いつもより、少しだけ風の冷たい朝だった。
ビル街の角を曲がったとき、月菜はふと空を見上げた。
曇っているわけではないのに、どこか色の抜けたような白空だった。
「ふーん。五分前には着くタイプなんだな、浅見さんって」
横で神崎が軽口を叩くように言った。
スーツの胸ポケットから、丁寧に折りたたまれた予定表を取り出して、今日の商談の流れを確認している。
「時間にはちゃんとしたいんです。遅れるのも、遅れられるのも…すごく嫌で…」
「真面目だな。でも、そういうとこ……わりと好きだよ、俺は」
神崎は茶化すように笑ったあと、すぐに視線を資料に戻した。
月菜はその何気ない一言に少し戸惑いながらも、表情には出さず、小さく息を吐いた。
D企画。
数か月前にスタートアップとして注目されて以来、急速に案件が増えている注目企業。
この日も、新サービスの導入に向けての打ち合わせで、月菜と神崎は外回りとして来ていた。
特に何かある日、というわけでもなかった。
むしろ、どこにでもあるような普通の仕事の一日。
そのはずだった。
受付を済ませ、案内された応接室は落ち着いた色調でまとめられていた。
ドアが開くと、すでにひとりの男性が中にいた。
「こちらが、弊社の神谷です。今回の件を担当させていただきます。」
案内してくれた社員がそう告げたとき、月菜の視線は、自然とその男性に引き寄せられた。
黒のスーツに身を包み、テーブルの資料に目を通していた彼は、静かに立ち上がった。
そして、顔を上げる。
「……えっ」
聞こえるか聞こえないかの音が口からこぼれる。
胸元に揺れる社員証に記された名前
──神谷 瑛翔。
それを見た途端、足元の温度がすうっと下がっていく気がした。
学生時代よりも落ち着いた髪型。
抑えた色味のネクタイ。
目立たぬように選ばれたような装い。
けれど──その輪郭も、静かな声のトーンも、間違いなかった。
「初めまして。D企画の神谷と申します。本日はよろしくお願いいたします」
瑛翔がそう言って、深く頭を下げたとき
月菜の中の“時間”が、止まった。
名刺を差し出しながら、丁寧に一礼するその声に──
胸が、ぎゅっと締めつけられた。
ビル街の角を曲がったとき、月菜はふと空を見上げた。
曇っているわけではないのに、どこか色の抜けたような白空だった。
「ふーん。五分前には着くタイプなんだな、浅見さんって」
横で神崎が軽口を叩くように言った。
スーツの胸ポケットから、丁寧に折りたたまれた予定表を取り出して、今日の商談の流れを確認している。
「時間にはちゃんとしたいんです。遅れるのも、遅れられるのも…すごく嫌で…」
「真面目だな。でも、そういうとこ……わりと好きだよ、俺は」
神崎は茶化すように笑ったあと、すぐに視線を資料に戻した。
月菜はその何気ない一言に少し戸惑いながらも、表情には出さず、小さく息を吐いた。
D企画。
数か月前にスタートアップとして注目されて以来、急速に案件が増えている注目企業。
この日も、新サービスの導入に向けての打ち合わせで、月菜と神崎は外回りとして来ていた。
特に何かある日、というわけでもなかった。
むしろ、どこにでもあるような普通の仕事の一日。
そのはずだった。
受付を済ませ、案内された応接室は落ち着いた色調でまとめられていた。
ドアが開くと、すでにひとりの男性が中にいた。
「こちらが、弊社の神谷です。今回の件を担当させていただきます。」
案内してくれた社員がそう告げたとき、月菜の視線は、自然とその男性に引き寄せられた。
黒のスーツに身を包み、テーブルの資料に目を通していた彼は、静かに立ち上がった。
そして、顔を上げる。
「……えっ」
聞こえるか聞こえないかの音が口からこぼれる。
胸元に揺れる社員証に記された名前
──神谷 瑛翔。
それを見た途端、足元の温度がすうっと下がっていく気がした。
学生時代よりも落ち着いた髪型。
抑えた色味のネクタイ。
目立たぬように選ばれたような装い。
けれど──その輪郭も、静かな声のトーンも、間違いなかった。
「初めまして。D企画の神谷と申します。本日はよろしくお願いいたします」
瑛翔がそう言って、深く頭を下げたとき
月菜の中の“時間”が、止まった。
名刺を差し出しながら、丁寧に一礼するその声に──
胸が、ぎゅっと締めつけられた。
