「……好きだよ、雪乃」

その言葉が静かに部屋に降り立ったあと、しばらくの間、ふたりのあいだには何も言葉がなかった。
けれど、心と心は、確かに寄り添っていた。

雪乃のまつ毛がふるえ、小さく瞬きをする。
言葉にできない感情が、その瞳にゆっくりと満ちていくのがわかった。

神崎はそっとベッドの縁に手をかけ、雪乃の体をやさしく起こした。
まるで抱きしめる理由を探すように、でもためらいなく。
そして、そのまま彼女を胸の中に包み込む。

雪乃の体は、小さく、柔らかく、そして確かにそこに在った。
心臓の鼓動が近くで響く。
自分のものか、彼女のものか、もうわからなかった。

「……ありがとう、雪乃」
神崎は低く、息を含んだ声で言った。
「こんなふうに想ってくれて。俺なんかに……」

「“なんか”じゃないよ」
雪乃の声が、小さく神崎の胸に染み込むように返ってきた。
「私が、好きになった人なんだもん」

その言葉に、神崎は堪えきれず、そっと雪乃の額に唇を寄せた。
一度だけ。
触れるか触れないかほどの軽さで。
けれど、それだけでは足りなくて――彼は再び、彼女の頬を包み、今度は唇を重ねた。

深くはない。
けれど、どこまでも静かで、どこまでも長く、やさしいキスだった。
壊れものに触れるような、でも決して手放したくないという想いが、そのすべてに込められていた。

唇を離したあとも、彼の手はそっと雪乃の髪に添えられたまま。
そして、ゆっくりと指を滑らせるように撫でる。

「……ちゃんと休めたら、また一緒に歩こう」
「もう、ひとりで背負わせないから」

その声には、決意と慈しみが同居していた。
雪乃は何も言わず、ただ、神崎の胸の中に顔をうずめた。

その小さな背を、神崎はそっと、強くもなく、弱すぎもせず――ちょうどいい温度で抱きしめ続けた。
まるで、これからの日々が、穏やかに始まることを信じるように。