キスしたら、彼の本音がうるさい。

百貨店の香水売り場は、柔らかい照明と静かな音楽に包まれていて、
まるで外の世界と少し切り離されたみたいに落ち着いた空気が流れていた。

色とりどりのボトルが並ぶカウンターの前で、
神崎は少し緊張した面持ちでスタッフの説明に耳を傾けている。

「……やっぱり、こういうところって緊張しますね。正直、何がどう違うのか全然わからない」
「最初はそんなものですよ。香りって、“選ぶ”というより、“出会う”ものだと思うので」
「……なるほど。それ、素敵な言い方ですね」

私は笑って、近くに並んでいたいくつかのボトルに目を向けた。
どれも魅力的だけれど、今の私にしっくりくるものはない気がして、自然と手が止まってしまう。

「浅見さんは、普段から同じ香りを使ってるんですよね?」
「はい。……ずっと、変えていないんです」
「じゃあ、それはもう“浅見さんらしさ”になってるんですね。……憧れます」

神崎は少し照れくさそうに言いながら、一本のボトルを手に取った。

「これ、どうですか? ……似合いそうって言われたけど、なんとなく自分っぽくなくて」

私は彼の手元を見て、香りの名前を確認する。
花とウッドが重なるような、静かで落ち着いた印象の香り。

「……ちょっと硬い印象はありますね。でも、使い方次第でやわらかくなりそう」
「やっぱり浅見さんに聞いてよかったです」

笑い合ったその瞬間、
ふと胸の奥に、すこしだけざわつきが走った。

神崎の言葉が優しいことも、
その時間が居心地よかったことも、
全部ちゃんと分かっている。

だけど、どこかで気づいている。

香りという記憶が、私のなかで、まだ過去と強く結びついていることを。

「……そろそろ、帰りますね」
「そうですね。今日はありがとうございました」
「こちらこそ。……じゃあ、また明日」

そう言って、私は静かに神崎と別れた。