ホリー・ゴライトリーのような女





そうは言ったが、僕はあのフェレットは幸せではなかったと思っている。生まれてたった1年で、幸せということがどういうことかもわからないまま死んだのだ。他のフェレットと出会うことなく、鹿波のエゴでタバコの煙が舞うあのアパートに、フェレットはいた。鹿波のことだから、ご飯を与えるのも、水を替えるのも、忘れがちになっていたんじゃないだろうか。急に、実家に預けられ、環境の変化にストレスを感じて、寿命を縮めてしまったんじゃないだろうか。考えれば考えるほど、ますます幸せだったとは思えない。


フェレットが死んだと言う割には、鹿波は生き生きして見えた。無理にそう取り繕っているだけかもしれないが、それにしては、清々しく、僕は鹿波のスキップをこの日、初めて見た。実家に預けるくらいだから、とっくに愛情なんかなくて、「とうとう死んだか」くらいにしか思っていなかったのかもしれない。僕は、そんな鹿波が恐ろしく感じた。動物の死に無関心な人間は、神に近い存在で、周り全てのものを見下ろして在る。力を持てば、たちまち支配力を強め、周りはひれ伏し、祈るしかない。そういう世界を作ってしまう存在に、ああ、成り下がった。元々、そういう人間だったのかもしれないけれど、少なくとも僕の中で、鹿波の株が大きく下がる出来事だったから、忘れない。


アパートに着くと、鹿波は「買い忘れたものがある」と言って、自転車に乗り換え、出て行った。鹿波は、打ち上げの最中、シャンディガフやレッドアイを飲んでいたはずだから、これは飲酒運転になる。アパートの近くにはスナックが2件ほどあって、土曜日になると店先には自転車が並ぶ。あの自転車の数だけ、飲酒運転があるのだ。この頃、自転車が加害者になる事故も起きていたと思う。でも、今ほどはあまり問題視されていなかったのも事実だ。とにかく、この件で僕の中の鹿波の株は更に落ちた。やはりこれも忘れない。