知っている。
何度も夢に見た声。
あの冬の夜、鼓膜の奥で響いた、本音の声。
月菜は咄嗟に、手の中で握っていた名刺ケースを落としそうになった。
「……あっ……よ、よろしくお願いします」
声が震えたのを、自分でも感じた。
隣にいた神崎が視線を横に向けるのが分かったが、それ以上は何も言わなかった。
まるで、“最初から知り合いではなかった”かのように、彼はごく自然に接してきた。
笑顔も丁寧さも、よそ行きのまま。
名前も、香りも、記憶の欠片も──なにひとつ、彼には残っていないようだった。
応接室の空気が、やけに遠く感じた。
テーブルに並べられた資料を前に、神崎が穏やかにプレゼンを進めていく。
月菜はひたすら、目の前の紙の文字を追いながら、目線を逸らし続けた。
一度でも、彼と目が合ったら──
何かが崩れてしまいそうだった。
それでも、視界の端には彼の仕草が入り込んでくる。
資料をめくる指の動き。
頷くたびに髪が揺れる様子。
そして、微かに漂う、懐かしい香り。
──忘れられるはずがないのに。
──なぜ、彼の中からはすべてが消えてしまったの?
胸が軋む音が聞こえそうだった。
打ち合わせの間、月菜はほとんど視線を上げることができなかった。
神崎が進める説明に、瑛翔は淡々と相槌を打ち、時折資料に目を落とす。
その姿には何の違和感もない──ただのビジネスの場のやり取り。
それが、かえって苦しかった。
目の前にいるのに。
声を聞いているのに。
手を伸ばせば触れられる距離にいるのに。
そこにいるのは、“わたしを知らない”神谷瑛翔だった。
──どうして?忘れてしまったの?
──仕事だから、公私混同を避けるために知らないフリ?
問いが喉の奥で何度も渦巻いた。
打ち合わせは粛々と進み、予定された時間を少しだけ過ぎて終了した。
「本日はありがとうございました。上司と確認のうえ、再度連絡いたします」
そう言って立ち上がった瑛翔が、にこやかに頭を下げる。
その動作があまりにも自然で、礼儀正しくて、まっすぐで──
だからこそ、余計に残酷だった。
──仕事だから…ではない…。
彼の瞳に私は特別なものとして映っていない…。
部屋を出た瞬間、月菜はこみ上げるものをどうにか飲み込んだ。
何度も夢に見た声。
あの冬の夜、鼓膜の奥で響いた、本音の声。
月菜は咄嗟に、手の中で握っていた名刺ケースを落としそうになった。
「……あっ……よ、よろしくお願いします」
声が震えたのを、自分でも感じた。
隣にいた神崎が視線を横に向けるのが分かったが、それ以上は何も言わなかった。
まるで、“最初から知り合いではなかった”かのように、彼はごく自然に接してきた。
笑顔も丁寧さも、よそ行きのまま。
名前も、香りも、記憶の欠片も──なにひとつ、彼には残っていないようだった。
応接室の空気が、やけに遠く感じた。
テーブルに並べられた資料を前に、神崎が穏やかにプレゼンを進めていく。
月菜はひたすら、目の前の紙の文字を追いながら、目線を逸らし続けた。
一度でも、彼と目が合ったら──
何かが崩れてしまいそうだった。
それでも、視界の端には彼の仕草が入り込んでくる。
資料をめくる指の動き。
頷くたびに髪が揺れる様子。
そして、微かに漂う、懐かしい香り。
──忘れられるはずがないのに。
──なぜ、彼の中からはすべてが消えてしまったの?
胸が軋む音が聞こえそうだった。
打ち合わせの間、月菜はほとんど視線を上げることができなかった。
神崎が進める説明に、瑛翔は淡々と相槌を打ち、時折資料に目を落とす。
その姿には何の違和感もない──ただのビジネスの場のやり取り。
それが、かえって苦しかった。
目の前にいるのに。
声を聞いているのに。
手を伸ばせば触れられる距離にいるのに。
そこにいるのは、“わたしを知らない”神谷瑛翔だった。
──どうして?忘れてしまったの?
──仕事だから、公私混同を避けるために知らないフリ?
問いが喉の奥で何度も渦巻いた。
打ち合わせは粛々と進み、予定された時間を少しだけ過ぎて終了した。
「本日はありがとうございました。上司と確認のうえ、再度連絡いたします」
そう言って立ち上がった瑛翔が、にこやかに頭を下げる。
その動作があまりにも自然で、礼儀正しくて、まっすぐで──
だからこそ、余計に残酷だった。
──仕事だから…ではない…。
彼の瞳に私は特別なものとして映っていない…。
部屋を出た瞬間、月菜はこみ上げるものをどうにか飲み込んだ。
