その後も、鹿波は何かの店の近くを通るたびに、「ここは?」と聞いてくる。そして僕はその度、「受けてない」と答える。鹿波の言うことはよくわかる。でも、アルバイトの面接なんて落ちない、それも立て続けに落ちることなんかまずないと思っていた中、あれだけ落ちたものだから、もう僕には、この国に需要がないんだと、ダメなやつなんだとレッテルを貼られたみたいで、そんな中、新しいバイト先を探すことなんか、とてもできなかった。おそらく、世間で働き口がない人も、同じ経験をしているのかもしれない。しかし、Fランクの大学生の就活は聞けば、200社以上受けても、内定をもらえない人もいるらしい。もちろん、正社員とバイトじゃ選考方法から定員から違うのだろうが、それでも僕の中ではトラウマだった。
逆の立場だったら、僕も同じことを言ったと思う。同じ立場にならないと、結局、わからないこともある。
だからと言って、僕は鹿波には反論しなかった。反論する気力すらなかったのも一つだが、言われてみればやっぱりそうなのであって、人間、死ぬところまでいけば、なりふり構わず生に執着したくなるし、するべきなのだと思う。僕の世代は、ゆとり世代初期であって、小学2、3年生くらいまでは、隔週で土曜日も午前中だけではあるが、授業があった。そのゆとり世代が中学、高校、大学となると、大人からは、根性がないだとか、打たれ弱いだの、散々バカにされたし、今みたいに、世代の価値観を理解し合おうという風潮もなかった。大人が押し付けたものを子どもが背負い、それに対して苦言を呈す。自分たちの失敗を、さも子どものせいであるように、責任転換する。まあ、その点に至っては、今の、我々ゆとり世代も、風潮は違えど、なんだかんだ同じことをやっているのだから、結局、どの世代になっても、変わらないのだろう。
「それより、これからどこに行くんだ?」
「今日はマック、明日はドトール、その次は……」
「ちょ、ちょっと待って」と僕は眼科前の道で立ち止まった。
「明日も、その次もなのか?」
「それは、あなた次第ね」



