過保護な医者に心ごと救われて 〜夜を彷徨った私の鼓動が、あなたで満ちていく〜

タクシーの中は静かだった。
夏の空の下、冷房の効いた車内はどこか異空間のように感じられた。

車は徐々に、都内の住宅街へと入っていく。
見慣れたはずの街並みが、どこか遠くの景色のようにぼんやりと映る。
雪乃は窓の外に視線を落としたまま、小さく息を吐いた。

「大丈夫?」
隣に座る神崎の声が、やさしく響いた。

「……はい。たぶん」

そう言ったものの、胸の奥には確かな緊張があった。
背中にあの日の痛みが、じわりとよみがえるような気がした。

もうあのときのようなことは起きないとわかっていても、
家という場所が“安全”ではなかったという記憶は、身体の奥深くに染み込んでいる。

そんな雪乃の手を、神崎がそっと握った。
それだけで、胸の奥にあった不安が、少しだけほどけていく気がした。

「手、冷たい」
そうつぶやいた神崎は、握った手をほんの少し強く、包み込むように握り直す。

「……もう少しで着く。焦らなくていいし、玄関で嫌だったらすぐ引き返してもいい」

「……そんな、わがまま」

「いいよ。わがままで。そういう約束で送ってきてるんだから」

雪乃は神崎の横顔を見つめた。
その表情はいつものように穏やかで、けれどどこか強く、何があっても支えるという意志がにじんでいた。

——この人が隣にいる、それだけで、ちゃんと呼吸ができる。

車がゆっくりと角を曲がり、見慣れたアパートの前に差しかかる。
小さなため息をひとつ落としたあと、雪乃は小さく頷いた。

「……うん、大丈夫。帰ってみる」

神崎は何も言わず、もう一度、彼女の手をぎゅっと握った。

タクシーが静かに停まり、夏の蝉の声が遠くから聞こえてきた。