ビルを出て、少し歩いた先の通りに、そのカフェはあった。
 二人はガラスの扉を開け、カウンターを抜けて奥のソファ席に腰を下ろした。静かな音楽と柔らかな照明が心地よい。

 やがて、運ばれてきた紅茶の湯気の向こうで、彼が口を開いた。

「そういえば、まだ名前も聞いてなかったね。僕は真鍋彰人。出版社で働いてる」

 出版社――? 同業?

「私は、高梨沙耶。出版系の……IT企業で働いてます。同じ業界ですね。差し支えなければ、どちらの出版社ですか?」

「『アングル』だよ。知ってる?」

 ――えっ。

 沙耶は、一瞬、紅茶のカップを持つ手を止めた。

 知ってる、どころじゃない。うちの親会社じゃない。
 もしかして――。

「わたし、『アンビテック』です。ご存じのとおり『アングル』の子会社です。……すごい偶然ですね」

 真鍋は目を細めて、うれしそうに笑った。

「そうなんだ。それなら、業務では何度か関わってるかもしれないね。僕はデジタルコンテンツの企画とプロモーションをやってるんだけど、『アンビテック』さんにはよくお世話になってるよ」

 ――真鍋。
 その名前、聞いたことがある。確か、メディアコンテンツ室の室長。
 開発部門ではちょっとした“恐れられ役”だ。無茶な納期や要求で「真鍋案件」と呼ばれていたはず。
 でも――目の前のこの人から、そんな冷徹さは感じられない。

「こちらこそ、お世話になっています」
 沙耶は、できるだけ自然に笑って返した。

 まさか、本当に繋がっていたなんて。
 偶然にしてはできすぎている。
 けれど、不思議と嫌な気はしなかった。

 ふたりは、顔を見合わせて小さく笑いあった。
 ほんの少しだけ、距離が近づいた気がした。