過保護な医者に心ごと救われて 〜夜を彷徨った私の鼓動が、あなたで満ちていく〜

夜。
ナースステーションで「少し話をしてくる」と一言添えたあと、神崎は静かに雪乃の病室へ向かった。

コンコン、とノックの音がして、雪乃が「どうぞ」と答えると、スクラブ姿のままの神崎が入ってくる。

昼間と変わらない雰囲気に見えて、その目だけはどこか真剣だった。

「起きてた?」

「はい。……待ってました」

にこりと笑った雪乃の声に、神崎は少しだけ口元を緩める。

けれどその後、ベッドサイドの椅子に腰を下ろした彼は、穏やかながらもどこか緊張を含んだ表情に戻った。

「今日は、ちょっと真面目な話をしたくて来たんだ」

雪乃が瞬きを一つする。
神崎は一拍おいて、ゆっくりと話し始めた。

「保険証のことは、岸本さんがかなり頑張ってくれてたみたいだね。高額療養費の申請も間に合いそうだって聞いた。……でも、それでも、自己負担がゼロになるわけじゃない」

「……はい」

「それに、食事代とか、日用品とか、いわゆる“保険が効かない部分”は、全部自己負担だ。……そういう支払いも、しばらくは俺に負担させてほしい」

雪乃は目を見開いた。

「え……でも、それって……」

「もちろん、勝手にって言ってるわけじゃない。ちゃんとお願いしてる。俺の希望だ」

雪乃は、言葉を失いながらも、ただ神崎を見つめた。

神崎は続ける。

「本当は、保険の適用だけで済ませられれば一番いい。でも、今の状態を根本的に治すには――やっぱり、外科的な治療が必要だと思ってる」

「外科……?」

「そう。内科的な治療だけでは、どうしても限界がある。
今の感染性心内膜炎の症状を抑えられたとしても、心室中隔欠損がある限り、再発リスクは常にある。
それに、長く炎症が続けば、他の臓器や血管にまで影響が出る可能性もある」

雪乃は息を呑んだ。
自分の身体に、そんな“爆弾”のようなものが残されていたとは。

「手術はリスクもある。
でも、若いうちのほうが、身体への負担も小さい。
……だから俺は、いずれそのタイミングが来たとき、迷わず勧めたい。そのときにお金の問題で選択肢を狭めたくないんだ」

神崎の視線はまっすぐだった。
そこには、医師としての責任だけでなく、もっと個人的で、切実な想いが宿っていた。

「……なんでそこまでしてくれるんですか」

ぽつりと雪乃が問いかけると、神崎は一瞬黙ってから、ゆっくり答えた。

「……俺にとって、君の命は、それだけの価値があるから。
それに……これは医者としての直感だけど、雪乃は“助ける意味がある”人間だと思ってる。
ちゃんと生きて、これからの人生、取り返していける人だって思ってるから」

雪乃の目に、じわりと涙がにじむ。

神崎は、ふっと口調をやわらげて言った。

「……難しい話して、ごめん。少し気持ちが落ち着いたら、またゆっくりでいい。全部を今すぐ受け止めてなんて言わないから」

そっと手を差し伸べると、雪乃は迷うことなく、その手を握った。

神崎の手は温かく、しっかりとした感触がそこにあった。
それは、病院という冷たい空間の中で、確かに“自分のために差し伸べられた”温もりだった。

「……ありがとう」

「うん」

それだけを交わしたあと、神崎は雪乃の手を軽く包んだまま、もう一つの手でそっと彼女の前髪を撫でた。

「今日も、ちゃんと休もうな。身体と、心の回復は、どっちも必要だから」

その言葉は、どこまでも優しかった。
まるで彼自身が、雪乃の弱った心を、そっと抱きしめるように。