キスしたら、彼の本音がうるさい。

店を出たころには、夜風が頬に冷たかった。

「電車で帰れる?」
「大丈夫です。まだ、そんなに酔ってないし……」
「それ、酔ってるやつが一番言うセリフな」

月菜が軽く笑ったのを見て、神崎もふっと口元を緩めた。
店の前の道に、タクシーが何台か止まっていた。
神崎は手を上げて、そのうちの一台を止める。

「ほら、乗って」
「でも、ひとりで帰れます。タクシーに乗るほどじゃ──」
「ひとりで帰れるって言って、ほんとに帰れないやつ、俺何人も見てきた」
「……心配だからとか、そういうんじゃなくて。俺、放っとけない性分なんだよ。こういうの」

タクシーのドアが開く。
神崎が小さく頭を下げ、運転手に行き先を伝える。

「気をつけて帰れよ、浅見」
「……ありがとうございます」

ドアが閉まる直前、神崎がポケットに手を突っ込んだまま、少しだけ視線を逸らすように呟いた。

「俺、お前が泣くとこ、あんま見たくないんで」

タクシーが動き出すころには、窓の外の景色が、にじんで見えた。
わたし、また泣いてる……?

──ちがう。

これは、酔ったせいでも、夜風のせいでもない。
誰かに「大丈夫?」って言われるだけで、涙がこぼれそうになる夜もある。

でもそれは、心が弱くなったからじゃない。
ずっと抱えてた想いを、誰かがちゃんと見てくれていた──
それだけで、少しだけ肩の力が抜ける。

タクシーの窓に映った自分の顔を見ながら、わたしはそっと口元を押さえた。

「……ありがとう、神崎さん」

心の中でだけ、そう呟いた。