ダイニングに洋書を飾る理由 - 厳しすぎる室長が、やたら甘い

 金曜日の夜。
 沙耶と真鍋は、都心の小さなダイニングバーのカウンターに並んでいた。
 グラスに注がれた白ワインが、キャンドルの灯りをぼんやりと映していた。

「この一週間、忙しかったんじゃないですか?」

「うん。まあ、いつも通りかな」

 真鍋はさらりと返す。
 けれど、その“いつも通り”に、どれだけの重さがあるのかを、沙耶は想像していた。

 樋口の言葉が、まだ頭の片隅に残っている。

  少し迷ってから、沙耶は言った。

「……この間、ちょっと聞いたんです。
 真鍋さん、社内では色々な人から一目置かれてるって。
 でも、やり方が目立つぶん、反感もあるって――そういう話」

 真鍋はグラスの縁に指を添えたまま、少し黙った。

「誰から?」

「……名前は言わないでおきます」
 沙耶は、小さく微笑んだ。

 真鍋は、ふっと笑った。

「まあ、事実だよ。
 僕はやり方を変える気はないし、それで離れていく人がいても仕方ないと思ってる」

「どうして、そこまでして変えようとするんですか?」

 問いかけは、自然に出た。
 興味ではない。知りたいと思ったから。

 真鍋は、グラスを置いて、少し遠くを見た。

「昔ね、別の部署にいた頃、何を提案しても“前例がない”で跳ね返されて。
 新しいアイデアを出しても、空気が変わることはなくて……結局、何も変わらなかったことがあった」

 真鍋は、グラスを傾けながら静かに言った。
 視線は少しだけ遠くに向いていた。

「だから、あるとき思ったんだ。
 既存の枠の中で戦っていても、未来は作れないって。
 それで――会社の上層部に掛け合って、メディアコンテンツ室を立ち上げた。
 ちゃんと、デジタルの可能性を追いかけられる場所を、自分の手で作ろうと思って」

 沙耶は、言葉を失った。
 ただ静かに、彼の言葉の一つひとつを噛みしめていた。

「……大変だったんじゃないですか?」

「まあね。味方ばかりじゃなかったし、今も、全部が思い通りにいくわけじゃない。
 でも、“何も変わらなかった頃”よりは、よっぽどいい」

 そう言って、彼は少し笑った。
 その表情には、ほんのわずかに疲れと誇りが混じっていた。

「……私、知らなかったです。
 真鍋さんのこと、わかってたつもりだったけど……ほんの一部しか見てなかったんだなって」

 沙耶がそう言うと、真鍋は沙耶の方を向いた。

「それは、僕も同じだよ。
 沙耶さんの仕事ぶり、最近まで名前すら知らなかった。
 でも、裏で動いてくれてたこと、あとから聞いた。助かったって、開発の子たちが言ってた」

 沙耶は少しだけ、驚いて笑った。

「……仕事では、裏方なので」

「でも、僕は――君のこと、もっと知りたいと思ってる」

 胸の奥が、少しだけ熱くなった。