タクシーは、雪乃の住むマンションの前に静かに停まった。
メーターの数字を見て、少しためらったが、封筒からぴったりの金額を出して支払い、深呼吸をひとつして車を降りた。
エントランスの暗証番号は変わっていなかった。
階段を上りながら、何度もスマホを握り直す。
病院への緊急連絡用にと用意した番号が、画面に固定されている。
「ただの確認だけ。様子を見るだけ」
そう自分に言い聞かせるように呟いて、部屋のドアの前に立つ。
ドアノブを握った瞬間、重さの違いで“内側に誰かがいる”ことがわかった。
ゆっくりと開けると、リビングのカーテンが閉めきられ、薄暗い室内にうっすらと人の気配。
廊下を進みながらリビングの電気をつけると、ソファに座っていた父親が振り向いた。
「なんだ、お前か。ずいぶん時間かかったな」
雪乃の心臓が跳ね上がる。
「……ここ、私の部屋だよ。お父さんのじゃない」
「どっちだっていいだろ。空いてたから入っただけだ。誰も困ってねぇ」
「出てって。すぐに」
震える声で言った瞬間、父親の表情が一変した。
「なんだその目は。……母親にそっくりだな。見ててムカつくんだよ」
「お母さんは、必死で働いてた。お父さんより、ずっと一生懸命だった」
「……お前も俺を責めるのかよ」
「もう責めない。だから、二度とここに来ないで。お願い」
父親はフッと鼻で笑った。
「母親はお前を捨てたんだよ。だから俺が面倒見てやろうと……」
「面倒なんて見られた覚えない!!」
叫んでしまった。次の瞬間、父親が立ち上がり、雪乃の腕を掴む。
「お前、ほんっと母親そっくりだな。気に食わねぇんだよ……!」
もみ合いになり、雪乃は父親の体を押し出そうと必死に抵抗する。
けれど、父親の力は強く、抵抗の拍子にバランスを崩し――
「きゃっ……!」
背中を棚に強く打ちつけ、鈍い音が響いた。
動けない。
脇腹に焼けるような痛みが走る。
呼吸が浅くなる。
そんな雪乃を見下ろしながら、父親は笑っていた。
「懐かしいな、お前が逃げようとした時のこと……」
言葉が耳に入らない。
高校生の頃、手首に包帯を巻いたあの日の記憶がフラッシュバックする。
「お前が死んだって誰も気づかねぇんだよ。俺と同じでな」
「……違う。私は、先生が……神崎先生が気づいてくれた」
叫ぶように言って、残った力を振り絞って父親の胸を押し返す。
廊下を引きずるようにして玄関まで押し出し、外階段まで出たところで――
「離してってば!!」
父親に手すりへと押しやられ、体勢を崩した。
ぐらりと視界が傾く。
三段下――足が踏み外された。
背中に鈍く、衝撃が走った。
息が詰まり、胸が苦しい。
一瞬、意識が遠のくような感覚の中で、父親の声が聞こえた。
「チッ……いってーな」
そのまま、父親は階段を降り、背を向けて去っていった。
メーターの数字を見て、少しためらったが、封筒からぴったりの金額を出して支払い、深呼吸をひとつして車を降りた。
エントランスの暗証番号は変わっていなかった。
階段を上りながら、何度もスマホを握り直す。
病院への緊急連絡用にと用意した番号が、画面に固定されている。
「ただの確認だけ。様子を見るだけ」
そう自分に言い聞かせるように呟いて、部屋のドアの前に立つ。
ドアノブを握った瞬間、重さの違いで“内側に誰かがいる”ことがわかった。
ゆっくりと開けると、リビングのカーテンが閉めきられ、薄暗い室内にうっすらと人の気配。
廊下を進みながらリビングの電気をつけると、ソファに座っていた父親が振り向いた。
「なんだ、お前か。ずいぶん時間かかったな」
雪乃の心臓が跳ね上がる。
「……ここ、私の部屋だよ。お父さんのじゃない」
「どっちだっていいだろ。空いてたから入っただけだ。誰も困ってねぇ」
「出てって。すぐに」
震える声で言った瞬間、父親の表情が一変した。
「なんだその目は。……母親にそっくりだな。見ててムカつくんだよ」
「お母さんは、必死で働いてた。お父さんより、ずっと一生懸命だった」
「……お前も俺を責めるのかよ」
「もう責めない。だから、二度とここに来ないで。お願い」
父親はフッと鼻で笑った。
「母親はお前を捨てたんだよ。だから俺が面倒見てやろうと……」
「面倒なんて見られた覚えない!!」
叫んでしまった。次の瞬間、父親が立ち上がり、雪乃の腕を掴む。
「お前、ほんっと母親そっくりだな。気に食わねぇんだよ……!」
もみ合いになり、雪乃は父親の体を押し出そうと必死に抵抗する。
けれど、父親の力は強く、抵抗の拍子にバランスを崩し――
「きゃっ……!」
背中を棚に強く打ちつけ、鈍い音が響いた。
動けない。
脇腹に焼けるような痛みが走る。
呼吸が浅くなる。
そんな雪乃を見下ろしながら、父親は笑っていた。
「懐かしいな、お前が逃げようとした時のこと……」
言葉が耳に入らない。
高校生の頃、手首に包帯を巻いたあの日の記憶がフラッシュバックする。
「お前が死んだって誰も気づかねぇんだよ。俺と同じでな」
「……違う。私は、先生が……神崎先生が気づいてくれた」
叫ぶように言って、残った力を振り絞って父親の胸を押し返す。
廊下を引きずるようにして玄関まで押し出し、外階段まで出たところで――
「離してってば!!」
父親に手すりへと押しやられ、体勢を崩した。
ぐらりと視界が傾く。
三段下――足が踏み外された。
背中に鈍く、衝撃が走った。
息が詰まり、胸が苦しい。
一瞬、意識が遠のくような感覚の中で、父親の声が聞こえた。
「チッ……いってーな」
そのまま、父親は階段を降り、背を向けて去っていった。



