「わかったわ。三時ね。本当にありがとう」
細いうなじを見せて、女性は自分の客室の方に歩いて行った。
春奈が客室に戻ると、藤原が目を覚ましていた。
「いないから、慌てたよ」
「ごめんなさい。さっき列車が止まったでしょう。お土産を買ってたんです。もちろん藤原さんの分もあります」
何、ときかれて塩豆大福、と言うと、藤原は、目を輝かせた。お土産にならないな、と言いながら、お互い和菓子を楽しんだ。客室にな飲み物の入った冷蔵庫もあって、カラになったら補充してもらえるそうだ。ペットボトルの緑茶を二人で飲んだ。
「昼間、こんなにのんびりするのは、久しぶりだな」
「いつも忙しいから、たまにはゆっくりしないと。藤原さんの身体が心配です」
「そんなこと言って。自分だって、根を詰めて絵を描いてたじゃないか。ふらふらになるまでやってたから心配してたんだぞ」
藤原は、心配しながらも邪魔しないよう、見守ってくれていたんだと胸の内が温かくなった。
「ありがとうございます。絵が仕上がったのは、そんな藤原さんの目に見えないサポートもあったからです。…仕事が一つ片付いてる今、すごく身体が軽いです。もやもやしてることが、何もない感じ。気持ちいい」
「そんな時は、俺だったらビールを飲むね。春奈さんが飲めないのが残念だ」
「ふふ。緑茶で酔おうと思います」
車窓の向こう側には、川が流れ、空は快晴で、清々しい。藤原と他愛のない話をしながら、時間が過ぎていく。
今まで、いつも朝の慌ただしい時間や、眠る前のちょっとした時間しか過ごせなかった。春奈が絵を描きだしてからはその時間さえ少なかった。その分を取り戻すように語り合った。
気が付けば三時になった。
「あ、私行かないと」
何故という顔をした藤原に、さっきのピンク頭の女性の話をする。藤原は、じゃあその間、本でも読んでいようと言うので、春奈は、一人客室を出た。
しばらく進むと、客室とはまた違った趣で整えられたカフェスペースが現れた。客室は重厚な高級感があるが、カフェは明るい白を基調とした、さっぱりとした空間だった。二三人の客と、窓際の席に座るピンク色の髪の毛の女性が見えた。
「すみません、遅くなりました」
後ろから声をかけると、女性が振り返って、にっこり笑った。
「さっきはありがとうございました。これ」
紙を丁寧に折りたたんでポチ袋のようにされたものを差し出される。和菓子の代金だろう。
いえそんな、と立ち去ろうとした春奈に、女性は言った。
「よかったら、お茶、ご一緒しませんか。ここの紅茶なかなか美味しいです」
「え、本当ですか」
実は密かにこのカフェでお茶したいな、と思っていたのだ。厳選されただろう茶葉に興味がある。それに、目の前の女性とも話してみたい気持ちがあった。
じゃあ、お邪魔します、と向かいの席に座る。すぐに係の人が来て、オーダーをとっていく。
女性は朗らかに言った。
「この列車の旅にはおひとりで?」
「いえ、えーと、婚約者と、です」
契約結婚の体裁をとっているだけなので、言葉を選んだ。よく考えると婚約者と言っていいのかもわからない。けれど、恋人です、というのも違う気がする。
「わあ、いいですね。私は一人旅なんです。でも、まあ自由を満喫してるけど。満喫しすぎてさっきお財布忘れちゃった」
くすくす笑う女性に、春奈も微笑んだ。
「和菓子、美味しかったですね。桜餅食べられました?」
「食べた食べた。職業柄、太れないんだけど、旅行の時はいいかなって。でも、桜餅一個で我慢して。日持ちしそうだから他のは自宅で食べようかな」
「職業柄…モデルさんとかですか」
女性が美しいので、思わずきいてしまった。女性は、まさかあと笑った。
「もっと裏方なのよ。確かにモデルさんと仕事することもあるかな。メイクアップアーティストなの」
「わ、すごい。えっとお化粧のプロってことですよね」
「そういう事になるかな。えっと…お名前は」
「片岡春奈です」
「春奈ちゃん。私は花村と言います。周りには、はなって呼ばれることが多いかな。あっ、春奈ちゃん、お化粧きらいなの?」
ファンデーションに眉を描いたくらいの、あっさりメイクが春奈の定番だ。
「自分でやるとすごく派手になってしまって」
キャンバスに絵を描くように化粧するとどぎつくなってしまう。
「わかった。ナチュラルメイクが苦手なタイプだ」
「あ…そうかも」
「そんな綺麗な肌なのに、もったいない。…っとごめんね、つい仕事っぽくなっちゃった。実は、この旅も仕事がらみだから、あんまり仕事気分から抜けれないのよね」
「広島で、何かお仕事が?」
「そうなの。女優の鮎川ひろみっているでしょう。彼女のトークショーが広島であってね。彼女のヘアメイクを担当するの。たまたまタイミングがよかったんで、この豪華列車のチケット取っちゃった」
鮎川ひろみの名前を春奈は知らなかった。あまり芸能界に詳しくないからなのだが、でもどこかで聞いた事がある気がした。
「春奈ちゃんも、広島で何かあるの?この列車の旅が目的の人も多いだろうけど」
「あ、広島に婚約者のお兄さんがいて、会いに行くんです。広島行きが決まってから婚約者がチケットを取ってくれました」
「へえ、すごい。なかなか取れないのに。私も、苦労して口をきいてもらってやっと取れたのよ。頼もしい婚約者さんなのね」
「はい。頼りになります」
本心なので、つい、言ってしまった。のろけのように聞こえただろうか。
「婚約か…私も、してたわ、学生の頃。でも、若い頃の恋ってうまくいかないのよね。私も、メイクの仕事をものにしようって必死だったから…うまくいかなくて別れちゃった」
そうでしたか…と春奈が相槌を打ったところで、春奈が注文した紅茶がきた。
香りにはっとする。
「わあ、桃の香りがする」
「そうなの。すごくいい香りよね」
それからひとしきり、お茶やお菓子の話で弾んだ。お互い飲み物を飲み終えて少し経つと、はなが言った。
「ねえ、春奈ちゃん、よかったら、私、化粧しようか。明日の午前中、またここで会わない?綺麗になって婚約者をびっくりさせちゃおうよ」
「えっ、いいんですか?」
「豪華列車の旅も、もちろん味わっているけど、意外と時間を持て余しそうだから。それに、春奈ちゃんみたいな化粧映えしそうな子を見ると、うずうずしちゃうのよね。もちろんお金取ったりしないわよ」
春奈は、魅力的な申し出に惹かれてしまった。自分なりにメイクはするけれど、もっと綺麗になったところを藤原に見せたい。
「じゃ、じゃあお願いします…」
おずおずと言うと、はなは、にこやかに微笑んで楽しみー、と歌うように言った。明日の十時にまたこのカフェで、と約束して別れた。
列車の旅もいいけれど、こんな女子ならではの出来事にも遭遇して、春奈は嬉しかった。
客室に帰ると藤原に、うきうきして、どうした?ときかれてしまった。ガールズトークに花が咲いて、とごまかした。化粧のことは、伏せて、明日、びっくりさせようとほくそ笑む。
細いうなじを見せて、女性は自分の客室の方に歩いて行った。
春奈が客室に戻ると、藤原が目を覚ましていた。
「いないから、慌てたよ」
「ごめんなさい。さっき列車が止まったでしょう。お土産を買ってたんです。もちろん藤原さんの分もあります」
何、ときかれて塩豆大福、と言うと、藤原は、目を輝かせた。お土産にならないな、と言いながら、お互い和菓子を楽しんだ。客室にな飲み物の入った冷蔵庫もあって、カラになったら補充してもらえるそうだ。ペットボトルの緑茶を二人で飲んだ。
「昼間、こんなにのんびりするのは、久しぶりだな」
「いつも忙しいから、たまにはゆっくりしないと。藤原さんの身体が心配です」
「そんなこと言って。自分だって、根を詰めて絵を描いてたじゃないか。ふらふらになるまでやってたから心配してたんだぞ」
藤原は、心配しながらも邪魔しないよう、見守ってくれていたんだと胸の内が温かくなった。
「ありがとうございます。絵が仕上がったのは、そんな藤原さんの目に見えないサポートもあったからです。…仕事が一つ片付いてる今、すごく身体が軽いです。もやもやしてることが、何もない感じ。気持ちいい」
「そんな時は、俺だったらビールを飲むね。春奈さんが飲めないのが残念だ」
「ふふ。緑茶で酔おうと思います」
車窓の向こう側には、川が流れ、空は快晴で、清々しい。藤原と他愛のない話をしながら、時間が過ぎていく。
今まで、いつも朝の慌ただしい時間や、眠る前のちょっとした時間しか過ごせなかった。春奈が絵を描きだしてからはその時間さえ少なかった。その分を取り戻すように語り合った。
気が付けば三時になった。
「あ、私行かないと」
何故という顔をした藤原に、さっきのピンク頭の女性の話をする。藤原は、じゃあその間、本でも読んでいようと言うので、春奈は、一人客室を出た。
しばらく進むと、客室とはまた違った趣で整えられたカフェスペースが現れた。客室は重厚な高級感があるが、カフェは明るい白を基調とした、さっぱりとした空間だった。二三人の客と、窓際の席に座るピンク色の髪の毛の女性が見えた。
「すみません、遅くなりました」
後ろから声をかけると、女性が振り返って、にっこり笑った。
「さっきはありがとうございました。これ」
紙を丁寧に折りたたんでポチ袋のようにされたものを差し出される。和菓子の代金だろう。
いえそんな、と立ち去ろうとした春奈に、女性は言った。
「よかったら、お茶、ご一緒しませんか。ここの紅茶なかなか美味しいです」
「え、本当ですか」
実は密かにこのカフェでお茶したいな、と思っていたのだ。厳選されただろう茶葉に興味がある。それに、目の前の女性とも話してみたい気持ちがあった。
じゃあ、お邪魔します、と向かいの席に座る。すぐに係の人が来て、オーダーをとっていく。
女性は朗らかに言った。
「この列車の旅にはおひとりで?」
「いえ、えーと、婚約者と、です」
契約結婚の体裁をとっているだけなので、言葉を選んだ。よく考えると婚約者と言っていいのかもわからない。けれど、恋人です、というのも違う気がする。
「わあ、いいですね。私は一人旅なんです。でも、まあ自由を満喫してるけど。満喫しすぎてさっきお財布忘れちゃった」
くすくす笑う女性に、春奈も微笑んだ。
「和菓子、美味しかったですね。桜餅食べられました?」
「食べた食べた。職業柄、太れないんだけど、旅行の時はいいかなって。でも、桜餅一個で我慢して。日持ちしそうだから他のは自宅で食べようかな」
「職業柄…モデルさんとかですか」
女性が美しいので、思わずきいてしまった。女性は、まさかあと笑った。
「もっと裏方なのよ。確かにモデルさんと仕事することもあるかな。メイクアップアーティストなの」
「わ、すごい。えっとお化粧のプロってことですよね」
「そういう事になるかな。えっと…お名前は」
「片岡春奈です」
「春奈ちゃん。私は花村と言います。周りには、はなって呼ばれることが多いかな。あっ、春奈ちゃん、お化粧きらいなの?」
ファンデーションに眉を描いたくらいの、あっさりメイクが春奈の定番だ。
「自分でやるとすごく派手になってしまって」
キャンバスに絵を描くように化粧するとどぎつくなってしまう。
「わかった。ナチュラルメイクが苦手なタイプだ」
「あ…そうかも」
「そんな綺麗な肌なのに、もったいない。…っとごめんね、つい仕事っぽくなっちゃった。実は、この旅も仕事がらみだから、あんまり仕事気分から抜けれないのよね」
「広島で、何かお仕事が?」
「そうなの。女優の鮎川ひろみっているでしょう。彼女のトークショーが広島であってね。彼女のヘアメイクを担当するの。たまたまタイミングがよかったんで、この豪華列車のチケット取っちゃった」
鮎川ひろみの名前を春奈は知らなかった。あまり芸能界に詳しくないからなのだが、でもどこかで聞いた事がある気がした。
「春奈ちゃんも、広島で何かあるの?この列車の旅が目的の人も多いだろうけど」
「あ、広島に婚約者のお兄さんがいて、会いに行くんです。広島行きが決まってから婚約者がチケットを取ってくれました」
「へえ、すごい。なかなか取れないのに。私も、苦労して口をきいてもらってやっと取れたのよ。頼もしい婚約者さんなのね」
「はい。頼りになります」
本心なので、つい、言ってしまった。のろけのように聞こえただろうか。
「婚約か…私も、してたわ、学生の頃。でも、若い頃の恋ってうまくいかないのよね。私も、メイクの仕事をものにしようって必死だったから…うまくいかなくて別れちゃった」
そうでしたか…と春奈が相槌を打ったところで、春奈が注文した紅茶がきた。
香りにはっとする。
「わあ、桃の香りがする」
「そうなの。すごくいい香りよね」
それからひとしきり、お茶やお菓子の話で弾んだ。お互い飲み物を飲み終えて少し経つと、はなが言った。
「ねえ、春奈ちゃん、よかったら、私、化粧しようか。明日の午前中、またここで会わない?綺麗になって婚約者をびっくりさせちゃおうよ」
「えっ、いいんですか?」
「豪華列車の旅も、もちろん味わっているけど、意外と時間を持て余しそうだから。それに、春奈ちゃんみたいな化粧映えしそうな子を見ると、うずうずしちゃうのよね。もちろんお金取ったりしないわよ」
春奈は、魅力的な申し出に惹かれてしまった。自分なりにメイクはするけれど、もっと綺麗になったところを藤原に見せたい。
「じゃ、じゃあお願いします…」
おずおずと言うと、はなは、にこやかに微笑んで楽しみー、と歌うように言った。明日の十時にまたこのカフェで、と約束して別れた。
列車の旅もいいけれど、こんな女子ならではの出来事にも遭遇して、春奈は嬉しかった。
客室に帰ると藤原に、うきうきして、どうした?ときかれてしまった。ガールズトークに花が咲いて、とごまかした。化粧のことは、伏せて、明日、びっくりさせようとほくそ笑む。



