雪乃の病室。
ノックの音に雪乃が「どうぞ」と返すと、岸本が優しい顔で入ってきた。

「こんにちは、岸本です。覚えてるかな?」

「……はい。お久しぶりです」

雪乃はすぐに気づいた。かつて、入院初期に見舞いに来てくれた女性ソーシャルワーカー。
気さくで明るい印象の人だった。

岸本はベッド脇の椅子に腰を下ろし、手帳を膝の上に乗せた。

「今日は、神崎先生から少しお話を伺って、改めて確認させてほしいことがあって来ました。……大丈夫? 話すの、つらくない?」

雪乃は一度、小さく息を吐いた。
そして、頷いた。

「……大丈夫です。先生からも、話していいって言われました」

岸本は、手帳は開かずに、彼女の言葉をじっと待つ。
話しやすいように、肩の力を抜きながら、ただ“聞く姿勢”でいた。

雪乃は神崎に語った内容を、少しずつ、丁寧に伝えた。
父が酒に酔い、もみ合いになり、階段から落ちたこと。
昔から言葉の暴力があったこと。
自分がずっとそれを“家族の問題”としてしまっていたこと。

岸本は、途中で一度だけ頷いた。

「ありがとう。話してくれて」

そして、手帳を開きながら優しく言った。

「今、あなたの言葉をもとに、病院としてもできることを考えています。これは、医療的な問題だけじゃない。あなたの安全と、これからの生活のために、警察への通報も視野に入れた対応を進めたいと考えています。……どう思う?」

雪乃は少し戸惑った表情を見せたが、すぐにうなずいた。

「……お願いします。今までずっと、自分を守るっていうことがわからなかった。でも……もう、誰かの怒りに怯えて生きたくないんです」

岸本は表情を引き締めながら、そっとペンを走らせた。

「わかりました。あなたの言葉が、あなた自身を守ってくれます。しっかりサポートするからね」

その声に、雪乃はほんの少しだけ、肩の力を抜いた。

部屋の外でその様子を見守っていた神崎は、岸本と目が合うと、深くうなずき返す。