藤原は、身体障害者用の車いすの開発に力を入れている。わずかな力で方向転換ができ、スムーズにブレーキが踏める「藤原3号」という車いすが、介護をしているヘルパー達から人気を呼び、注目を集めていた。「藤原3号」なら、これまで、ヘルパーが押してあげなければならなかった利用者が、単独で運転し、移動することが可能になった。画期的な開発なのだ。
祖母を病院に連れて行く時、院内では車いすだったので、楽に動かせる車いすは魅力的だ、と春奈は思った。
藤原さん、すごいことしてるんだな…
初めて異性を意識した人が、立派な人で嬉しいが、うんと遠い世界にいるようで、ため息が出てしまう。
「これ、どうしよう…」
テーブルに、またしても藤原からのメモを置き、考える。
これまでも、いきなり電話して失礼じゃないかな、などと考えていたけれど、藤原の経歴を知って、とても気軽に電話できない、と思った。
逆に、藤原ほどの人が、自分にメモをくれたのが意外だ。
どういうつもり、だったのかな…。
そこまで考えて、ピンポン、と玄関のチャイムが鳴った。時計の針は午後8時を過ぎていた。こんな時間に誰だろう。
そう思って玄関へ出向くと、インターホンから、声が聞こえた。
「春奈、いるんでしょ。私よ」
甲高い声がして、春奈は、ほんの少しだけ、躊躇した。
これはやっぱり…アレだろうな。
「秋江おばさん、こんばんわ」
春奈がドアを開けると、秋江は、かって知ったるという体で、春奈の家にあがった。
「悪かったわね、食事中、だった?」
秋江は、ツイードのジャケットにスカーフを合わせて、髪の毛を巻き髪にしている。ばちっと開いた目はつけまつげに縁どられ、それだけでもインパクトがある外見だった。
「いえ。全然です」
春奈は、藤原を検索していたスマホ画面をひっくり返し、テーブルに置いた。
リビングのソファに、秋江は、すすめる前に腰をおろした。
「今日は、ミネさんは?」
「あ、今日はお休みなんです」
「そう?まあ、ちょうどよかったかしら。春奈、あなた、お茶くらい入れられるようになった?」
「はい…」
まだ得意とは言えないので、小声になってしまう。
「そう。よかったわ。アールグレイを入れてちょうだい」
春奈は、なんとか、アールグレイのティーパックを探し出し、お茶を入れ、叔母の秋江に差し出した。
「ありがとう。…顔色がいいわね。ちゃんと食べてる?」
「そうですね。以前より食べるようになったし。バイトに行くので、健康的になりました」
「いいことよ。前は、この子、社会に出れるのかなあ、なんて心配してたもの。まあ、以前は、別の意味で大変だったかもしれないけど、こうやって普通に働いてみるのも、いいでしょう?」
「はい。なかなか新鮮です」
秋江はうんうん、と頷いた。赤い口紅を塗った唇がにっと口角をあげる。
「春奈がそうやって頑張っているから…私も、プレゼントを持ってきたのよ」
秋江は、ハンドバックとは別に紙袋を持ってきていた。そこから、すっと現れたのは、立派な台紙で作られた見合い写真だった。
「ね、なかなかハンサムだし、大手の会社のエースらしいわよ。こんないい話、なかなかないと思うの」
見合い写真を広げて、春奈に差し出す。
写真の中では、眼鏡をかけたおとなしそうな男性が、薄く微笑んでいた。
「あの、叔母さん、私、お見合いはちょっと」
これまでも、秋江からの見合い話を、春奈はどうにか、かわして来ていた。
「だめよ。今度こそ会ってもらうわ。本当に、いいお話なのよ。次男だし、春奈の負担も少ないわよ。結婚しても仕事していい、と言ってくださってるけど、せっかくだから専業主婦でもいいじゃない。家事ができないなら、週に何日か、ミネさんに来てもらってもいいし。まあ、そういう細かいことは、旦那さんになる人と、決めればいいわ。
でも、なかなかない、いいお話よ。乗らない選択肢はないわよ」
そこまで言って、秋江は、ぐいっと紅茶を飲んだ。
「もう日取りも決まってるの。来週の日曜日。11時から。中崎ホテルの料亭を予約してるから。
できれば着物がいいけど、ミネさんと相談して、ちゃんとした服を着てきてちょうだいね。ふう。お茶、ご馳走様」
そこまで一気に喋ると、秋江は、ソファから立ち上がった。
「ちゃんと来るのよ。あなたは、お情けでここに住まわせてもらってるって、わかってるでしょ?」
ずい、と秋江は、春奈の顔に自分の顔を近づけて言った。
「…はい」
春奈は、心の中でため息をつきながら、頷くしかなかった。それを確認すると、秋江はもうここにいる理由はない、とばかりに足早に出て行ってしまった。
秋江が来ると、別に散らかされたわけではないのに、部屋が大きく乱れた気がする。
「台風みたい」
春奈は、自分用にいれた紅茶を飲みながら、見合いか…と呟いた。
「で、そのおばさんって、なんでそんなに春奈に見合いさせようとするんだっけ」
秋江の嵐が去った後、友恵からスマホに電話がかかってきた。明日は、東町の中華屋さんにランチに行こう、という他愛ない用事だったが、春奈が微妙に疲れた声を出していたので、何があったの?と訊かれ、春奈は秋江の話をしたのだった。
「ええと、ほら、秋江叔母さんは、おばあちゃんの娘なわけで、私が住んでいるこの一軒家も、相続してるのね」
「はあ」
「で、叔母さん的には、この家を改装して、古民家風レストランを経営したいんだって。だから、この家に居座ってる形になってる、私が邪魔なの」
「それって…おかしくない?おばあちゃんの介護をやったのは春奈でしょ。その叔母さん、おばあちゃんが亡くなってから、海外から帰ってきたんだったよね。ろくに協力もしていないくせに何なの?」
「孫には遺産相続権がないから…おばあちゃんの遺産が欲しいわけじゃないからいいんだけど」
「それにしたって…おばさんの目論見としては、春奈を見合い結婚させて片づけて、自分は古民家風レストランとやらをやるつもりなのね」
「うん。そうなの。だから見合いをせかすんだと思う。でも、私はまだおばあちゃんの思い出がいっぱいあるこの家を大事にしたいんだよね…だから…見合いはしても、断ろうと思う。っていうか、向こうからも断られたい。断られるにはどうしたらいいかなあ」
春奈も自分で考えたが、なかなかいいアイデアが思いつかなかったのだ。
うーん…と友恵が考えている空気が伝わってきた。自分のために、一生懸命考えてくれる友人がいるとは、なんてありがたいんだろう、と改めて思う。
「なんか…わかりやすく粗相をする、とか」
「そそう」
「そう…お茶碗ひっくり返すとか、正座した足が痺れてコケるとか…」
「友恵、それって私、わざとじゃなくても実際にやりそう」
そうよね!と、友恵と一緒に笑う。
「そうね、春奈だったら、割と普通にしていれば、最終的にうまくいかないかもね」
「うん。そんな気がしてきた…」
「じゃあさ、うんと綺麗な恰好していきなさいよ。その方が、失敗した時のギャップがあってダメージが大きくなるから」
祖母を病院に連れて行く時、院内では車いすだったので、楽に動かせる車いすは魅力的だ、と春奈は思った。
藤原さん、すごいことしてるんだな…
初めて異性を意識した人が、立派な人で嬉しいが、うんと遠い世界にいるようで、ため息が出てしまう。
「これ、どうしよう…」
テーブルに、またしても藤原からのメモを置き、考える。
これまでも、いきなり電話して失礼じゃないかな、などと考えていたけれど、藤原の経歴を知って、とても気軽に電話できない、と思った。
逆に、藤原ほどの人が、自分にメモをくれたのが意外だ。
どういうつもり、だったのかな…。
そこまで考えて、ピンポン、と玄関のチャイムが鳴った。時計の針は午後8時を過ぎていた。こんな時間に誰だろう。
そう思って玄関へ出向くと、インターホンから、声が聞こえた。
「春奈、いるんでしょ。私よ」
甲高い声がして、春奈は、ほんの少しだけ、躊躇した。
これはやっぱり…アレだろうな。
「秋江おばさん、こんばんわ」
春奈がドアを開けると、秋江は、かって知ったるという体で、春奈の家にあがった。
「悪かったわね、食事中、だった?」
秋江は、ツイードのジャケットにスカーフを合わせて、髪の毛を巻き髪にしている。ばちっと開いた目はつけまつげに縁どられ、それだけでもインパクトがある外見だった。
「いえ。全然です」
春奈は、藤原を検索していたスマホ画面をひっくり返し、テーブルに置いた。
リビングのソファに、秋江は、すすめる前に腰をおろした。
「今日は、ミネさんは?」
「あ、今日はお休みなんです」
「そう?まあ、ちょうどよかったかしら。春奈、あなた、お茶くらい入れられるようになった?」
「はい…」
まだ得意とは言えないので、小声になってしまう。
「そう。よかったわ。アールグレイを入れてちょうだい」
春奈は、なんとか、アールグレイのティーパックを探し出し、お茶を入れ、叔母の秋江に差し出した。
「ありがとう。…顔色がいいわね。ちゃんと食べてる?」
「そうですね。以前より食べるようになったし。バイトに行くので、健康的になりました」
「いいことよ。前は、この子、社会に出れるのかなあ、なんて心配してたもの。まあ、以前は、別の意味で大変だったかもしれないけど、こうやって普通に働いてみるのも、いいでしょう?」
「はい。なかなか新鮮です」
秋江はうんうん、と頷いた。赤い口紅を塗った唇がにっと口角をあげる。
「春奈がそうやって頑張っているから…私も、プレゼントを持ってきたのよ」
秋江は、ハンドバックとは別に紙袋を持ってきていた。そこから、すっと現れたのは、立派な台紙で作られた見合い写真だった。
「ね、なかなかハンサムだし、大手の会社のエースらしいわよ。こんないい話、なかなかないと思うの」
見合い写真を広げて、春奈に差し出す。
写真の中では、眼鏡をかけたおとなしそうな男性が、薄く微笑んでいた。
「あの、叔母さん、私、お見合いはちょっと」
これまでも、秋江からの見合い話を、春奈はどうにか、かわして来ていた。
「だめよ。今度こそ会ってもらうわ。本当に、いいお話なのよ。次男だし、春奈の負担も少ないわよ。結婚しても仕事していい、と言ってくださってるけど、せっかくだから専業主婦でもいいじゃない。家事ができないなら、週に何日か、ミネさんに来てもらってもいいし。まあ、そういう細かいことは、旦那さんになる人と、決めればいいわ。
でも、なかなかない、いいお話よ。乗らない選択肢はないわよ」
そこまで言って、秋江は、ぐいっと紅茶を飲んだ。
「もう日取りも決まってるの。来週の日曜日。11時から。中崎ホテルの料亭を予約してるから。
できれば着物がいいけど、ミネさんと相談して、ちゃんとした服を着てきてちょうだいね。ふう。お茶、ご馳走様」
そこまで一気に喋ると、秋江は、ソファから立ち上がった。
「ちゃんと来るのよ。あなたは、お情けでここに住まわせてもらってるって、わかってるでしょ?」
ずい、と秋江は、春奈の顔に自分の顔を近づけて言った。
「…はい」
春奈は、心の中でため息をつきながら、頷くしかなかった。それを確認すると、秋江はもうここにいる理由はない、とばかりに足早に出て行ってしまった。
秋江が来ると、別に散らかされたわけではないのに、部屋が大きく乱れた気がする。
「台風みたい」
春奈は、自分用にいれた紅茶を飲みながら、見合いか…と呟いた。
「で、そのおばさんって、なんでそんなに春奈に見合いさせようとするんだっけ」
秋江の嵐が去った後、友恵からスマホに電話がかかってきた。明日は、東町の中華屋さんにランチに行こう、という他愛ない用事だったが、春奈が微妙に疲れた声を出していたので、何があったの?と訊かれ、春奈は秋江の話をしたのだった。
「ええと、ほら、秋江叔母さんは、おばあちゃんの娘なわけで、私が住んでいるこの一軒家も、相続してるのね」
「はあ」
「で、叔母さん的には、この家を改装して、古民家風レストランを経営したいんだって。だから、この家に居座ってる形になってる、私が邪魔なの」
「それって…おかしくない?おばあちゃんの介護をやったのは春奈でしょ。その叔母さん、おばあちゃんが亡くなってから、海外から帰ってきたんだったよね。ろくに協力もしていないくせに何なの?」
「孫には遺産相続権がないから…おばあちゃんの遺産が欲しいわけじゃないからいいんだけど」
「それにしたって…おばさんの目論見としては、春奈を見合い結婚させて片づけて、自分は古民家風レストランとやらをやるつもりなのね」
「うん。そうなの。だから見合いをせかすんだと思う。でも、私はまだおばあちゃんの思い出がいっぱいあるこの家を大事にしたいんだよね…だから…見合いはしても、断ろうと思う。っていうか、向こうからも断られたい。断られるにはどうしたらいいかなあ」
春奈も自分で考えたが、なかなかいいアイデアが思いつかなかったのだ。
うーん…と友恵が考えている空気が伝わってきた。自分のために、一生懸命考えてくれる友人がいるとは、なんてありがたいんだろう、と改めて思う。
「なんか…わかりやすく粗相をする、とか」
「そそう」
「そう…お茶碗ひっくり返すとか、正座した足が痺れてコケるとか…」
「友恵、それって私、わざとじゃなくても実際にやりそう」
そうよね!と、友恵と一緒に笑う。
「そうね、春奈だったら、割と普通にしていれば、最終的にうまくいかないかもね」
「うん。そんな気がしてきた…」
「じゃあさ、うんと綺麗な恰好していきなさいよ。その方が、失敗した時のギャップがあってダメージが大きくなるから」



