夏休みに入ってすぐに、清原は「一度実家に帰ります」と言って、部屋を空けた。
1DKのアパートは手狭に感じていたけれど、こうして一人になってみると、なるほど。なかなかいい感じにフィットする。普段、目につかないようなところを掃除して、換気扇の下で吸うタバコの紫煙の行方を目で追う。6月の今までに経験したことがないほどのじめじめとした梅雨の間、密かに育んでいた風呂カビのことを想い、夏の蒸すような暑さの中で、憂鬱な気持ちになった。
冷蔵庫から取り出した缶ビールを1本、一口で飲み干して自分に気合いを入れる。負けるな、ここにあり。頬を2度、パンパンと叩いて、右の太腿を「やってやるか!」と言わんばかりに1度、叩く。すっかり入ってしまったスイッチを、切らさないよう注意しながら、ふとカビを擦る。100均で集めた掃除道具たちをオーケストラ指揮者のように、的確な指示を与えながらカンタービレ。生命力を存分に発揮して来る風呂カビ。負けるな、ここにあり。負けるな、ここにあり。
モーツァルトの「未完成」のクオリティーで、風呂掃除を終え、ベッドに横になった。ピローからは清原の残した匂いが、ノスタルジアを思わせる。僕にとっての当たり前が、たったこれだけのことで植え付けられてしまったし、たったこれだけのことで依存してしまっている。恋愛のように、小説のように。
インターホンが鳴った。大家さんがリンゴを3つ、持ってきてくれた。
「いつもの彼女と一緒に食べて」
と言って、渡されたリンゴ3つ入ったビニール袋を、僕はそのまま冷蔵庫に入れ、換気扇の下でタバコを吸って、またベッドに横になった。確か、部屋を借りる際、不動産屋の人が言っていた。「黙って誰かと住むとか、そういうのはやめてくださいね」と。僕はその言葉を今でも鮮明に覚えていて、行く先々で変に意識してしまって、これは不動産屋さんの言う「黙って誰かと住む」に該当しないだろうか。疑われてはいないだろうかと不安になる。社会のルールを犯すようなことは今まで散々やってきたし、この頃だって未成年でタバコもお酒もやっていた。そこはまったく気にならないのに、こういうところでは変に厳しく、過剰なほど気にしてしまう。そういう僕のまま、僕は大人になっていた。



