もう一度、そっと体を横たえるように促すと、神崎は雪乃をブランケットでやさしく包み込んだ。

「少し、休んで」
彼の声は、先ほどよりも少しだけ低くて、けれど、どこまでも優しい。
「俺はリビングにいるから。呼んで」

雪乃が小さく頷くと、神崎は名残惜しそうに視線を落とし、それから部屋を後にした。

ドアが静かに閉まる音。
そして、ほんの数秒後には、静寂が部屋を包み込んだ。

雪乃は天井を見上げたまま、しばらく瞬きさえ忘れていた。

さっきまで、夢のようだった。
まるで映画のワンシーンを切り取ったみたいに、綺麗で、温かくて、儚い。

「好きだよ」
神崎の声が耳の奥で、まだくすぶっている。

それを思い出すだけで、胸がぎゅっとなる。
信じられないような、でも確かに聞いた言葉。

こんなふうに、誰かと心を通わせることができる日が来るなんて。
こんなふうに、ちゃんと「好き」って伝えられる日が、自分にも訪れるなんて。
ほんの少し前まで、そんな未来なんて想像もできなかった。

痛みと孤独に支配されていた日々。
自分の存在に意味なんてあるのかと、何度も問いかけた日々。

でも今――この胸の奥には、確かにあたたかなものが灯っている。

神崎先生がくれたもの。
それは薬でも手術でもない、“希望”という名の処方箋だった。

涙は出ない。
けれど心が、ふわっと軽くなっていた。

「……幸せ、だな」
ぽつりとこぼれた声に、自分自身が少し驚いた。

誰のためでもない、ただ自分の気持ちを確かめるように出た言葉だった。

まぶたを閉じると、神崎の手の温もりが蘇る。
あの静かなキスも、そっと撫でられた髪も。

こんなふうに、守られていいんだ――そう思えた。
ほんの少しだけ、息が深くなっていく。

静けさの中で、雪乃はゆっくりと眠りの淵に沈んでいった。
微笑みを浮かべたまま、穏やかな夢に包まれるように。