春奈とも二人でよくしゃべっていたようだし、ルリさんの同行は問題ない、と思っていた。しかし、春奈は体調が悪い、とこの車には乗らなかった。
さっきホテルで別れた春奈の表情を思い出す。本当に具合が悪そうで、心配だった。
展覧会で絵を見ることを楽しみにしていたのに。
助手席に春奈がいないのが寂しい。ルリと他愛ない話をしながらも、考えているのは春奈のことばかりだ。
兄の雄一には、トークショーとバーティのどちらにも出席すると伝えてあったが、パーティは途中で抜けることにしよう。
後部座席のルリさんの隣には、雄一の絵がケースに入ったまま置かれていた。
「これ、なあに?」
自分の席の横にあったので。ルリさんも不思議に思ったのだろう。
「ああ、雄一が描いた絵ですよ。うちの庭に埋められていたんです。まだ雄一が画廊を始める前、描いていた絵で、雄一も無くなったと探してたんですよ。持って行ったら喜ぶだろう、と春奈と一緒に届けに来たんです」
「庭に埋められて…その絵は無事だったの?」
「ええ、結構丁寧にビニールシートがぐるぐる巻かれていて、絵は大丈夫でした。でも、もっと時間が経っていたらどうだったかな。たまたま俺のタイムカプセルを探したら出てきたからよかった」
「そう…肌の色がくすむといけないものね。でも、どうして庭に埋められたりしてたのかしら」
「そこなんですよ。雄一も気に入ってる絵だったから、探してたのを俺も知ってたんです。
一体誰が埋めたのか…」
「絵を埋めた犯人は、雄一を懲らしめたかったのかしら」
「どうでしょうね…懲らしめたい割りには、浅いところに埋められてましたよ。俺のタイムカプセルのすぐ横に。まるで誰かに見つけてほしそうだった」
「そう…何にせよ、雄一に返せるのは、よかったわね」
「ええ。全くです」
俺は、ひとつ気になることを感じながら、車を走らせた。
ルリさんは、列車で会った時よりも口数が少なかった。やはり元彼に会うのには気が重いのだろうか。十年近く経っていて、懐かしいかと思ったのだが。
ほどなくして、車は展覧会会場についた。絵が飾ってあるホールの隣で、トークショーの飾り付けがスタッフの手でやられている。トークショーまで後2時間ある。最初は春奈とこのまま、展示してある絵を観に行くつもりだったが、ルリさんが一緒であることで、流れが変わった。
「ルリさん、兄に挨拶に行きませんか。俺も、絵を渡しに行くので」
「え、ええ…」
気まずそうにルリさんは返事をした。昔つきあっていた彼氏と、仕事とは言え対面するのだ。胸がざわつくこともあるだろう。
「あの…本当に私の彼氏のフリをしてくれるの」
目を伏せたまま、ルリさんは言った。
「いえ。気が変りました。大事な話があるので、そんな茶番を打つ暇は無さそうです」
「そう…」
さっきは約束したじゃない、と息まくかと思っていたが、この会場に来てからルリさんはすっかりナーバスになっている。
「鮎川ひろみのメイクの時間もあるでしょうし、すぐに兄に会いに行きましょう」
会場にいたスタッフに兄の居場所をきくと、パーティでスピーチする原稿を応接室でチェックしているという話だった。そこには一人でいるらしい。
ちょうどよかった。込み入った話ができそうだ。
俺は応接室の場所を聞き、ルリさんと向った。
応接室は、会場の裏手にあり、人気がなかった。もともと兄は、静かなところが好きなタイプだ。今日のようなトークショーやパーティは苦手な部類に入る。しかし、画廊をやっている手前、そんな事は言ってられないのだろう。
俺は、絵の入ったケースを持つのとは反対の手で、応接室のドアをノックした。
「どうぞ」
兄の声がして、俺はドアを開けた。
「兄貴。久しぶり」
「おお、敏樹か。よく来たな…と」
俺の後ろにいる、ルリさんに気づいたようだ。
「お久しぶり、雄一」
「ああ…鮎川ひろみのメイクで来てるんだったな。すごいな、メイクアップアーティストの夢を叶えたんだな」
よどみなく、兄は言った。兄はルリさんと別れた当初は、辛そうにしていた。しかし、もう十年以上前の話であり、兄も結婚して落ち着いている。兄は静かな男だが、動じない男でもあった。それを知っているから、ルリさんは俺に彼氏のフリを、なんて頼んだのだろう。
「夢…そうね、叶ったわね。…あなたと共に歩む夢は叶わなかったけど」
冷たい表情でルリさんは言った。
「…すまない。俺は不器用で、画廊になることと、君のことを一緒に考えることができなかった。どうしても海外で画廊になる足がかりを作る必要があったんだ。メイクの勉強を東京でしたかった君に、仕事を捨てさせてまでついて来させる気にはなれなくて...」
「…知ってるわ。当時もそう言ってたじゃない」
「ルリ…」
沈黙が流れた。俺がいなかった方が、ルリさんは本音をぶつけたりできたのだろうか。
だが、俺がいてもいなくても、ルリさんはこんな風に態度を固くしたような気がする。
目を伏せたルリさんを、兄はずっと見つめていた。
別れた元彼女に、これ以上どう声をかければいいいのかわからない、そんな風に見えた。
そして。ルリさんが口を開いた。
「雄一こそ、画廊になる夢を叶えて、成功してるのね。私はメイクアップアーティストになるのに辛酸を舐めたけど、あなたは違ったでしょうね」
ルリさんの言葉を聞きながら、やはり牙を向かずにはいられなかったか、と思った。
「あなたは藤原サイクルの御曹司で、私とは住む世界が違ったのよ。もっと早くそのことに気づくべきだったわ」
ふたたび沈黙が流れる。兄は言い訳がましいことは言うまい、と決めているようだった。
二人の道は違った。それは第三者である俺にもよくわかった。
このままだとルリは言いたくもない言葉で兄をなじるかもしれない。
俺は、今がタイミングだな、と話をすることにした。
「兄貴、うちの庭に埋められていた絵のことだけど」
俺は、ケースから絵を取り出した。ビニールをはがし、キャンバスを手にして、兄に渡した。
「ああ…まさしく俺の絵だよ。…ずっと探してた」
「嘘よ」
ルリさんが鋭い声を出した。
「そんな絵、雄一には必要なかったじゃない。もし持ってたら捨ててたと思う。あの別れる前は、この絵を見向きもしなかった」
自分が描かれた絵のことを、ルリさんはそんな風に思っていたらしい。
「それは違う。この絵は俺の画家としての最高傑作なんだ。俺は大事にしようと思ってた。例え別れようとしている彼女を描いたものでも、手放すつもりはなかった」
「嘘…嘘よ」
ルリさんは、伏せていた顔をあげて、きっと兄を睨んだ。
「あなたは、あの時、私のことも、この絵もいらなくなってた。だから私は」
そこまで言ってルリさんは言葉を詰まらせた。
俺は、真実を言い渡す瞬間がきたと思い、言った。
「この絵を…庭に埋めたのは、ルリさん、あなたですね」
兄が、はっとした顔をして、ルリさんを見た。
さっきホテルで別れた春奈の表情を思い出す。本当に具合が悪そうで、心配だった。
展覧会で絵を見ることを楽しみにしていたのに。
助手席に春奈がいないのが寂しい。ルリと他愛ない話をしながらも、考えているのは春奈のことばかりだ。
兄の雄一には、トークショーとバーティのどちらにも出席すると伝えてあったが、パーティは途中で抜けることにしよう。
後部座席のルリさんの隣には、雄一の絵がケースに入ったまま置かれていた。
「これ、なあに?」
自分の席の横にあったので。ルリさんも不思議に思ったのだろう。
「ああ、雄一が描いた絵ですよ。うちの庭に埋められていたんです。まだ雄一が画廊を始める前、描いていた絵で、雄一も無くなったと探してたんですよ。持って行ったら喜ぶだろう、と春奈と一緒に届けに来たんです」
「庭に埋められて…その絵は無事だったの?」
「ええ、結構丁寧にビニールシートがぐるぐる巻かれていて、絵は大丈夫でした。でも、もっと時間が経っていたらどうだったかな。たまたま俺のタイムカプセルを探したら出てきたからよかった」
「そう…肌の色がくすむといけないものね。でも、どうして庭に埋められたりしてたのかしら」
「そこなんですよ。雄一も気に入ってる絵だったから、探してたのを俺も知ってたんです。
一体誰が埋めたのか…」
「絵を埋めた犯人は、雄一を懲らしめたかったのかしら」
「どうでしょうね…懲らしめたい割りには、浅いところに埋められてましたよ。俺のタイムカプセルのすぐ横に。まるで誰かに見つけてほしそうだった」
「そう…何にせよ、雄一に返せるのは、よかったわね」
「ええ。全くです」
俺は、ひとつ気になることを感じながら、車を走らせた。
ルリさんは、列車で会った時よりも口数が少なかった。やはり元彼に会うのには気が重いのだろうか。十年近く経っていて、懐かしいかと思ったのだが。
ほどなくして、車は展覧会会場についた。絵が飾ってあるホールの隣で、トークショーの飾り付けがスタッフの手でやられている。トークショーまで後2時間ある。最初は春奈とこのまま、展示してある絵を観に行くつもりだったが、ルリさんが一緒であることで、流れが変わった。
「ルリさん、兄に挨拶に行きませんか。俺も、絵を渡しに行くので」
「え、ええ…」
気まずそうにルリさんは返事をした。昔つきあっていた彼氏と、仕事とは言え対面するのだ。胸がざわつくこともあるだろう。
「あの…本当に私の彼氏のフリをしてくれるの」
目を伏せたまま、ルリさんは言った。
「いえ。気が変りました。大事な話があるので、そんな茶番を打つ暇は無さそうです」
「そう…」
さっきは約束したじゃない、と息まくかと思っていたが、この会場に来てからルリさんはすっかりナーバスになっている。
「鮎川ひろみのメイクの時間もあるでしょうし、すぐに兄に会いに行きましょう」
会場にいたスタッフに兄の居場所をきくと、パーティでスピーチする原稿を応接室でチェックしているという話だった。そこには一人でいるらしい。
ちょうどよかった。込み入った話ができそうだ。
俺は応接室の場所を聞き、ルリさんと向った。
応接室は、会場の裏手にあり、人気がなかった。もともと兄は、静かなところが好きなタイプだ。今日のようなトークショーやパーティは苦手な部類に入る。しかし、画廊をやっている手前、そんな事は言ってられないのだろう。
俺は、絵の入ったケースを持つのとは反対の手で、応接室のドアをノックした。
「どうぞ」
兄の声がして、俺はドアを開けた。
「兄貴。久しぶり」
「おお、敏樹か。よく来たな…と」
俺の後ろにいる、ルリさんに気づいたようだ。
「お久しぶり、雄一」
「ああ…鮎川ひろみのメイクで来てるんだったな。すごいな、メイクアップアーティストの夢を叶えたんだな」
よどみなく、兄は言った。兄はルリさんと別れた当初は、辛そうにしていた。しかし、もう十年以上前の話であり、兄も結婚して落ち着いている。兄は静かな男だが、動じない男でもあった。それを知っているから、ルリさんは俺に彼氏のフリを、なんて頼んだのだろう。
「夢…そうね、叶ったわね。…あなたと共に歩む夢は叶わなかったけど」
冷たい表情でルリさんは言った。
「…すまない。俺は不器用で、画廊になることと、君のことを一緒に考えることができなかった。どうしても海外で画廊になる足がかりを作る必要があったんだ。メイクの勉強を東京でしたかった君に、仕事を捨てさせてまでついて来させる気にはなれなくて...」
「…知ってるわ。当時もそう言ってたじゃない」
「ルリ…」
沈黙が流れた。俺がいなかった方が、ルリさんは本音をぶつけたりできたのだろうか。
だが、俺がいてもいなくても、ルリさんはこんな風に態度を固くしたような気がする。
目を伏せたルリさんを、兄はずっと見つめていた。
別れた元彼女に、これ以上どう声をかければいいいのかわからない、そんな風に見えた。
そして。ルリさんが口を開いた。
「雄一こそ、画廊になる夢を叶えて、成功してるのね。私はメイクアップアーティストになるのに辛酸を舐めたけど、あなたは違ったでしょうね」
ルリさんの言葉を聞きながら、やはり牙を向かずにはいられなかったか、と思った。
「あなたは藤原サイクルの御曹司で、私とは住む世界が違ったのよ。もっと早くそのことに気づくべきだったわ」
ふたたび沈黙が流れる。兄は言い訳がましいことは言うまい、と決めているようだった。
二人の道は違った。それは第三者である俺にもよくわかった。
このままだとルリは言いたくもない言葉で兄をなじるかもしれない。
俺は、今がタイミングだな、と話をすることにした。
「兄貴、うちの庭に埋められていた絵のことだけど」
俺は、ケースから絵を取り出した。ビニールをはがし、キャンバスを手にして、兄に渡した。
「ああ…まさしく俺の絵だよ。…ずっと探してた」
「嘘よ」
ルリさんが鋭い声を出した。
「そんな絵、雄一には必要なかったじゃない。もし持ってたら捨ててたと思う。あの別れる前は、この絵を見向きもしなかった」
自分が描かれた絵のことを、ルリさんはそんな風に思っていたらしい。
「それは違う。この絵は俺の画家としての最高傑作なんだ。俺は大事にしようと思ってた。例え別れようとしている彼女を描いたものでも、手放すつもりはなかった」
「嘘…嘘よ」
ルリさんは、伏せていた顔をあげて、きっと兄を睨んだ。
「あなたは、あの時、私のことも、この絵もいらなくなってた。だから私は」
そこまで言ってルリさんは言葉を詰まらせた。
俺は、真実を言い渡す瞬間がきたと思い、言った。
「この絵を…庭に埋めたのは、ルリさん、あなたですね」
兄が、はっとした顔をして、ルリさんを見た。



