29歳のいばら姫~10年寝ていたら年下侯爵に甘く執着されて逃げられません

こうして、この少年との共同生活が始まったのだった。とはいえ、他の子どもたちと一緒に生活できる状態ではなかったので、私が付きっきりで面倒を見ることになった。

彼は心を固く閉ざしていて、いつも何かにおびえている。
食事に毒が盛られるのをおそれているのか、食べ物も最小限しか摂ろうとしない。ひどく痩せていて美しい顔には生気がなく、肌は色艶を欠いていた。

私は、この子に事情を聞き出さないと決めていた。
言えない事情があるのは明らかだし、暴く必要なんてない。
このミリュレー修道院はそういう場所だ。
私も訳アリ修道女だけれど、院長や子供たちはあれこれ問いただしたりはしないのだから。

名前を呼べないとさすがに不便なので、私が付けた『レイ』というのがこの子の名前になった。

「ほら。レイ、あ~ん」
私が食事をひとさじ掬って口元に近づけても、レイは口を開けてはくれない。
同じ食事を同じ食器に取り分け、毒がないと示してもやはり警戒は解けなかった。

(うーん。困ったな……。しっかり食べて元気になってほしいんだけど)
「…………あ、そうだわ!」
ふと思い立ち、私は立ち上がってレイの手を取った。
「ねえ、レイ! 一緒にお料理してみない?」
「……?」
「一緒に材料から集めて、最初から最後まで一緒に作れば安心でしょう? はちみつプディングって食べたことある? 私の大好きなお菓子なの!」

レイの手を引き、一緒にニワトリ小屋に行った。新鮮な卵を採って、ミルクに小麦粉、はちみつ、ハーブ。集めた食材を厨房に運んで、ふたりで楽しいお料理タイムだ。

「………………」
レイは無言のままだけれど、甘い香りに表情がゆるんで瞳に光が差していた。
「ふふ。かわいい」
レイはきれいで可愛くて、本当に天使みたいだ。この天使を、きらきらの笑顔にしてあげたい。

蒸し上げたプディングを一緒に食べた瞬間に、私は最高の笑顔に出会えた。

「ね? おいしいでしょ!」
「……うん」
「これからも、毎日一緒にお料理をしましょう。お料理だけじゃなくて、いろんなことを。きっとどれも楽しいわ」

一緒に過ごすことが、レイを安心させる一番の方法に違いない。だから食事はいつも一緒で、寝るのも仕事も一緒にした。まるで子育てみたいだ。

レイが心を開き始めたのは、修道院生活が始まって2か月目に入ったころのことだった。


「シスターは……どうしてぼくに、やさしくするの?」

レイの声は、ふるえていた。
レイの様子はまるで、殻を割って生まれる直前のひな鳥のようだった。
視線をうろうろさまよわせ、警戒心と甘えたい気持ちをない交ぜにしたような複雑な表情で、レイは私に尋ねてくれた。

(レイはきっと、今まで誰かに甘えたことがないんだわ……)

態度から、痛々しいほどそれが分かった。
私はレイをしっかりと抱き寄せ、背中をトン、トンとゆっくりたたきながら伝えた。

「レイがとてもかわいいからよ。……私、いつかかわいい子どもに囲まれて、一緒に笑い合ったりおいしいご飯を食べたりするのが夢だったの。温かい家庭に、ずっと憧れていた」

まだ16歳の私には、年齢不相応な夢かもしれない。
でも、私は本当にそれを夢見ていた。

「私の実家はね、あまり温かい家庭じゃなかった。母が病気で亡くなるとすぐに、父は新しい女性を家に迎えてね。その女性との間には、すでに娘もいたの――私と同い年の妹が。……ごめんね、子ども(レイ)に聞かせるような話題じゃなかったわ」

レイは目を見開いて、美しい顔をこわばらせながら聞いていた。私は話を切り上げようとしたけれど、レイは最後まで聞きたがった。

「いろいろ事情があって、私は家から出されることになったのよ。それで、ここのシスターとして働くことになったの」
「そんな……。シスターは、それでよかったの?」
「ええ! 今はとても幸せだもの。血はつながっていなくても、修道院のみんなが私の家族よ」

心の底から、そう思う。
実家から追い出されてむしろ良かった。
――おかげで、幸せな()()を送ることができる。
満ち足りた気分で笑っていると、瞳を揺らしながらレイが尋ねてきた。

「ぼくも家族……いないんだ。ぼくも……シスターの家族になれる……?」
「レイはとっくに、私の家族よ」
「!」
レイは私に抱きついてきた。
華奢な腕で、ふるえながら強く強く抱きしめてくる。
私の胸に顔をうずめて泣きじゃくるレイはガラス細工のように繊細で、今にも壊れてしまいそうだ。
レイのことを守ってあげたい。そのためなら、私はいくらでもがんばれると思った。

「シスター。…………………………大好き」
「ありがとう。私もレイが大好きよ」
そう囁いて、私はレイの柔らかな髪を梳いていた。

   *

その日から、レイは笑うようになった。仕事も自分から手伝うようになり、他の子どもたちとの関わりも徐々に増えてきた。

「おーい、レイ! 今日の馬小屋のそうじ、おまえが当番だろ? まだやってないじゃん」
「なに言ってるんだよ、セイジ。ぼくは先週やったばかりだ。今週の当番はセイジじゃないか」
「そーだっけ?」

「レイ。ブドウ畑の手が足りないの、てつだってくれる?」
「わかったよ、ミモザ。いま行く!」

他の子どもたちと一緒に過ごすレイを見て、私はとても安心していた。

「おや。『もやし小僧』も、ようやく役立つようになってきたじゃないか!」
と、マザー・グレンナも紫の瞳を細めてご満悦な様子である。

いつもは元気で子供らしく、そして私と二人きりのときだけはにかみながら甘えん坊な顔を見せてくる……そんなレイが、私はとても大好きだ。

(このまま、いつまでも幸せな時間が続けばいいのにな)



でも、ある夜ちょっとした事件が起こった。
私がひとりでお風呂に入っていたときのことだ。

「ああ、今日もいいお湯だわ」
裏庭で育てたハーブの薬湯は、体の芯まで温まる。
湯気の立つ湯船につかり、ゆるゆると油断しきっていたところに……。


カターン! と、モップが床に落ちたような音が響いた。
びっくりしてお風呂場の入り口のほうをふり返ると。

「シ、シスター……!」
「え!? レイ?」

お風呂場に、なぜかレイが入ってきていた。掃除道具を持っているから、どうやら掃除をするつもりだったらしい。
びっくりしすぎて腰を抜かしてしまったらしく、床にへたり込んでいた。

「ご、ごごごごめんなさい! だ、だれもいないと思ってたんだ……あの、えと」
とうがらしみたいに真っ赤になって、両手で目を覆い隠そうとしていたけれど、次の瞬間。

「………………シスター?」

レイの顔から、表情が消えた。
その様子から、私はレイに()()()()()()()()のだと悟った。


「シスター……。背中の模様、……どうしたの?」