第4話
青年は、晃と名乗り、俺を駅前の焼き鳥屋に連れて行った。繁盛しているらしく、店はにぎわっていた。隅の二人席に座り、晃はビールでいいか、と言うので頷く。すぐに生の中ジョッキが運ばれてきた。
ビールを一口飲んでから、晃が言った。
「おっさん、綺麗なナリしてるから、こういう店、ダメかと思った」
「いや。俺の会社は、主に男所帯でな。こういう店に来るのは、普通だ」
「男所帯ってなんの会社」
「自転車メーカーだ。藤原サイクル。一応、代表取締役」
「藤原サイクル?あのトライアスロンとかで皆が使う?」
「そうだ」
やはり男子の方がこういう方面には聡い。春奈は全くピンとこなかったが、晃はすぐにわかったようだ。
「すげえ。大手メーカーじゃん…春奈はアタリを引いたな。でも、余計、春奈の絵のことを話しておきたくなった」
出会いがしらの、するどい目つきは、どうやら軟化したようだ。
「聞かせてくれ」
晃は、もう一口ビールを飲んでから語り始めた。
春奈は、子供の頃から絵が上手かったんだ。俺はへたくそだったから、子供心にもうらやましかった。中学くらいから、あのばあちゃんのすすめで、絵画教室に行くようになった。
そこで春奈は、ちょっとした運命の出会いをする。それがその絵画教室の主催者、佐久間さんだった。
佐久間さんは、肖像画家だった。絵描きになれなくて絵画教室をやってるタイプじゃなくて、ちゃんと商業的にも成功していた。
その人に春奈は見込まれた。肖像画の基礎から始まって、高校を卒業する頃には、もう肖像画家としてやっていける、と太鼓判を押された。
だけど、タイミングが悪かった。太鼓判を押された時には、もう春奈は、ばあちゃんの看病に追われていて、それどころじゃなかった。
俺は傍から見ていて、ものすごく惜しいと思ったね。春奈の絵は、すごいんだ。できあがった肖像画を何回も見たけど、実物のいいとこを、ぐっと引き出すような描き方をする。それもわざとらしくない。品があるやり方だ。そういうバランスというか塩梅が、素人の俺がみてもすごい、と思った。
高校の文化祭の時なんか、春奈が似顔絵を描く、っていう出し物をしたら、廊下に長い行列ができた。なんだろうな、あいつは、人の心をうまくつかむコツを知ってるんだ。普段はふわふわしてっけど、スイッチが入るとすごいんだ。似顔絵を描いてもらった子は宝物にするって、興奮してたよ。
そんなところを見ていたし、佐久間さんからの合格をもらった。俺は、もっと描いて、稼げばいい、とハッパをかけた。
でも、あいつは、ばあちゃんの看病で頭がいっぱいで、なかなかその気にはなれなかったみたいだ。あいつ、はまるとすごいけど、ふたつのことをいっぺんにできないっていうか、そういう不器用なところがあるんだよな。
俺は、自分が才能とやらに無縁だったから、羨ましさもあって、稼げるのに惜しいなあ、ってよくぼやいてた。
ばあちゃんの容体も落ち着いて…寝込んで一年くらい経った頃だったかな。
春奈が神妙な顔をして、俺に言った。
『晃、わたし、絵で稼げるかな』
俺は、ピンときた。春奈は自分からは、言わないが、きっと経済的に困ってたんだと思う。ばあちゃんちは、お花の教室をやってる、ばあちゃんが稼ぎ頭だった。ばあちゃんが寝込んだら、収入源がない。最初の一年は、貯金を切り崩してたんだろうが、それだとヤバい、と春奈も気づいたんだな。
さっきも言ったように、春奈は、はまるとすげえけど、器用じゃない。看病とバイトの二足のわらじなんて、無理っぽかった。
ばあちゃんには娘が一人いたが、海外に行っていて、音信不通。頼るところもない。春奈は、やっと俺が稼げるのに、と言っていたのを思い出したみたいだった。
『そうだよ。お前、絵をやった方がいいよ』
『どうしたら、お金になる?』
ここからは、俺の出番だった。俺は、自分で言うのもなんだが、ネット関係が得意だ。春奈の肖像画が太鼓判を押された時から、サイトにアップすればいい、と思っていた。大事なのは、見せ物件だ。俺は、春奈に人気アイドルの肖像画を一か月で描かせた。
そのアイドルのファンじゃない俺が見ても、いい出来だった。ぐっと心をつかむものがある。
知ってはいたけど、やっぱ推しってのは、すごいね。どこからともなく、春奈の絵をかぎつけて、売ってほしいと打診があった。
そこから、少しずつ、春奈の肖像画家としての、道が拓けていった。
肖像画の注文を受けて、一枚仕上げると、また次の注文がくる。悪くないペースで、春奈は仕事を積み上げていった。
描くのは、ばあちゃんの介護が一通りすんで、ばあちゃんがうとうと昼寝している時間だ。ばあちゃんがいつ起きても対応できるよう、あのばあちゃんの部屋にイーゼルを立てて、春奈は、肖像画を描いた。
ばあちゃんも、春奈が好きなことをしているのが嬉しかったみたいで、応援してくれた。ばあちゃんに絵を見せて、『上等だねえ』と言われると、春奈は、ずいぶん嬉しかったみたいだ。肖像画を依頼した相手からも、長い手紙をもらったり、絵の代金だけじゃなくプレゼントをもらったりしていた。絵をちゃんと認められて、春奈も、うっすら自信がついてきた。
絵で稼ぐことに最初はためらいがあったみたいだったけど、そういう自分を自分で受け入れられるようになったんだと思う。
春奈の肖像画が完成するまでのスピードがあがっていった。それに比例するみたいに、注文も増えていった。
順調だったんだ、ほんとに。絵を描いて、くたくたになって、ばあちゃんの部屋の隅で絵具だらけの手で丸くなって寝てる春奈を何度も見たよ。
もうその頃には、ばあちゃんの稼ぎを上回ってたんじゃないかな。
そのまま、うまくいく、と俺は思ってた。でも、冬の寒い時期に、ちょっとしたことで、ばあちゃんは風邪をひいた。そんなことは今までだってあったんだ。ただ、めぐり合わせが悪く、その冬には、大寒波がきた。例年にないような寒さだ。あの家は古いからな、エアコンを最大限つかっても、年寄りにはこたえたんだろう。肺炎になって…ばあちゃんは、亡くなった。
春奈は、随分、自分を責めたよ。自分がもっとちゃんとしてれば、肺炎になんかならなかったのに、って。春奈は仕事しながらでも、ちゃんとばあちゃんを看てた。でも、自分が許せなかったんだな。さすがに、絵を描くスピードが落ちて、なんとか一枚描き上げた後は、休みをもらった。
しばらくして、春奈もばあちゃんがいないことを受け入れられるようになって。俺は肖像画を再開するよう進めた。
確かにちょっとは貯金も貯まってたけど、これからだって春奈は自分で食っていかなくちゃいけないんだ。
肖像画をまた前みたいにやっていけば、自分の食いぶちくらいは何とかなる。家政婦のミネさんだって続けて雇っていける。
春奈も、そう割り切ったのか、ばあちゃんのいなくなったあの部屋で、また描こうとした。
ところが、だ。
青年は、晃と名乗り、俺を駅前の焼き鳥屋に連れて行った。繁盛しているらしく、店はにぎわっていた。隅の二人席に座り、晃はビールでいいか、と言うので頷く。すぐに生の中ジョッキが運ばれてきた。
ビールを一口飲んでから、晃が言った。
「おっさん、綺麗なナリしてるから、こういう店、ダメかと思った」
「いや。俺の会社は、主に男所帯でな。こういう店に来るのは、普通だ」
「男所帯ってなんの会社」
「自転車メーカーだ。藤原サイクル。一応、代表取締役」
「藤原サイクル?あのトライアスロンとかで皆が使う?」
「そうだ」
やはり男子の方がこういう方面には聡い。春奈は全くピンとこなかったが、晃はすぐにわかったようだ。
「すげえ。大手メーカーじゃん…春奈はアタリを引いたな。でも、余計、春奈の絵のことを話しておきたくなった」
出会いがしらの、するどい目つきは、どうやら軟化したようだ。
「聞かせてくれ」
晃は、もう一口ビールを飲んでから語り始めた。
春奈は、子供の頃から絵が上手かったんだ。俺はへたくそだったから、子供心にもうらやましかった。中学くらいから、あのばあちゃんのすすめで、絵画教室に行くようになった。
そこで春奈は、ちょっとした運命の出会いをする。それがその絵画教室の主催者、佐久間さんだった。
佐久間さんは、肖像画家だった。絵描きになれなくて絵画教室をやってるタイプじゃなくて、ちゃんと商業的にも成功していた。
その人に春奈は見込まれた。肖像画の基礎から始まって、高校を卒業する頃には、もう肖像画家としてやっていける、と太鼓判を押された。
だけど、タイミングが悪かった。太鼓判を押された時には、もう春奈は、ばあちゃんの看病に追われていて、それどころじゃなかった。
俺は傍から見ていて、ものすごく惜しいと思ったね。春奈の絵は、すごいんだ。できあがった肖像画を何回も見たけど、実物のいいとこを、ぐっと引き出すような描き方をする。それもわざとらしくない。品があるやり方だ。そういうバランスというか塩梅が、素人の俺がみてもすごい、と思った。
高校の文化祭の時なんか、春奈が似顔絵を描く、っていう出し物をしたら、廊下に長い行列ができた。なんだろうな、あいつは、人の心をうまくつかむコツを知ってるんだ。普段はふわふわしてっけど、スイッチが入るとすごいんだ。似顔絵を描いてもらった子は宝物にするって、興奮してたよ。
そんなところを見ていたし、佐久間さんからの合格をもらった。俺は、もっと描いて、稼げばいい、とハッパをかけた。
でも、あいつは、ばあちゃんの看病で頭がいっぱいで、なかなかその気にはなれなかったみたいだ。あいつ、はまるとすごいけど、ふたつのことをいっぺんにできないっていうか、そういう不器用なところがあるんだよな。
俺は、自分が才能とやらに無縁だったから、羨ましさもあって、稼げるのに惜しいなあ、ってよくぼやいてた。
ばあちゃんの容体も落ち着いて…寝込んで一年くらい経った頃だったかな。
春奈が神妙な顔をして、俺に言った。
『晃、わたし、絵で稼げるかな』
俺は、ピンときた。春奈は自分からは、言わないが、きっと経済的に困ってたんだと思う。ばあちゃんちは、お花の教室をやってる、ばあちゃんが稼ぎ頭だった。ばあちゃんが寝込んだら、収入源がない。最初の一年は、貯金を切り崩してたんだろうが、それだとヤバい、と春奈も気づいたんだな。
さっきも言ったように、春奈は、はまるとすげえけど、器用じゃない。看病とバイトの二足のわらじなんて、無理っぽかった。
ばあちゃんには娘が一人いたが、海外に行っていて、音信不通。頼るところもない。春奈は、やっと俺が稼げるのに、と言っていたのを思い出したみたいだった。
『そうだよ。お前、絵をやった方がいいよ』
『どうしたら、お金になる?』
ここからは、俺の出番だった。俺は、自分で言うのもなんだが、ネット関係が得意だ。春奈の肖像画が太鼓判を押された時から、サイトにアップすればいい、と思っていた。大事なのは、見せ物件だ。俺は、春奈に人気アイドルの肖像画を一か月で描かせた。
そのアイドルのファンじゃない俺が見ても、いい出来だった。ぐっと心をつかむものがある。
知ってはいたけど、やっぱ推しってのは、すごいね。どこからともなく、春奈の絵をかぎつけて、売ってほしいと打診があった。
そこから、少しずつ、春奈の肖像画家としての、道が拓けていった。
肖像画の注文を受けて、一枚仕上げると、また次の注文がくる。悪くないペースで、春奈は仕事を積み上げていった。
描くのは、ばあちゃんの介護が一通りすんで、ばあちゃんがうとうと昼寝している時間だ。ばあちゃんがいつ起きても対応できるよう、あのばあちゃんの部屋にイーゼルを立てて、春奈は、肖像画を描いた。
ばあちゃんも、春奈が好きなことをしているのが嬉しかったみたいで、応援してくれた。ばあちゃんに絵を見せて、『上等だねえ』と言われると、春奈は、ずいぶん嬉しかったみたいだ。肖像画を依頼した相手からも、長い手紙をもらったり、絵の代金だけじゃなくプレゼントをもらったりしていた。絵をちゃんと認められて、春奈も、うっすら自信がついてきた。
絵で稼ぐことに最初はためらいがあったみたいだったけど、そういう自分を自分で受け入れられるようになったんだと思う。
春奈の肖像画が完成するまでのスピードがあがっていった。それに比例するみたいに、注文も増えていった。
順調だったんだ、ほんとに。絵を描いて、くたくたになって、ばあちゃんの部屋の隅で絵具だらけの手で丸くなって寝てる春奈を何度も見たよ。
もうその頃には、ばあちゃんの稼ぎを上回ってたんじゃないかな。
そのまま、うまくいく、と俺は思ってた。でも、冬の寒い時期に、ちょっとしたことで、ばあちゃんは風邪をひいた。そんなことは今までだってあったんだ。ただ、めぐり合わせが悪く、その冬には、大寒波がきた。例年にないような寒さだ。あの家は古いからな、エアコンを最大限つかっても、年寄りにはこたえたんだろう。肺炎になって…ばあちゃんは、亡くなった。
春奈は、随分、自分を責めたよ。自分がもっとちゃんとしてれば、肺炎になんかならなかったのに、って。春奈は仕事しながらでも、ちゃんとばあちゃんを看てた。でも、自分が許せなかったんだな。さすがに、絵を描くスピードが落ちて、なんとか一枚描き上げた後は、休みをもらった。
しばらくして、春奈もばあちゃんがいないことを受け入れられるようになって。俺は肖像画を再開するよう進めた。
確かにちょっとは貯金も貯まってたけど、これからだって春奈は自分で食っていかなくちゃいけないんだ。
肖像画をまた前みたいにやっていけば、自分の食いぶちくらいは何とかなる。家政婦のミネさんだって続けて雇っていける。
春奈も、そう割り切ったのか、ばあちゃんのいなくなったあの部屋で、また描こうとした。
ところが、だ。



