過保護な医者に心ごと救われて 〜夜を彷徨った私の鼓動が、あなたで満ちていく〜

病室には、もう外の光は届いていなかった。
カーテンの隙間から覗く窓の向こうには、街の灯りが点々と瞬いている。

天井の照明は落とされ、間接照明だけが仄かに雪乃の横顔を照らしていた。
点滴の音が規則的に響くなか、神崎は静かに椅子に腰掛けていた。

ふたりの間にはしばらく会話がなかったが、それが不思議と居心地悪いものには思えなかった。
病室という限られた空間で、時間だけが静かに流れていく。

「……先生って、いつ寝てるんですか?」

唐突に雪乃が問いかけた。
神崎は少しだけ驚いたように顔を上げ、それから苦笑する。

「寝てるよ。ちゃんと、当直の日以外は。でも……最近は少し寝不足かも」

「やっぱり」

「顔に出てた?」

「ちょっと、だけ」

雪乃がかすかに微笑む。
その表情は、どこか安心したようにも見えた。

「……私、こうして話すの、なんだか久しぶりです。誰かと、普通に」

「普通に、って?」

「病気の話じゃなくて。ただの会話。そういうの、ずっと避けてたから」

神崎は、雪乃の言葉を遮らず、ただ聞いていた。

「お店でも、家でも、ずっと誰かの顔色を見て生きてきたから……。気づいたら、ほんとの自分で話せる相手、いなくなってて」

「……」

「でも先生とは、なんか……ちゃんと話していいんだなって、思えるんです」

その言葉に、神崎の視線が優しく柔らいだ。
彼は、カルテもタブレットも開かず、ただ、雪乃だけを見ていた。

「話してくれて、ありがとう。そう思ってもらえたなら、少しでも力になれてるのかなって、思える」

「……力、どころじゃないです。先生がいなかったら、今、たぶん私——」

そこまで言いかけて、雪乃は口をつぐんだ。

「……ごめんなさい。なんか、夜って、変に感情的になりますよね」

「うん。夜って、そういう時間だから」

神崎の言葉に、雪乃はふっと笑った。
その笑いは、張り詰めた糸が少しほどけるような、静かな音を立てていた。

「もうちょっとだけ、そばにいてもらっていいですか」

「もちろん」

それ以上、何も言わずに、神崎はそのまま椅子の背にもたれた。
時計の針の音さえも聞こえそうな静寂の中で、雪乃は目を閉じた。

少しだけ、息が楽になった気がした。
今日の痛みや不安も、こうして誰かがいてくれるだけで、ほんの少し和らぐのだと知った。

目を閉じたまま、雪乃は小さく、囁くように呟いた。

「……先生、明日も来てくれますか」

「来るよ。何があっても」

その返事は、確かに雪乃の胸に届いた。

何も保証なんてない日々の中で、それはたしかな約束だった。

そして雪乃は、ほんのわずかに、神崎の存在を「頼ってもいいもの」として心に刻み始めていた。