が、ちょうどエレベーターから降りてくるところだった。

「……おはよう。って、また徹夜?」

「早朝の急変です。心不全の患者が心房細動に切り替わって。DCかけて、今は落ち着いてます」

「……ほんとタフだな、お前」
滝川は呆れたように言いながらも、医局への歩みを合わせてくる。

「で、彼女のことだけど」

神崎は足を止め、廊下の端の窓際で滝川と向き合った。

「そろそろ、CV外科にコンサル入れてもいいか?」
滝川の声が低くなる。
「オペ、本当に行けそう?」

神崎は一瞬だけ目を伏せ、カルテを握る手に力を込めた。

「はい。今夏中にはオペを受けさせたいと思っています」

「そうか」

「退院後は体力の戻りも順調です。食事も取れているし、生活リズムも安定してきた。情緒面も、僕の家にいることでかなり落ち着いてると思います」
言葉の端に、ごくわずかな迷いが滲んだが、すぐに振り払うように視線を上げる。

「本人とも手術について話しています。あの子なりに……怖さもあるとは思います。でも、逃げてない」

滝川は頷きながらも、その鋭い目を逸らさない。

「神崎、おまえが彼女にとって大きな支えになってるのはわかる。ただ、そのぶん……手術に踏み切るのが、“お前のため”になってないかは、ちゃんと見ておけ」

「……ええ」
神崎は静かに応じる。

「だからこそ、主治医は交代させましたし、彼女の本音を医師としてではなく、傍でちゃんと見守っていくつもりです」

「……了解。じゃあ、俺の方からCVに話つけとくよ。術式はパッチ閉鎖か?」

「はい。心室中隔欠損のサイズからいって、パッチ法で問題ないと考えています。感染リスクの制御もできてきてるので、タイミングとしては今夏が最適かと」

滝川は顎に手を当て、少し考え込んだあと、ふっと笑った。

「ほんと、いつの間にか”自分の患者”以上になってたな」

「……すみません」

「いや、いいんだよ。あの子が、ちゃんと笑えてるならな」

その言葉に、神崎はわずかに表情を緩めた。

──この夏が、雪乃にとって大きな転機になる。

神崎は改めてその覚悟を胸に刻んだ。