過保護な医者に心ごと救われて 〜夜を彷徨った私の鼓動が、あなたで満ちていく〜

夕方、食事前の静かな病室に、扉をノックする音が響いた。

「失礼しまーす」

入ってきたのは、見慣れたスクラブ姿の——でも、神崎ではなかった。

「あら、神崎先生じゃなくてがっかりって顔した〜?」

からかうような口調で笑ったのは滝川先生だった。少し茶目っ気のある表情で、タブレットを小脇に抱えて入ってくる。

「えっ、そんなつもりじゃ……」

思わず言いかけて、雪乃は気恥ずかしそうに視線を逸らした。否定するほど、本当の気持ちが透けてしまう気がして。

「神崎先生、朝はいたと思ったんですけど……お休みですか?」

「うん、僕が帰らせた」

タブレットをベッドサイドの台に置きながら、滝川はさらりと言った。

「あいつ、ほっといたらずーっと病院にいるんだもん。勤怠管理どうなってんの、って話だよね」

明るく言いながら、苦笑する滝川先生。

——やっぱり、神崎先生……相当、無理してたんだな。

朝、いつも通りの顔で現れた神崎の姿がふと脳裏に浮かぶ。雪乃は思わず、胸の奥がきゅっとなるのを感じた。

「で、僕はね、神崎先生にきつく言いつけられてるんですよ」

滝川はそう言って、雪乃に向き直る。

「“僕がいないときは、絶対滝川先生が行ってくださいよ”って。責任重大さ〜」

どこか冗談めかしながらも、神崎の気遣いを引き継いでいることが伝わる。滝川はタブレットに目を落としながら、柔らかい声で言った。

「抗生剤も順調ですね。血圧、体温も安定してる」

「……よかったです」

「じゃ、聴診だけさせてもらおうかな」

聴診器を耳にかけながら、穏やかに近づいてくる滝川。

診察の手際も丁寧で、どこか温かみがある。

以前、当直で診てくれた若い医師——確か溝口という名前だった——とは違い、ちゃんと“患者自身”を見てくれている感覚。

——やっぱり、神崎先生の指導係だっただけあるな。
雪乃はそんな風に思いながら、診察を受けていた。

滝川は胸元に聴診器を当てながら、「呼吸、楽にして」と言い、静かに耳を傾けていた。

「……うん、全体的に落ち着いてるね。その調子」

にっこり笑って、親指を立てて見せる。

「大丈夫、ちゃんと治ってきてるから。安心していいよ」

その言葉に、ふっと心が軽くなる。こんな小さな仕草や言葉一つでも、医者の人柄って滲み出るんだな、と改めて思った。

滝川は椅子から立ち上がると、少し腰を伸ばして笑いながら言った。

「今日も一日、大人しくお願いしますね〜」

「……っ」

それって……神崎先生が言ったんだ。

神崎は何でもかんでも話してるわけじゃないと思っていたけど、自分の様子まで伝えてくれていると知って、どこか胸が温かくなる。

——あの人なりに、気にかけてくれてるんだ。
それが分かっただけでも、ちょっと嬉しかった。

「そういえば、明日朝イチで一般採血入ってたよね?」
そう言いながら滝川は看護師に確認し、頷き合うと軽く手を振って退室していった。

静かになった病室に、滝川の残した柔らかな空気だけが、ふんわりと漂っていた。