1話 運命の出会い?
〇裁判所10階1002法廷・14:25(五月の連休明け)
『裁判所』の石看板。裁判所法廷内。
裁判長「主文、被告人を懲役1年6ヶ月に処する。この裁判が確定した日から3年間その刑の執行を猶予する——」
裁判が終わり、時計を確認する葵。
葵(えーっと、次の裁判が14:30からだから……うわっ、あと五分しかない!)
慌てて法廷を出ようとして、扉の持ち手に手を掛けた瞬間、外からぐいっと引かれ、入ってこようとしていた人と正面衝突。
葵「ご、ごめんなさい」
駿「いや、こっちこそ」
謝罪のために下げた頭を上げ、ぶつかった相手に気付く葵。
葵「え……冴木くん?」
知らない女「誰? 駿の知ってる人?」
駿の腕に絡みついていた女(ミニスカで露出多めな格好)がムッとした表情で駿を見上げる。
葵(こんなとこに女連れって……)
駿「ああ、たしか松葉ゼミの」※ちょっと考え込んだ様子で
葵「香月です」
さらりとした明るい髪で高身長の、いかもにチャラそうなイケメンの駿(オーバーサイズの白Tに黒いジャケットをはおり、だぼっとしたカーキのパンツスタイル)。
小柄で童顔、本当は可愛らしい容姿だが、天パの髪をうしろでひとつに束ね、パンツに襟付きシャツ、伊達メガネ着用のカチッとスタイルの葵とは対極の存在。
駿「ひょっとして、今の裁判傍聴してた?」
葵「うん、してたけど」
期待に満ちた表情を浮かべる駿に、困惑した表情を浮かべる葵。
駿「判決どうなった? 詳しく教えてくれない?」
知らない女「ちょっとお。今日はあたしとずーっと一緒にいてくれるんじゃなかったの?」
駿「いや俺、今日は用事あるって断ったじゃん。由依が勝手についてきたんでしょ?」
ちょっとうんざりした表情を浮かべる駿。
葵「ごめんなさい。わたし、ちょっと急いでるから」
(あと三分しかない!)
時計を確認し、ぺこっと頭を下げてその場を足早に離れる葵。
〇裁判所5階504法廷・14:30
なんとか一分前に504法廷に滑り込む。
葵(はぁ~、間に合ったぁ)
そして裁判長が入廷するのと同時に葵の隣に駿が一人でやってくる。
葵(な、なんで⁉)
(さっきの女の人はどうしたの⁇)
困惑しながらも、裁判の行方を見守る葵。
葵(パワハラ訴訟か。でも『過重労働』じゃなくて『過少な要求』パターンの方ね)
※『過少な要求』とは、能力や経験とかけ離れた程度の低い仕事を命じたり、仕事を与えないこと。
必死に裁判に集中しようとするが、駿のことがどうしても気になり、気付かれないようにチラッと見上げる葵。
メモを取りながら裁判に集中している様子の駿に、自分も集中しなくてはともう一度前を向く。
葵(集中、集中)
〇回想・大学の講義室
葵モノ『冴木駿くんは、わたし香月葵と同じN大法学部の三年生で、同じゼミに所属している』
『けど、いつもたくさんの女子に囲まれているから、こんなに近くで顔を見たのははじめてかも』
講義室では、女子の人だかりの中央にぽっこり突き出た頭。
構内を歩くときは両脇に華やかな女子。
葵モノ『わたしはわたしで昔からヘンな男子に絡まれることが多くて』
(高校時代の回想)
「小動物みたいだな」(人間以下)←誤解釈
「俺のデザートあげよっか?」(ちゃんと食え。クソチビ)←誤解釈
デレデレした男子に囲まれ怯える葵。←モテている自覚ナシ
葵(男子、怖い……!)
葵モノ『本当はゆるふわコーデが好きなんだけど、今みたいなコーデをするようになってから、声を掛けられることは減ったかも』←遠くからチラチラ見られていることに気付いていない
〇裁判所近くのカフェ・夕方
葵「彼女さん、一人で帰しちゃってよかったの?」
駿「彼女?」※首をかしげる
「ああ、由依のこと? 大丈夫、大丈夫」
「そもそも彼女じゃないし」
葵「え、彼女じゃないって……」
(あんなにベッタリだったのに?)
(やっぱりこの人、本物のクズ男だ)
初めて出会った人種に衝撃を受ける葵。
駿「香月もよく来んの? 裁判傍聴」
そんな葵にまったく気付かず平然とした様子で葵に話しかける駿。
葵「うん。たまにだけど」
駿「ふうん、そっか。やっぱさ、傍聴するなら第一回の公判から全部見たいよな。でも、大事な回に限って——」
葵「授業と被るんだよね! めっちゃわかる」
はじめて話の合う人に出会って興奮して前のめりになる自分にハッと気付いて座り直す葵。
葵「え、えっと……冴木くんもよく来てるんだね」
駿「ああ、まあ……時間があるときは」
なぜか言葉を濁す冴木くんに首をかしげる葵。
葵モノ『今まで傍聴に来て知り合いに会ったことなんて一度もなかったのに』
『冴木くんって、意外と真面目?』
『……クズ男だけど』
駿「ははっ。やっぱ似合わないって思ってる顔してる」※ちょっと悲しそうに笑う
葵「えぇっ、そんなこと……ごめんなさい。やっぱりちょっと意外だなって思ってる」
駿「え、そこ本音言っちゃう? いやー、マジかー」
正直な葵に、さっきより楽しそうにははっと笑う駿。
葵「わたしもよく『法律家なんて似合わない』って言われるんだよね」
(たぶん冴木くんとはまったく違った意味で、だけど)
(でも、ちょっとだけ冴木くんの気持ち、わかるかも)
思わずアイスコーヒーのグラスを両手で握り締める葵。
駿「あー、それはわかるかも。戦う側より守られる側って感じ?」
葵「だよね。よく言われる」
駿「でも、香月は戦いたいんだ」
葵「悪い?」
(こんなの慣れてる)(いつものこと)
自分に言い聞かせる葵。
駿「いや。いいんじゃない? 意外とかっけーんだな、香月って」
そう言って無邪気に笑う駿に、トクンとときめく葵。
葵(って簡単にときめくな、わたし!)
(この人はクズ男)
ぶんぶんと首を左右に振って自分に言い聞かせる葵。
駿「そうそう。そういえばさっきのヤツって、結局どうなった? 控訴棄却?」
葵「うん。事件の概要は知ってる?」
駿「ああ。前回の公判行ってるから」
葵「そっか。まあ、あの判決は仕方ないよね。盗撮カメラを仕掛けるのに使ったガムテープに被告人の指紋がしっかり残ってた上に防犯カメラにも写ってて、さらに自分のセキュリティカードを使って会社に侵入したんでしょ? 証拠が揃いすぎてるよ」
駿「まあなあ。たしか、たまたま犯行時刻のちょっと前にセキュリティカードを一時的に紛失して、たまたま真犯人に拾われて悪用されたって主張してたんだっけ? あまりにもな言い訳すぎるよな」
葵「本当だよ。そんな被告人の言い分を真に受けて控訴するなんて、弁護士もいったいなに考えてるんだろって思っちゃった」
駿「は? ちょっと待てよ」
葵の発言を聞き、急に表情が険しくなる駿。
駿「弁護士が被告人の言い分を信じなくてどうすんだよ。その上で、証拠の信用性の再検討を求めるのが裁判だろ。被告人が自分はやってないって言ってんなら、控訴すんのは当然なんだよ」
葵「……なんで悪いことをした人の言うことを簡単に信じちゃうの? そんなの、弁護士なんて被害者の敵じゃん。被告人のウソくらいちゃんと見抜いてよ!」
駿「ウソを見抜けって? そんなこと簡単にできるわけないだろ。もし本当だったらどう責任取るんだよ」
葵「だからっ、犯罪者じゃなくて、被害者のことを一番に考えてって言ってるの」
(そのせいで、あの人だって……)
駿「おい、無罪推定の原則くらい知ってんだろ。有罪が確定するまでは無罪扱いなんだよ。被告人を犯罪者だって決めつけるようなヤツに、法律家になる資格なんてねえ」
葵「……なんで冴木くんにそんなこと言われなくちゃいけないの?」
「帰る」
泣きそうなのを堪え、テーブルの上に千円札を叩きつけると、駿に背を向け涙を拭いながらカフェを一人で出る葵。
イスの背もたれにもたれて天を仰ぐ駿。
駿「なにムキんなってんだよ、俺」
ため息を吐くと、千円札をつかんで席を立ち、会計を済ませて葵を追う。
〇裁判所最寄り駅までの道のりの途中
20代半ばくらいのチャラ男2人に絡まれる葵。
男1「ねえ、暇なんでしょ?」
男2「いいじゃん、カラオケくらい」
葵「いえ、わたしは……」
じりっと一歩後ずさりする葵。
男1「じゃあ、飯食いに行こ。そんくらいならいいだろ?」
そう言いながら腕をつかむ。
葵「痛っ」
男1「こんなもんで俺らの目はごまかせないんだな~」
腕を掴んでいるのとは反対の手で葵のメガネを奪う男1。
葵「やめてっ……か、返してください」
ごくりとつばを飲む男二人。
男2「ひゅ~。これは想像以上」
男1「こんなんで隠してたらもったいないよ~君」
駿「あのさあ、彼女嫌がってんじゃん。やめなよ」
背後で駿の声がして、パッと振り向く葵。
男2「は? なんだてめえ」
男1「ヒーロー気取りかよ。殺すぞ。さっさと去れや」
駿「あーあ。せっかく軽犯罪法違反だけで済まそうと思ってたのに。香月に対する強要罪と、俺に対する脅迫罪まで追加になっちゃったじゃん」
男1「はあ? ごちゃごちゃ訳わかんねえこと言いやがって」
駿「それじゃあ、もう少しわかりやすいようにご説明しましょうか?」
「相手が嫌がってんのに進路妨害したりつきまとったりしたら『1日以上30日未満の身柄拘束』もしくは『1,000円以上1万円未満の科料』、相手を脅迫して行為を強要したら『3年以下の懲役』、ちなみに俺に対する『殺すぞ』って脅迫は『2年以下の懲役又は30万円以下の罰金』ね」
男1「それがどうした? おまえ警察じゃねえだろ」※バカにして笑いながら
駿「ああ、ご存知ない? 現行犯逮捕なら、警察官じゃなくてもできちゃうんすよね」
男2「おい、もう行こうぜ。こんな面倒なヤツ、相手にすんなって」
男1の肩を掴んで引く男2。
男1チッと舌打ちすると葵のメガネを投げ捨て、男2とともに行ってしまう。
そんなやりとりをポカンとした表情で見ていた葵。
駿「腕、大丈夫? ケガしてない?」
さりげなく葵の手を取って確認する駿。
葵「だ、大丈夫」
パッと手を引くと、メガネを慌てて拾う葵。
葵(冴木くんって、いったい何者?)
駿のギャップに困惑する葵。
葵「メガネもほらっ、無事だったし」※メガネをかけながら
「それに、よくあることだから」
駿「よくあるって……あーもう。家まで送るわ」
葵「だから大丈夫だってば」
駿「香月になんかあったら、一緒にいた俺がイヤなの。わかる?」
葵「いや、でも……」
駿「ほら、早く行くよ」
先に駅に向かって歩き出す駿。
しばらく駿の背中を見つめたあと。
葵(ほんと強引なんだから)
ため息を吐きつつも仕方なく駿の隣に並んで歩く葵。
〇香月家最寄り駅・日没後
無言で電車に揺られ、香月家の最寄り駅で降りる二人。
そのまま無言でしばらく歩いたあと。
葵「冴木くん、さっきはごめんね」
駿「うん?」
葵「カフェで……弁護士のこと、悪く言って」
(もし冴木くんが弁護士になりたいって思ってるなら、あんなふうに怒ったのもわかるかも)
駿「ああ、うん。まあ。見方によってはそう取れなくもない仕事だもんな」
「けど、なんでもかんでも刑を軽くするのが弁護士の仕事ってわけじゃないし」
「って俺が言わなくても、香月はちゃんとわかってると思うけどさ」
こくりと小さくうなずく葵。
駿「昔さ、家族を助けてもらったことがあるんだよね」
葵「弁護士さんに? それで弁護士を目指してるの?」
驚いた顔をしてから恥ずかしそうに頬をかく駿。
駿「あー……こんだけ語ってたらさすがに察するか」
葵(やっぱり)
「冴木くんも、今年予備試験受けるの?」
駿「いや、俺は……今年は司法試験の方を受ける予定」
葵「ふうん、そうなん……えぇっ⁉ ひょっとして予備試験もう受かってるってこと⁉」
葵の問いには答えず曖昧に笑ってごまかす駿。
葵(人は見かけによらないって言うけど)
はぁ~、と大きなため息を吐く葵。
駿「香月は、今年予備試験?」
葵「うん。去年はさすがに間に合わなかったから、今年初挑戦」
駿「そっか。弁護士……じゃないよな。検察官志望?」
駿から目を逸らし、こくりと小さくうなずく葵。
葵「『似合わない』ってだいたい笑われちゃうんだけどね」
駿「そんなん香月が気にする必要なくない?」
葵「え……?」
駿「傍聴行ってんのだって、将来のためだろ?」
「『似合わない』なんて言うヤツには『うるせー!』って返せばいいんだよ」
「やりたいことがハッキリしてて、ちゃんと努力してる香月は、ちゃんとかっけーよ」
葵「そ、そんなに褒めても、なにも出ないからね?」
言われ慣れていないことを駿に言われ、どんな顔をしたらいいのかわからなくなる葵。
駿「別になんも期待してないし」
話しているうちに、香月家の前に到着。
葵「わたしんち、ここだから」
駿「おう。そんじゃあな」
駿が駅に向かって引き返そうとして、もう一度葵の方を振り返る。
駿「あ、そうだ」
「さっきの話だけどさ、松葉教授と院生の須藤さん以外知らないから。みんなには黙っといてくれる?」
葵(あのことって、予備試験に受かってるってこと?)
(同じゼミの先輩たち、去年みんな落ちたみたいだもんね)
「うん、わかった」
(わたししか知らない、冴木くんのヒミツ)
なんだかうれしくなってふふっと笑みが零れる葵。
そのとき、向かいの家から一人の男子——葵の幼馴染の白河健吾(黒髪短髪のスポーツマン)がトレーニングウエア姿で出てきて、駿のことを不機嫌そうな顔で見る。
健吾「誰? 葵の彼氏?」
顎で駿のことを指す健吾。
葵「ち、違うよ! 大学の同じゼミの人」
健吾「ふうん。あっそ」
それだけ言うと、むすっとした顔で走り去る健吾。
葵「ごめんね、冴木くん。健吾には違うってもう一回ちゃんと念を押しとくから」
駿「いいよ、別に。もう会うこともないだろうし」
「それより彼、香月の彼氏だったり——」
葵「しないから! そもそも二個も年下だし、ただの幼馴染っていうか。小さい頃から健吾にはずっといじめられてて」
駿「年下にイジメられるって」
ぷっと吹き出す駿。
葵「ヒドイでしょ⁉」
本気モードで怒る葵。
葵モノ『白河健吾は、わたしが五歳のときに向かいの家に引っ越してきた』
『同じ保育園に通うことになって、わたしがお姉さんなんだから、お世話してあげなくちゃって張り切っていたのに』
『わたしが虫嫌いだって知ってて大量のセミの抜け殻を頭からかけてきたり』
『青虫の付いた枝をわたしに向かって振り回したり』
『そのたびに悲鳴を上げるわたしを見て、健吾はゲラゲラ笑ってた』
駿「いや、それって絶対アレじゃん」
「あーでも香月、いかにもニブそうだからなー」※独り言
葵「ニブそうって?」
駿「いや、なんでもない」
「そんじゃ、今度こそ本当に帰るわ」
葵「うん。送ってくれてありがとう。気をつけて帰ってね」
ひらりと手を振ると、背を向け歩き出す駿。
その背中をしばらくの間黙って見送る葵。
葵(意外なことがありすぎて、冴木くんがますますわからなくなってきちゃった)
「ただいまー」
足取り軽く明かりの灯った家に入る葵。
葵モノ『この日の出会いが、わたしたちの運命を大きく変えることになるなんて』
『このときはまだ知る由もなかった』
〇裁判所10階1002法廷・14:25(五月の連休明け)
『裁判所』の石看板。裁判所法廷内。
裁判長「主文、被告人を懲役1年6ヶ月に処する。この裁判が確定した日から3年間その刑の執行を猶予する——」
裁判が終わり、時計を確認する葵。
葵(えーっと、次の裁判が14:30からだから……うわっ、あと五分しかない!)
慌てて法廷を出ようとして、扉の持ち手に手を掛けた瞬間、外からぐいっと引かれ、入ってこようとしていた人と正面衝突。
葵「ご、ごめんなさい」
駿「いや、こっちこそ」
謝罪のために下げた頭を上げ、ぶつかった相手に気付く葵。
葵「え……冴木くん?」
知らない女「誰? 駿の知ってる人?」
駿の腕に絡みついていた女(ミニスカで露出多めな格好)がムッとした表情で駿を見上げる。
葵(こんなとこに女連れって……)
駿「ああ、たしか松葉ゼミの」※ちょっと考え込んだ様子で
葵「香月です」
さらりとした明るい髪で高身長の、いかもにチャラそうなイケメンの駿(オーバーサイズの白Tに黒いジャケットをはおり、だぼっとしたカーキのパンツスタイル)。
小柄で童顔、本当は可愛らしい容姿だが、天パの髪をうしろでひとつに束ね、パンツに襟付きシャツ、伊達メガネ着用のカチッとスタイルの葵とは対極の存在。
駿「ひょっとして、今の裁判傍聴してた?」
葵「うん、してたけど」
期待に満ちた表情を浮かべる駿に、困惑した表情を浮かべる葵。
駿「判決どうなった? 詳しく教えてくれない?」
知らない女「ちょっとお。今日はあたしとずーっと一緒にいてくれるんじゃなかったの?」
駿「いや俺、今日は用事あるって断ったじゃん。由依が勝手についてきたんでしょ?」
ちょっとうんざりした表情を浮かべる駿。
葵「ごめんなさい。わたし、ちょっと急いでるから」
(あと三分しかない!)
時計を確認し、ぺこっと頭を下げてその場を足早に離れる葵。
〇裁判所5階504法廷・14:30
なんとか一分前に504法廷に滑り込む。
葵(はぁ~、間に合ったぁ)
そして裁判長が入廷するのと同時に葵の隣に駿が一人でやってくる。
葵(な、なんで⁉)
(さっきの女の人はどうしたの⁇)
困惑しながらも、裁判の行方を見守る葵。
葵(パワハラ訴訟か。でも『過重労働』じゃなくて『過少な要求』パターンの方ね)
※『過少な要求』とは、能力や経験とかけ離れた程度の低い仕事を命じたり、仕事を与えないこと。
必死に裁判に集中しようとするが、駿のことがどうしても気になり、気付かれないようにチラッと見上げる葵。
メモを取りながら裁判に集中している様子の駿に、自分も集中しなくてはともう一度前を向く。
葵(集中、集中)
〇回想・大学の講義室
葵モノ『冴木駿くんは、わたし香月葵と同じN大法学部の三年生で、同じゼミに所属している』
『けど、いつもたくさんの女子に囲まれているから、こんなに近くで顔を見たのははじめてかも』
講義室では、女子の人だかりの中央にぽっこり突き出た頭。
構内を歩くときは両脇に華やかな女子。
葵モノ『わたしはわたしで昔からヘンな男子に絡まれることが多くて』
(高校時代の回想)
「小動物みたいだな」(人間以下)←誤解釈
「俺のデザートあげよっか?」(ちゃんと食え。クソチビ)←誤解釈
デレデレした男子に囲まれ怯える葵。←モテている自覚ナシ
葵(男子、怖い……!)
葵モノ『本当はゆるふわコーデが好きなんだけど、今みたいなコーデをするようになってから、声を掛けられることは減ったかも』←遠くからチラチラ見られていることに気付いていない
〇裁判所近くのカフェ・夕方
葵「彼女さん、一人で帰しちゃってよかったの?」
駿「彼女?」※首をかしげる
「ああ、由依のこと? 大丈夫、大丈夫」
「そもそも彼女じゃないし」
葵「え、彼女じゃないって……」
(あんなにベッタリだったのに?)
(やっぱりこの人、本物のクズ男だ)
初めて出会った人種に衝撃を受ける葵。
駿「香月もよく来んの? 裁判傍聴」
そんな葵にまったく気付かず平然とした様子で葵に話しかける駿。
葵「うん。たまにだけど」
駿「ふうん、そっか。やっぱさ、傍聴するなら第一回の公判から全部見たいよな。でも、大事な回に限って——」
葵「授業と被るんだよね! めっちゃわかる」
はじめて話の合う人に出会って興奮して前のめりになる自分にハッと気付いて座り直す葵。
葵「え、えっと……冴木くんもよく来てるんだね」
駿「ああ、まあ……時間があるときは」
なぜか言葉を濁す冴木くんに首をかしげる葵。
葵モノ『今まで傍聴に来て知り合いに会ったことなんて一度もなかったのに』
『冴木くんって、意外と真面目?』
『……クズ男だけど』
駿「ははっ。やっぱ似合わないって思ってる顔してる」※ちょっと悲しそうに笑う
葵「えぇっ、そんなこと……ごめんなさい。やっぱりちょっと意外だなって思ってる」
駿「え、そこ本音言っちゃう? いやー、マジかー」
正直な葵に、さっきより楽しそうにははっと笑う駿。
葵「わたしもよく『法律家なんて似合わない』って言われるんだよね」
(たぶん冴木くんとはまったく違った意味で、だけど)
(でも、ちょっとだけ冴木くんの気持ち、わかるかも)
思わずアイスコーヒーのグラスを両手で握り締める葵。
駿「あー、それはわかるかも。戦う側より守られる側って感じ?」
葵「だよね。よく言われる」
駿「でも、香月は戦いたいんだ」
葵「悪い?」
(こんなの慣れてる)(いつものこと)
自分に言い聞かせる葵。
駿「いや。いいんじゃない? 意外とかっけーんだな、香月って」
そう言って無邪気に笑う駿に、トクンとときめく葵。
葵(って簡単にときめくな、わたし!)
(この人はクズ男)
ぶんぶんと首を左右に振って自分に言い聞かせる葵。
駿「そうそう。そういえばさっきのヤツって、結局どうなった? 控訴棄却?」
葵「うん。事件の概要は知ってる?」
駿「ああ。前回の公判行ってるから」
葵「そっか。まあ、あの判決は仕方ないよね。盗撮カメラを仕掛けるのに使ったガムテープに被告人の指紋がしっかり残ってた上に防犯カメラにも写ってて、さらに自分のセキュリティカードを使って会社に侵入したんでしょ? 証拠が揃いすぎてるよ」
駿「まあなあ。たしか、たまたま犯行時刻のちょっと前にセキュリティカードを一時的に紛失して、たまたま真犯人に拾われて悪用されたって主張してたんだっけ? あまりにもな言い訳すぎるよな」
葵「本当だよ。そんな被告人の言い分を真に受けて控訴するなんて、弁護士もいったいなに考えてるんだろって思っちゃった」
駿「は? ちょっと待てよ」
葵の発言を聞き、急に表情が険しくなる駿。
駿「弁護士が被告人の言い分を信じなくてどうすんだよ。その上で、証拠の信用性の再検討を求めるのが裁判だろ。被告人が自分はやってないって言ってんなら、控訴すんのは当然なんだよ」
葵「……なんで悪いことをした人の言うことを簡単に信じちゃうの? そんなの、弁護士なんて被害者の敵じゃん。被告人のウソくらいちゃんと見抜いてよ!」
駿「ウソを見抜けって? そんなこと簡単にできるわけないだろ。もし本当だったらどう責任取るんだよ」
葵「だからっ、犯罪者じゃなくて、被害者のことを一番に考えてって言ってるの」
(そのせいで、あの人だって……)
駿「おい、無罪推定の原則くらい知ってんだろ。有罪が確定するまでは無罪扱いなんだよ。被告人を犯罪者だって決めつけるようなヤツに、法律家になる資格なんてねえ」
葵「……なんで冴木くんにそんなこと言われなくちゃいけないの?」
「帰る」
泣きそうなのを堪え、テーブルの上に千円札を叩きつけると、駿に背を向け涙を拭いながらカフェを一人で出る葵。
イスの背もたれにもたれて天を仰ぐ駿。
駿「なにムキんなってんだよ、俺」
ため息を吐くと、千円札をつかんで席を立ち、会計を済ませて葵を追う。
〇裁判所最寄り駅までの道のりの途中
20代半ばくらいのチャラ男2人に絡まれる葵。
男1「ねえ、暇なんでしょ?」
男2「いいじゃん、カラオケくらい」
葵「いえ、わたしは……」
じりっと一歩後ずさりする葵。
男1「じゃあ、飯食いに行こ。そんくらいならいいだろ?」
そう言いながら腕をつかむ。
葵「痛っ」
男1「こんなもんで俺らの目はごまかせないんだな~」
腕を掴んでいるのとは反対の手で葵のメガネを奪う男1。
葵「やめてっ……か、返してください」
ごくりとつばを飲む男二人。
男2「ひゅ~。これは想像以上」
男1「こんなんで隠してたらもったいないよ~君」
駿「あのさあ、彼女嫌がってんじゃん。やめなよ」
背後で駿の声がして、パッと振り向く葵。
男2「は? なんだてめえ」
男1「ヒーロー気取りかよ。殺すぞ。さっさと去れや」
駿「あーあ。せっかく軽犯罪法違反だけで済まそうと思ってたのに。香月に対する強要罪と、俺に対する脅迫罪まで追加になっちゃったじゃん」
男1「はあ? ごちゃごちゃ訳わかんねえこと言いやがって」
駿「それじゃあ、もう少しわかりやすいようにご説明しましょうか?」
「相手が嫌がってんのに進路妨害したりつきまとったりしたら『1日以上30日未満の身柄拘束』もしくは『1,000円以上1万円未満の科料』、相手を脅迫して行為を強要したら『3年以下の懲役』、ちなみに俺に対する『殺すぞ』って脅迫は『2年以下の懲役又は30万円以下の罰金』ね」
男1「それがどうした? おまえ警察じゃねえだろ」※バカにして笑いながら
駿「ああ、ご存知ない? 現行犯逮捕なら、警察官じゃなくてもできちゃうんすよね」
男2「おい、もう行こうぜ。こんな面倒なヤツ、相手にすんなって」
男1の肩を掴んで引く男2。
男1チッと舌打ちすると葵のメガネを投げ捨て、男2とともに行ってしまう。
そんなやりとりをポカンとした表情で見ていた葵。
駿「腕、大丈夫? ケガしてない?」
さりげなく葵の手を取って確認する駿。
葵「だ、大丈夫」
パッと手を引くと、メガネを慌てて拾う葵。
葵(冴木くんって、いったい何者?)
駿のギャップに困惑する葵。
葵「メガネもほらっ、無事だったし」※メガネをかけながら
「それに、よくあることだから」
駿「よくあるって……あーもう。家まで送るわ」
葵「だから大丈夫だってば」
駿「香月になんかあったら、一緒にいた俺がイヤなの。わかる?」
葵「いや、でも……」
駿「ほら、早く行くよ」
先に駅に向かって歩き出す駿。
しばらく駿の背中を見つめたあと。
葵(ほんと強引なんだから)
ため息を吐きつつも仕方なく駿の隣に並んで歩く葵。
〇香月家最寄り駅・日没後
無言で電車に揺られ、香月家の最寄り駅で降りる二人。
そのまま無言でしばらく歩いたあと。
葵「冴木くん、さっきはごめんね」
駿「うん?」
葵「カフェで……弁護士のこと、悪く言って」
(もし冴木くんが弁護士になりたいって思ってるなら、あんなふうに怒ったのもわかるかも)
駿「ああ、うん。まあ。見方によってはそう取れなくもない仕事だもんな」
「けど、なんでもかんでも刑を軽くするのが弁護士の仕事ってわけじゃないし」
「って俺が言わなくても、香月はちゃんとわかってると思うけどさ」
こくりと小さくうなずく葵。
駿「昔さ、家族を助けてもらったことがあるんだよね」
葵「弁護士さんに? それで弁護士を目指してるの?」
驚いた顔をしてから恥ずかしそうに頬をかく駿。
駿「あー……こんだけ語ってたらさすがに察するか」
葵(やっぱり)
「冴木くんも、今年予備試験受けるの?」
駿「いや、俺は……今年は司法試験の方を受ける予定」
葵「ふうん、そうなん……えぇっ⁉ ひょっとして予備試験もう受かってるってこと⁉」
葵の問いには答えず曖昧に笑ってごまかす駿。
葵(人は見かけによらないって言うけど)
はぁ~、と大きなため息を吐く葵。
駿「香月は、今年予備試験?」
葵「うん。去年はさすがに間に合わなかったから、今年初挑戦」
駿「そっか。弁護士……じゃないよな。検察官志望?」
駿から目を逸らし、こくりと小さくうなずく葵。
葵「『似合わない』ってだいたい笑われちゃうんだけどね」
駿「そんなん香月が気にする必要なくない?」
葵「え……?」
駿「傍聴行ってんのだって、将来のためだろ?」
「『似合わない』なんて言うヤツには『うるせー!』って返せばいいんだよ」
「やりたいことがハッキリしてて、ちゃんと努力してる香月は、ちゃんとかっけーよ」
葵「そ、そんなに褒めても、なにも出ないからね?」
言われ慣れていないことを駿に言われ、どんな顔をしたらいいのかわからなくなる葵。
駿「別になんも期待してないし」
話しているうちに、香月家の前に到着。
葵「わたしんち、ここだから」
駿「おう。そんじゃあな」
駿が駅に向かって引き返そうとして、もう一度葵の方を振り返る。
駿「あ、そうだ」
「さっきの話だけどさ、松葉教授と院生の須藤さん以外知らないから。みんなには黙っといてくれる?」
葵(あのことって、予備試験に受かってるってこと?)
(同じゼミの先輩たち、去年みんな落ちたみたいだもんね)
「うん、わかった」
(わたししか知らない、冴木くんのヒミツ)
なんだかうれしくなってふふっと笑みが零れる葵。
そのとき、向かいの家から一人の男子——葵の幼馴染の白河健吾(黒髪短髪のスポーツマン)がトレーニングウエア姿で出てきて、駿のことを不機嫌そうな顔で見る。
健吾「誰? 葵の彼氏?」
顎で駿のことを指す健吾。
葵「ち、違うよ! 大学の同じゼミの人」
健吾「ふうん。あっそ」
それだけ言うと、むすっとした顔で走り去る健吾。
葵「ごめんね、冴木くん。健吾には違うってもう一回ちゃんと念を押しとくから」
駿「いいよ、別に。もう会うこともないだろうし」
「それより彼、香月の彼氏だったり——」
葵「しないから! そもそも二個も年下だし、ただの幼馴染っていうか。小さい頃から健吾にはずっといじめられてて」
駿「年下にイジメられるって」
ぷっと吹き出す駿。
葵「ヒドイでしょ⁉」
本気モードで怒る葵。
葵モノ『白河健吾は、わたしが五歳のときに向かいの家に引っ越してきた』
『同じ保育園に通うことになって、わたしがお姉さんなんだから、お世話してあげなくちゃって張り切っていたのに』
『わたしが虫嫌いだって知ってて大量のセミの抜け殻を頭からかけてきたり』
『青虫の付いた枝をわたしに向かって振り回したり』
『そのたびに悲鳴を上げるわたしを見て、健吾はゲラゲラ笑ってた』
駿「いや、それって絶対アレじゃん」
「あーでも香月、いかにもニブそうだからなー」※独り言
葵「ニブそうって?」
駿「いや、なんでもない」
「そんじゃ、今度こそ本当に帰るわ」
葵「うん。送ってくれてありがとう。気をつけて帰ってね」
ひらりと手を振ると、背を向け歩き出す駿。
その背中をしばらくの間黙って見送る葵。
葵(意外なことがありすぎて、冴木くんがますますわからなくなってきちゃった)
「ただいまー」
足取り軽く明かりの灯った家に入る葵。
葵モノ『この日の出会いが、わたしたちの運命を大きく変えることになるなんて』
『このときはまだ知る由もなかった』



