〇恋は今朝も相変わらずの満員電車に揺られていた。

【恋モノローグ】
 物損事故を起こして以来、怖くて車には乗れなくなった。
 だからしょうがないけど、やっぱり朝の移動は大変だ。

「グゥゥ。」

 恋(ツラッ! こういう時に限って、お腹が大きな音を立てるんだよね‼)

 〇お腹に空気を入れてから息を止めていると、背中が変な感じがした。

恋(あれ…?)

 〇ヒヤリとした感触がして恋は背中に意識を飛ばした。

恋(誰かの手が今、背中を触った気がしたけど…勘違いかな?)

 〇一歩だけ右側に移動してみた。
 しばらくして、またもや触られるような感触を感じる。

 今度は間違いなく、人間の手のひらが背中を弄っているのが分かった。

恋(痴漢!?)

 〇分かっても、動けないし怖くて声も出せない恋。

恋(悔しい…!)

 〇その時急に、頭の上で怒った声が聞こえた。

青年の声「なぁ、ヤメロよ。」
年配の男の声「な、何がだ?」
青年の声「キショいんだよ変態オヤジが!」
年配の声「は? 知らねーって!」

 〇後ろで揉める声がする。
 
恋(誰?)

 〇首だけを半分ねじ曲げて後ろを見ると、スーツ姿の男を取り押さえている赤髪の礼央が目に入った。

恋「礼央!?」
礼央「誰かスマホで駅員に通報して。次の駅でコイツを降ろすから。」
痴漢「離せ!」

 〇痴漢が暴れようともがいても、礼央の腕はビクともしない。
 むしろ礼央に腕の逆関節を決められた痴漢は、悲鳴を上げて悶絶した。

痴漢「ぐぉぉ!」
礼央「ふざけんな。」

恋(さすがはアスリート!)

 〇次の駅には駅員と警察官が待っているのが見える。
 最後に礼央は痴漢に華麗な内股の技をかけて無理やり降車させた。

恋「技あり、一本!」
礼央「次、俺の女に手ェ出したらこんなモンじゃすまねぇからな。」 
恋「俺の…?」

 ◯礼央の発言に驚く恋。
 あれこれ考えてハッと思いつく。

恋(そっか、礼央は痴漢をやっつけるために彼氏のフリしてくれてるんだ!)

 〇ホームで待ち構えていた駅員に痴漢を引き渡すと、電車の扉が閉まる寸前に礼央が走って乗り込んでくる。
 恋と礼央を乗せた電車が動き出す。

恋「カッコよ!!」

 〇礼央が心配そうに恋に近づいた。

礼央「大丈夫か?」
恋「ありがとう。だいじょぶ。」
礼央「ぜんぜん大丈夫じゃなさそう。顔が赤いし手が震えてる。」

 〇そう言って、恋の両手を握る礼央。
  恋、苦笑い。

恋(いや、それは痴漢のせいだけじゃないんだけど!)

 ♢

 〇乗客の入れ替わりで再び混み始めた車内に礼央が、舌打ちした。

礼央「コッチに来いよ。」
恋「え?」

 〇礼央に腕を引かれて壁際に誘導された恋。
 礼央は恋をガードするように両手を壁についた。

礼央「こうすれば、俺以外はお前に触れないだろ?」

 〇礼央の顔がすごく近い。
 満員電車独特の熱気とは別の熱さを礼央の呼気や腕の体温から感じる。

恋「大学までこの態勢はキツいでしょ?」
礼央「ヘーキ。俺が恋を守りたいだけだから。恋専用ボディガード。」
 
 〇恋は恥ずかしくなってうつむいた。

 【恋モノローグ】
 礼央は優しいし、思ったことを口にするタイプ。
「俺の女」とか「守りたい」とかを、私じゃなくても言えちゃう人。
 頭の中では分かっているのに、優しくされると勘違いしちゃう。

 〇大学駅に着くまでの時間が、とても長く感じた。
 
 ♢ 

 〇放課後、大学の前に停車した送迎バスに乗り込むと、後ろから息を切った礼央が滑り込んできた。

恋「セーフだね。
 今日はもう授業終わり?
礼央「いや。恋を見かけたから追いかけてきたの。」
恋「え、なんで? 急ぎの話でもあったの⁇」
礼央「朝みたいに変な奴に絡まれないように、見守りたくて。」
恋「えー? なにそれ、カッコよ。姫を守る騎士みたいだね。
 あ、でも私は姫ってガラじゃないけど。」
礼央「俺にとっては姫だよ。」

 〇ボケを真面目に返す礼央。恋は気まずい空気を我慢できずに

恋「やだ、どうしちゃったのよ礼央。まさか、私のこと好きなんじゃないでしょうね?」

 〇礼央がビックリした顏をしている。

恋(あれ? こう言えばさすがに、明るく笑い飛ばしてくれると思っていたのに…どーした礼央⁉)

 〇礼央が私を好きだなんて、失礼すぎるしキツイ冗談だったと反省する恋。
 とりあえず笑って誤魔化すことにした。

恋「もー礼央ったら。冗談だよ、本気にし…。」
礼央「そうだよ。」

 礼央は震える声で恋の言葉を遮った。

恋「え?」
礼央「俺、恋のこと好きなんだ。」

 ♢

礼央「覚えていないかな。1年前の夏くらいに、恋に手紙を渡したことがあるんだ。
 陸上の大会の後に。」
恋「手紙…?」

 〇恋はハッとして礼央を見上げた。

恋「まさか!?」

 ♢

 〇(回想~夏の陸上大会)
 高校三年生最後の陸上記録大会。
 陸上トラックから蜃気楼が立ち昇る暑い夏。

 大会終了後、トラックの横にある施設の控室に向かう廊下で、部活の応援に来た松葉杖姿の恋が、後ろから見知らぬ他校のは男子(礼央)に呼び止められる。

礼央(高校生)「すみません、葉奈乃 恋さんですよね?」
恋(高校生)「そうですけど…あ、もしかしてまた私やっちゃいました?」
礼央(高校生)「?」
恋(高校生)「私、いつも要領が悪くて知らない間に誰かに迷惑をかけてしまうんですよね。すみません。」
礼央「…ことない。」
恋「え?」
礼央(高校生)「そんなこと無い! 君はいつも一生懸命で、頑張り屋なだけだ!!」

 ◯他校の男子の勢いに驚く恋。

恋「なんか、ありがとうございます…。」
礼央「…。」

 ◯他校の男子は恋に手紙を押し付けるように渡して、ガンダッシュで立ち去る。
 その後ろ姿を呆然と見送る恋。

 【恋モノローグ】
 そういえばアレがおそらく最初で最後のモテ期だった。
 手紙にはシンプルに「一生懸命な姿が好きです」としか書いていなくて、名前も住所も書いてなかったから返事もできなかったんだよね。

 (〜回想終わり)

 ♢ 

 〇送迎バスから降りた恋と礼央。
 駅前の小さな公園に立ち寄る。

恋「まさか、あの奥ゆかしくて可愛かった男子が礼央だったの⁉
 私より小さかったから後輩だと思ってた!」
礼央「俺、高三から一年間で十五センチも伸びたんだ。」

 〇礼央は恥ずかしそうに前髪をかき上げて目を潤ませた。

恋「でも、なんでこんな私を? 私たち一度も喋ったこともなかったのに。」
礼央「最初見たのは足にギブスつけた車椅子姿だった。練習試合の時は結構良い記録出すのに、大会になるといつも怪我で棄権していたから、可哀想だなって思って見てた。」
恋「そーなの。とことんツイてない女なの。」
礼央「でも、会場には必ず来てたよな。
 松葉杖つきながら全力で仲間を応援する恋の姿を、気づいたら目で追うようになってたんだ。」

恋(高校時代の黒歴史だと思っていた過去を気にかけてくれた人が居たなんて!)

 〇礼央の告白を聞いているうちに、急に恋の胸は鼓動が早まる。

礼央「それから北東中の友だちから恋の進学先聞いて、絶対に同じ大学行こうって決めた。
 でも、同じ学科になったのに全然気づいてくれないから髪染めたり派手な格好したんだ…ん、よく考えたら俺、ストーカーみたいだな。」
恋「それでその赤髪に…ッ?」

恋(ちょっと頑張る方向性がズレているような気がするけど、真面目な礼央らしい!)

礼央「恋の頑張る姿が好きで、いつも遠くから応援したかった。
 でも、もう待ちたくない。」

 〇礼央ははにかんだ笑顔で押し黙る恋を見つめた。

礼央「ねぇ、俺を選んでよ。」

【恋モノローグ】
 嬉しい…けど…。

恋「ごめんなさい。」
礼央「俺じゃ、やっぱダメか。」

 〇目を赤くして涙をこらえる礼央。
  恋は目をそらせながら謝る。

恋「礼央のことは好きだけど、友だち以上には思えない…。」
礼央「じゃあ、いちばんの男友だちにしてくれる?」
恋「うん。」
礼央「良かった。」

 〇ホッとした礼央は恋を抱きしめる。
 
恋「⁉」
礼央「これで最後にするから、今日だけは許して。」

 〇抱きしめられながら空を見上げる恋。
 公園の横に信号待ちをしている黒塗りのメクサスには気づかなかった。