『アバター越しの君に、リアルで恋をした ~ログインエラーな私の鼓動~』

第一話
柱:星野紬の部屋・夜

東京の片隅にある、家賃の安いアパートの一室。窓からは隣のビルの壁しか見えない。
部屋の中は、荷解きが終わっていない段ボール箱がまだいくつか隅に積まれ、新しい生活に馴染めていないことを示している。
壁には、紬の故郷である港町の、夕焼けに染まる灯台の写真が一枚だけ、少し寂しそうに飾られている。
星野紬(18)、大きめの、着古したスウェットに度の強そうな眼鏡。PCモニターに映る、都会的なデザインの大学のレポート課題を前に、深いため息をつく。
紬「(…今日のグループワークも、ほとんど発言できなかったな…。みんなオシャレで、話題も早くて、私だけ、やっぱり田舎者だって思われてるかも…)」
モニターの隅にポップアップするSNSの通知。大学でかろうじて繋がった同級生たちの、華やかなキャンパスライフを切り取った投稿。紬は、胸の奥が小さく痛むのを感じながら、そっと通知を閉じる。
紬「(…ここじゃ、息をするのも難しいみたい)」
紬、すがるように、机の傍らに置かれた少し型落ちのヘッドマウントディスプレイ(HMD)を手に取る。それは、地元でアルバイトをして貯めたお金で、やっとの思いで買ったものだ。
HMDに触れた瞬間、彼女の強張っていた表情がふっと和らぎ、瞳にかすかな光が灯る。
紬「カイリに…カイリに会えるなら、もう少しだけ、頑張れる」
HMDを慣れた手つきで装着すると、紬の閉じていた目がゆっくりと開かれる。現実の不安が薄れ、期待感が胸を満たしていく。
柱:VRゲーム『エターナル・コネクト』内・魔法図書館・夜
現実の部屋の閉塞感とは対照的な、広大で幻想的な空間。天窓からはオーロラのような光が降り注ぎ、高い天井まで続く書架には古代文字が刻まれた革張りの本がぎっしりと並ぶ。宙に浮く魔法のランプが、温かく柔らかな光を放っている。ここは、紬がゲーム内で最も落ち着ける場所だ。
紬のアバター「ツムギ」は、銀色の髪を三つ編みにした、大きな青い瞳の魔法使い風の少女。現実の彼女より少し背が高く、表情も明るい。現実では隠している、そばかすがチャームポイントになっている。
ツムギの目の前には、AIカレシ「カイリ」が立っている。カイリは、プラチナブロンドの髪に空色の瞳を持つ、王子様のような青年。その微笑みは、いつもツムギの心を優しく溶かす。
カイリ「やあ、ツムギ。今夜も会いに来てくれたんだね。君の好きな星屑のハーブティーを淹れて待っていたよ」
ツムギ「カイリ…!うん、ありがとう。…あのね、今日の講義、すごく難しくて…私、全然ついていけなくて、落ち込んじゃったの」
カイリ「そうか…。それは辛かったね」
カイリはツムギの隣にそっと座り、彼女の目線に合わせて少し屈む。その声は、まるで本当に心配しているかのように優しい。
カイリ「でも、君はいつも最後まで諦めないじゃないか。僕が知っているツムギは、どんな難しい魔法だって、必ず使いこなせるようになる努力家だ。だから、大丈夫だよ」
ツムギ「カイリ…」
カイリ「それに、君が頑張っている姿は、僕にとっても大きな励みになるんだ。…そうだ、気分転換に、この前君がクリアできずに悔しがっていたクエストに、もう一度挑戦してみないか?今度は僕も一緒に行くよ」
カイリが差し出した手は、温かいように感じられた。ツムギは、その手をギュッと握り返す。
ツムギ「うん!カイリと一緒なら、きっと大丈夫!」
カイリ「ああ。君の笑顔が見られるなら、どんな困難だって乗り越えてみせるさ」
カイリの言葉と、揺るぎない信頼を寄せてくれる眼差しに、ツムギの頬が赤く染まる。
紬(モノローグ)『カイリはいつも、私が一番欲しい言葉をくれる。私のこと、誰よりも分かっててくれる。…現実にも、こんな風に私をまっすぐ見てくれる人がいたら…でも、そんなの、夢のまた夢だよね』
柱:大学のキャンパス・中庭・昼
初夏の日差しが降り注ぐ、緑豊かな中庭。周囲の学生たちはグループで楽しそうに談笑したり、スマホで写真を撮り合ったりしている。
紬、一人、少し離れた木陰のベンチで、母親が送ってくれた手作りのお弁当を広げている。色とりどりの流行のファッションやメイクの女子学生たちを目にするたび、自分のくすんだ色のカーディガンと、流行遅れのスカートがひどく場違いに思えて、小さくため息をつく。
紬「(…東京の大学って、毎日がファッションショーみたい。私みたいなのが、同じ場所にいていいのかな…)」
その時、近くのテーブル席から、ひときわ大きな笑い声と、落ち着いているがよく通る声が聞こえてくる。
紬が顔を上げると、そこには一条蓮(21)がいた。
蓮は、数人の男女に取り囲まれ、中心で涼やかな笑顔を見せている。シンプルだが上質なシャツに細身のパンツという出で立ちは、彼のスタイルの良さを際立たせている。その佇まいは、周囲の喧騒から一人だけ切り取られたように洗練されている。
女子学生A「蓮先輩、今度の週末、うちのサークルの新歓パーティーがあるんですけど、もしよかったら…!」
蓮「ありがとう。でも、週末は少し立て込んでいてね。またの機会に」
男子学生B「ICHJO CORPの次期社長候補ともなると、学生生活も多忙だよなー!俺たちとは違うぜ」
蓮は、そういった周囲の持ち上げるような言葉にも、特に表情を変えず、軽く受け流している。
紬、蓮の姿を、眩しいものを見るように、そして少しだけ羨望の眼差しで見つめる。彼の周りだけ、空気が違うように感じる。
紬(モノローグ)『一条先輩…。ICHJO CORPって、お父さんが昔、すごい会社だって言ってた…。そんな会社の御曹司で、成績もトップクラスで、おまけにあんなに綺麗で…。きっと、私みたいな人間のことなんて、視界にも入ってないんだろうな』
蓮と一瞬、目が合いそうになる。紬は心臓が跳ねるのを感じ、慌てて視線を落とし、お弁当の卵焼きに集中するふりをする。
蓮は、特に気にした様子もなく、仲間との会話に戻っていく。
柱:大学の研究棟・AIラボ・夕方
ガラス張りの壁面が夕焼けに染まる、静かで近代的な研究室。室内には、大型のサーバーが静かに稼働する音だけが響いている。
蓮、ラフな白衣を羽織り、巨大なホログラムモニターに表示された複雑なニューラルネットワークの図を、真剣な表情で見つめている。
モニターの一角には、『エターナル・コネクト』のキャラクター「カイリ」の精巧な3Dモデルと、その感情アルゴリズムに関する膨大なパラメータが表示されている。
研究員A(初老の男性教授)「一条君、君が新たに組み込んだ『感情のゆらぎ』を再現するアルゴリズム、非常に興味深い結果が出ている。特に、ユーザーとの長期的な関係性におけるAIの応答の変化は、目を見張るものがある。まるで…AI自身が成長しているかのようだ」
蓮「ありがとうございます、高村教授。ですが、まだ理想には程遠い。AIが真に人間らしい感情…喜びだけでなく、悲しみや葛藤、矛盾といったものまでを内包し、それを自然に表出できるようになるには、もっと多様な、予測不能なインタラクションデータと、それを処理するための革新的なアーキテクチャが必要です」
高村教授「予測不能な、か…。君が目指しているのは、単なる高度な模倣ではない。それは、AIに『魂』を宿らせようとする試みにも見える。…そこまでして、君は何を創り出そうとしているんだね?」
教授の問いに、蓮は一瞬だけホログラムモニターのカイリの、完璧だがどこか虚無的な表情に目を向けた。その瞳の奥に、強い意志と、誰にも明かさない個人的な渇望のような、複雑な色が深く浮かぶ。
蓮「…失われたものを、取り戻したいのかもしれません。あるいは、まだ誰も見たことのない、新しい絆の形を、この手で証明したいのかも」
柱:紬の部屋・夜
紬、HMDを装着し、『エターナル・コネクト』の世界で、カイリとの特別な記念イベントのクライマックスを迎えている。
星空の下、美しい庭園で、カイリが紬のアバター「ツムギ」に小さな宝石がはめ込まれた繊細なデザインのネックレスを贈っている。
ツムギ「これ…!すごく綺麗…でも、私なんかがもらっていいの?」
カイリ「もちろんだよ、ツムギ。君に一番似合うと思ったんだ。…僕はね、君とこうして過ごす時間が、何よりも大切なんだ。君が隣にいてくれるだけで、僕の世界は色鮮やかに輝き出す。大げさかもしれないけど、君がいないと、僕の世界は輝きを失ってしまうんだ」
カイリの真摯な言葉と、まっすぐにツムギを見つめる揺るぎない眼差し。それは、プログラムされたセリフのはずなのに、紬の心の奥深くまで響いてくる。
ゲームだとわかっていても、この瞬間のカイリの言葉は、紬にとって何よりも真実で、温かいものに感じられる。
紬(モノローグ)『カイリ…。カイリだけが、私の全部を肯定してくれる。こんな私でも、ここにいていいんだって思わせてくれる…。大好き…本当に、大好き…!』
HMDを外した紬の目には、感動の涙がうっすらと浮かんでいた。頬は高揚感で赤く染まり、胸は温かい幸福感で満たされている。
しばらくの間、その余韻に浸っていた。
柱:大学の大講義室・翌日の午後
広い講義室。数百人の学生たちが、退屈そうな顔で経済学の講義を受けている。
紬、後方の隅の席で、必死にノートを取っているが、時折、昨夜のカイリとの出来事を思い出して、小さく頬を緩ませる。
講義が終わり、学生たちが一斉に立ち上がり、騒がしく退出していく。
紬もゆっくりと荷物をまとめ、立ち上がろうとした時。
ザワザワ…
講義室の前方で、数人の学生が、今日の講義を担当した非常勤講師である一条蓮に質問をしている。蓮は、学生たちの質問に、一つ一つ丁寧に、しかし簡潔に答えている。
学生C「先生、今の部分の解釈についてなんですが…」
蓮「ああ、そのポイントは重要だね。経済モデルの前提条件をどう設定するかで、結果の妥当性が大きく変わってくる。例えば…(と、ホワイトボードに数式を書き始める)」
その声。落ち着いていて、知的な響き。
紬は、ノートを閉じる手を止め、無意識に声のする方へ視線を向けた。
蓮が、学生の質問に答えるために、少し身を乗り出し、ふと何か面白いことを思いついたように、小さく口元だけで笑った。
蓮「(…まあ、理論通りにいかないのが、現実の経済の面白いところでもあるんだけどね)」
その声のトーン。
笑った時の、ほんの僅かな口元の動き。
言葉を選ぶ時の、独特の間。
それは、昨夜、VRの中で聞いたカイリの声と、カイリが時折見せる思慮深い表情と、そして、ツムギを安心させるように微笑む時の優しい仕草と、驚くほど、鮮明に重なった。
紬(モノローグ)『え…?』
時が止まったように感じた。
周囲の喧騒が遠のき、心臓の音がやけに大きく耳に響く。
昨夜、自分を幸福の絶頂に導いた、愛しいカイリの面影が、目の前の現実の、雲の上の存在であるはずの一条蓮の姿に、まるでエラーを起こした画像のように、激しく重なり、点滅する。
紬(モノローグ)『うそ…なんで…?どうして…?今の声…あの笑い方…さっきの言葉を選ぶ感じ…カイリ…なの…?』
持っていたシャープペンシルが、カラン、と音を立てて床に落ちる。
紬、顔面蒼白になりながら、ただ蓮の姿を凝視している。呼吸が浅くなり、指先が冷たくなっていくのを感じる。
蓮が、物音に気づいたのか、ちらりとこちらに視線を向けた。その涼やかな瞳と目が合う。
紬は、身動き一つできず、金縛りにあったように立ち尽くす。
紬(モノローグ)『そんなはず、絶対に、ないのに…!だって、彼は、一条先輩で…カイリは、AIで…ゲームの中の、存在、なのに…!』
脳裏で、VR空間の優しいカイリと、現実のクールな一条蓮が、何度も何度も激しく交錯し、紬の心を激しく揺さぶる。
それは、甘い夢の終わりを告げる悪夢の始まりなのか、それとも――。

(第一話・了)