「あるだろう、いろいろ。ランダムにあげていけばいい」
春奈はしばし考えた。祖母が亡くなってから半年経っているので、思い出したからと言って泣き出すような時期は過ぎていた。生きていた頃の祖母のことをゆっくり、思い出してみる。
「え…えーと…そうですね。祖母は子どもの頃買ってたうさぎの話をするのが好きで、いつもうさぎの動画を見せると喜んで。私は未だにうさぎの動画を見ると、あ、おばあちゃんに、と思ってしまうんです」
「うん。いいね。他には」
「うちの書棚には、世界文学全集があるんですけど、祖母が嫁入り道具に持ってきたものだそうです。本が好きでしたね。この本を朗読してみて、なんてことも多かった」
「うん」
「祖母のベットからテレビを見れるように配置してたんで、よく通販番組を観てましたね。
何が面白いのって聞いたら、商品をすすめる人が本気でその商品がいいと思ってるか当てるのが面白いって言ってました。…ほんとだ、キリがないけど、いろいろ出てきますね」
「そうだろ。でも、心の中で反芻するより、ずっと心が軽くならない?」
「そうですね…口にすると、意外と悲しい方に引っ張られないというか」
春奈は、自分が優しい気持ちのままでいられることを知った。
「藤原さんは…猫が亡くなった時のその、猫の日は、誰かに思い出を聞いてもらったんですか」
「ああ…そうだな、ルリさんに聞いてもらってたよ。当時の兄貴がつきあっていた彼女」
「ルリさん」
「うん。よくこの家に出入りしていて、兄貴がいなくても来るんだ。うちの母とも懇意でね。母も娘がいないから、可愛がってた。俺は中学生で、猫のことでへこんでた俺に、もっと思い出せばいい、って言ってくれたのは、ルリさんだったな」
どきん、と春奈の心の中で、揺れるものがあった。
ルリさんってひょっとして。
ごくりと息を飲んだ。聞いても大丈夫だろうか。でも、予測は当たっている気がする。
「そのルリさんって、私に貸してくださった白いワンピースの持ち主ですか」
「うん?ああ、よくわかったな。そうだよ。あれは、ルリさんがうちに忘れていった服だ」
やっぱり…。
「ルリさんは、今はどうされているんですか」
「兄貴と大学生だった頃に、婚約したけど、兄貴が海外で画廊をやるって言い出して、別れたんだ。それで、さっき言ってたワンピースを返すタイミングを逃した」
「そうだったんですか…」
藤原は、ルリの服を処分したりしなかった。そこに何らかの想いがあるような気がしてならない。あのレースをふんだんに使ったワンピースが似合う女性。とても魅力的なはずだ。そんな人に「猫のことを思い切り思い出したらいい」と言われたら…
藤原にとって、特別な存在になるんじゃないのだろうか?
ルリの顔まで想像はつかないが、藤原と並んでも、きっとお似合いだっただろう。
そして、何よりも藤原がルリの名を口にするとき、甘いような、いとおしいような、そんな気配がした。
今ここにいない人のことをあれこれ考えるのはよそう。
嫉妬のような気持ちがにじみ出てきそうで、春奈は気持ちを切り替えた。そろそろ花火も終わりになりそうだ。
不意に、藤原が言った。
「そうだ。俺、確かこの庭にタイムカプセルを埋めたな」
「えっ、本当に?」
タイムカプセルとは、なんとなくわくわくする。
「うん。あそこに桃の木があるんだけど、その根元に埋めた。…掘ってみるかな」
「面白そう」
藤原はスコップを二つ、どこからか持ってきて、二人で桃の木の下を堀り始めた。
「どんな入れ物にいれたんですか?」
「確か、クッキーの缶だな」
二十分ほど、他愛のない思い出話を聞きながら、掘り続けた。果たして、土で汚れたビニール袋に包まれたクッキー缶が現れた。
「わ。何が入ってるんでしょう」
春奈が言うと、藤原が、ビニール袋を剥いでいく。缶は、あっけなく開いた。
中には、缶バッジや、カードゲームのカードや、男の子の好きそうなおもちゃ類が入っていた。手紙のようなものも入っていて、「大きくなったら」と書いてあるのだが、その先はインクが消えていて、読めなかった。
「懐かしいな。よく遊んだものばかりだ」
藤原が、顔を綻ばせるので、春奈も楽しい気持ちになった。何気なく堀った穴を見ると、気になるものがあった。思わず、しゃがみこんで春奈はスコップを手にした。
「春奈さん?どうかした」
「タイムカプセルの近くなんですけど…何か、あるみたい」
え、と藤原も春奈の傍らにしゃがみこむ。
固いものが、スコップに当たる。ビニールに包まれたものがじょじょに掘り出されていく。比較的浅いところに埋められていたそれは、厚さ三センチほどの板のようなものだった。軽くて、厳重にビニールシートを巻かれている。
「藤原さんが埋めたものですか?」
「いや、俺じゃない。…兄貴、かな」
藤原はそう言いながらビニールシートを剥がしていった。
「あっ」
はらり、とシートを足元に落とした瞬間、出てきたものを見て、小さく藤原が叫んだ。
それは、春奈もよく知るもので…絵を描かれた、キャンバスだった。
春奈は、藤原が見つめている手の中のものを覗き込んだ。
その瞬間。
春奈は、目を見開き、そのキャンバスに描かれた絵を見つめた。
口を開けて、すごい、と心の声をもらしていた。
そこには、青のグラデーションの背景に、微笑みをたたえた髪の毛の長い女の人が描かれていた。瞳は、はっきりとこちらを見ている。だが、口元は微笑んでおり、この女性が今、幸せな気持ちなのが伝わってくる。口紅の色はさりげないが、甘さを感じるピンクで女性によく似合っている。
この絵を描いた人は…この絵の女性が、好きなんだな。
それが、よくわかった。
色は緻密に重ねられていて、肌の質感も、申し分ない。油絵というのは、ただ人の美しさを描けばいいものではない。もっと混沌としたものが浮かび上がってくる。どんなに美しい人でも嘘をつくことがある。そんな人間の業や、弱さもまた、絵ににじんでいく。
女性の凛とした目は、とても利発で賢そうに見えた。しかし、威圧感はなく、彼女のやさしさや知性で、そのとがったものを隠しているような、そんな印象。
春奈は、ため息をついた。こんなに見て引き込まれる絵に会うのは、久しぶりだ。中学の頃、図書館で分厚い画集を繰り返し見ていた。あの時のような興奮を、今、春奈は感じていた。
あっ、と春奈は声をあげた。
藤原が、春奈に視線を向ける。
「藤原さん…私、今、描けそうな気がします」
藤原は面白そうな顔をして、言った。
「スイッチが入ったんだな」
「私、これからアトリエに籠ります。いいですか?」
「俺の承諾はいらないよ。好きにして、いい」
「ありがとうございます…!」
春奈は、はやる気持ちを抱えてアトリエに向った。
真っ白なキャンバスを、イーゼルに乗せる。
お腹の底が熱くなり、頭のてっぺんから何かが出ているようだ。力が漲っていて、気持ちのいいドキドキ感。視界はクリアで、どんな物でも正確に輪郭を捉えられそうだ。
いったん目をつぶり、フォトスタンドの田代をじっとみつめる。
春奈は、下書き用の鉛筆を手にした。
春奈はしばし考えた。祖母が亡くなってから半年経っているので、思い出したからと言って泣き出すような時期は過ぎていた。生きていた頃の祖母のことをゆっくり、思い出してみる。
「え…えーと…そうですね。祖母は子どもの頃買ってたうさぎの話をするのが好きで、いつもうさぎの動画を見せると喜んで。私は未だにうさぎの動画を見ると、あ、おばあちゃんに、と思ってしまうんです」
「うん。いいね。他には」
「うちの書棚には、世界文学全集があるんですけど、祖母が嫁入り道具に持ってきたものだそうです。本が好きでしたね。この本を朗読してみて、なんてことも多かった」
「うん」
「祖母のベットからテレビを見れるように配置してたんで、よく通販番組を観てましたね。
何が面白いのって聞いたら、商品をすすめる人が本気でその商品がいいと思ってるか当てるのが面白いって言ってました。…ほんとだ、キリがないけど、いろいろ出てきますね」
「そうだろ。でも、心の中で反芻するより、ずっと心が軽くならない?」
「そうですね…口にすると、意外と悲しい方に引っ張られないというか」
春奈は、自分が優しい気持ちのままでいられることを知った。
「藤原さんは…猫が亡くなった時のその、猫の日は、誰かに思い出を聞いてもらったんですか」
「ああ…そうだな、ルリさんに聞いてもらってたよ。当時の兄貴がつきあっていた彼女」
「ルリさん」
「うん。よくこの家に出入りしていて、兄貴がいなくても来るんだ。うちの母とも懇意でね。母も娘がいないから、可愛がってた。俺は中学生で、猫のことでへこんでた俺に、もっと思い出せばいい、って言ってくれたのは、ルリさんだったな」
どきん、と春奈の心の中で、揺れるものがあった。
ルリさんってひょっとして。
ごくりと息を飲んだ。聞いても大丈夫だろうか。でも、予測は当たっている気がする。
「そのルリさんって、私に貸してくださった白いワンピースの持ち主ですか」
「うん?ああ、よくわかったな。そうだよ。あれは、ルリさんがうちに忘れていった服だ」
やっぱり…。
「ルリさんは、今はどうされているんですか」
「兄貴と大学生だった頃に、婚約したけど、兄貴が海外で画廊をやるって言い出して、別れたんだ。それで、さっき言ってたワンピースを返すタイミングを逃した」
「そうだったんですか…」
藤原は、ルリの服を処分したりしなかった。そこに何らかの想いがあるような気がしてならない。あのレースをふんだんに使ったワンピースが似合う女性。とても魅力的なはずだ。そんな人に「猫のことを思い切り思い出したらいい」と言われたら…
藤原にとって、特別な存在になるんじゃないのだろうか?
ルリの顔まで想像はつかないが、藤原と並んでも、きっとお似合いだっただろう。
そして、何よりも藤原がルリの名を口にするとき、甘いような、いとおしいような、そんな気配がした。
今ここにいない人のことをあれこれ考えるのはよそう。
嫉妬のような気持ちがにじみ出てきそうで、春奈は気持ちを切り替えた。そろそろ花火も終わりになりそうだ。
不意に、藤原が言った。
「そうだ。俺、確かこの庭にタイムカプセルを埋めたな」
「えっ、本当に?」
タイムカプセルとは、なんとなくわくわくする。
「うん。あそこに桃の木があるんだけど、その根元に埋めた。…掘ってみるかな」
「面白そう」
藤原はスコップを二つ、どこからか持ってきて、二人で桃の木の下を堀り始めた。
「どんな入れ物にいれたんですか?」
「確か、クッキーの缶だな」
二十分ほど、他愛のない思い出話を聞きながら、掘り続けた。果たして、土で汚れたビニール袋に包まれたクッキー缶が現れた。
「わ。何が入ってるんでしょう」
春奈が言うと、藤原が、ビニール袋を剥いでいく。缶は、あっけなく開いた。
中には、缶バッジや、カードゲームのカードや、男の子の好きそうなおもちゃ類が入っていた。手紙のようなものも入っていて、「大きくなったら」と書いてあるのだが、その先はインクが消えていて、読めなかった。
「懐かしいな。よく遊んだものばかりだ」
藤原が、顔を綻ばせるので、春奈も楽しい気持ちになった。何気なく堀った穴を見ると、気になるものがあった。思わず、しゃがみこんで春奈はスコップを手にした。
「春奈さん?どうかした」
「タイムカプセルの近くなんですけど…何か、あるみたい」
え、と藤原も春奈の傍らにしゃがみこむ。
固いものが、スコップに当たる。ビニールに包まれたものがじょじょに掘り出されていく。比較的浅いところに埋められていたそれは、厚さ三センチほどの板のようなものだった。軽くて、厳重にビニールシートを巻かれている。
「藤原さんが埋めたものですか?」
「いや、俺じゃない。…兄貴、かな」
藤原はそう言いながらビニールシートを剥がしていった。
「あっ」
はらり、とシートを足元に落とした瞬間、出てきたものを見て、小さく藤原が叫んだ。
それは、春奈もよく知るもので…絵を描かれた、キャンバスだった。
春奈は、藤原が見つめている手の中のものを覗き込んだ。
その瞬間。
春奈は、目を見開き、そのキャンバスに描かれた絵を見つめた。
口を開けて、すごい、と心の声をもらしていた。
そこには、青のグラデーションの背景に、微笑みをたたえた髪の毛の長い女の人が描かれていた。瞳は、はっきりとこちらを見ている。だが、口元は微笑んでおり、この女性が今、幸せな気持ちなのが伝わってくる。口紅の色はさりげないが、甘さを感じるピンクで女性によく似合っている。
この絵を描いた人は…この絵の女性が、好きなんだな。
それが、よくわかった。
色は緻密に重ねられていて、肌の質感も、申し分ない。油絵というのは、ただ人の美しさを描けばいいものではない。もっと混沌としたものが浮かび上がってくる。どんなに美しい人でも嘘をつくことがある。そんな人間の業や、弱さもまた、絵ににじんでいく。
女性の凛とした目は、とても利発で賢そうに見えた。しかし、威圧感はなく、彼女のやさしさや知性で、そのとがったものを隠しているような、そんな印象。
春奈は、ため息をついた。こんなに見て引き込まれる絵に会うのは、久しぶりだ。中学の頃、図書館で分厚い画集を繰り返し見ていた。あの時のような興奮を、今、春奈は感じていた。
あっ、と春奈は声をあげた。
藤原が、春奈に視線を向ける。
「藤原さん…私、今、描けそうな気がします」
藤原は面白そうな顔をして、言った。
「スイッチが入ったんだな」
「私、これからアトリエに籠ります。いいですか?」
「俺の承諾はいらないよ。好きにして、いい」
「ありがとうございます…!」
春奈は、はやる気持ちを抱えてアトリエに向った。
真っ白なキャンバスを、イーゼルに乗せる。
お腹の底が熱くなり、頭のてっぺんから何かが出ているようだ。力が漲っていて、気持ちのいいドキドキ感。視界はクリアで、どんな物でも正確に輪郭を捉えられそうだ。
いったん目をつぶり、フォトスタンドの田代をじっとみつめる。
春奈は、下書き用の鉛筆を手にした。



