二学期になってから、文化祭が終わるまでの約一ヶ月は晴大からの呼び出しはなかった。それはそれで通常通りの学校生活を送ることができるので安全ではあるけれど、単純に音楽に触れる時間が楽しみだったのもあってつまらなくもある。
「今度の遠足さぁ、どこ行くか聞いた?」
クラスメイトの誰かが休み時間に話していた。
「ううん、知らん。どこなん?」
「友ヶ島やって。班でごはん作るって」
「遠足かぁ……」
「遠足じゃなくて校外学習な?」
友ヶ島は和歌山県北部にある無人島だ。対岸の加太港から船で二十分ほどで、キャンプ場の他に砲台跡がいくつかあるだけで特に何もない。ちなみに加太にもそういう場所がいくつか残っていて、楓花は家族で一度だけ行ったことがある。
勉強から離れられるのは嬉しかったけれど、楓花はあまり友ヶ島を楽しめなかった。アニメの世界と言われるようになってから人気が出ているけれど無人島には変わりないし、ジメジメしていてよく見ると壁や天井は虫が多くて近づこうとは思えなかった。
「ギャアッ、虫っ」
近くの壁で黒い何かがサササと動き、楓花は思わず飛ぶように逃げた。隣にいた舞衣も巻き込んで、転がるように遠くへ逃げる。
「おーい、反対やぞ、キャンプ場あっち」
同じ班の丈志に呼び戻され、なるべく草地を避けながらキャンプ場へ急いだ。
天気は良いし、体調も悪くない。
それでもあまり気分が乗らないのはどうしてだろうと、料理を温める火を調整しながらじっと見ていた。ちなみに飯盒の中身は米のみで、鍋の中身はカレーだ。
「わぁ、米、焦げた」
「それが美味しいやん」
焦げた米にカレーをかけて、みんなで食べた。作るものは班によって違うけれど、ほとんどのところがカレーなのでキャンプ場はカレーの匂いがする。食べているところをパシャリと同行のカメラマンに撮られた──それは、卒業アルバムに載せるためのものだ。採用されるかは分からないけれど、使われるなら変な顔をしていなければ良いな、と思う。
片付けをして荷物もまとめ、全員そろって船に乗る。また来たい──とはあまり思わないけれど、島の全てを見たわけではないので心残りもある。
「楓花ちゃん、どうかしたん?」
舞衣も楓花がいつもと違うことには気づいていたらしい。
「ううん、何もない」
「そう? なんか、魂抜けた感じやから」
「魂……。あ──文化祭終わったからかな? ずっとピアノ弾いてたけど無くなったから」
「あー、楓花ちゃん頑張ってたもんなぁ」
音楽室が使えない日は教室で練習して、使える日は楓花はピアノ担当だった。文化祭が終わったのでそれがなくなって、音楽に触れるのは学校では授業だけに戻った。
「あとは勉強だけやなぁ……あ、三学期に合唱コンクールあるんやったっけ?」
それもまた伴奏は楓花になるのだろうか、と考えていると、視界の隅に晴大の姿が映った。彼はクラスメイトたちに囲まれて楽しそうにしているけれど、話の内容までは聞こえない。話しかけて笑っているのは男子生徒ばかりで、女子生徒は話しかけても会話が続かないらしい。晴大も特に興味がないのか、笑顔にはならない。もしかすると楓花は──。
「相変わらず人気やなぁ、渡利君」
「そうやなぁ。どんな大人になるんやろな」
楓花は佐藤から〝ピアノが弾けるのは高校でも需要がある〟と言われているけれど、音楽の道に進みたいけれど、実際はそうはならない気がしていた。人に教えるつもりはないし、ピアノ漬けの日々は苦しそうだ。
少しは普通の学校生活を楽しもうか──、と思って登校した休み明け、舞衣が体調を崩して休んでしまっていた。放送当番だったので職員室に放送室の鍵を取りに行くと、担任が教えてくれた。
「もしかしたら明日も休むかもしれんって」
楓花はクラスには他にも友人がいるので一人にはならないけれど、放送当番も一人なのか、といろいろ考えてしまう。
「長瀬さん、天野さん休みって?」
楓花を見かけて呼んだのは、佐藤だった。
「そうらしいです。友ヶ島で疲れたんかな?」
「じゃあさぁ、今日……放課後あいてる?」
「はい。……あれですか?」
晴大から長らく呼び出されなかったのは、文化祭の練習や準備で忙しかったのと、楓花が〝残る口実に困っている〟と話したので少しだけ遠慮していたらしい。
いつも一緒にいる舞衣が休みなら動きやすいだろう、と佐藤は晴大にも伝え、放課後に例の部屋で会うことになった。そのことが嬉しかったのか、楓花は一日、少しだけ機嫌が良かった。舞衣が〝魂が抜けた感じ〟と言っていたのは、晴大と会うことが減っていたからだろうか。
同級生たちに見つからないように小会議室に入ると、奥の部屋からリコーダーの音が聞こえた。音を順番に出しているようで──、少しだけ聴いてから、そっとドアを開けた。
晴大とはしばらく話さなかったけれど、遠くから見てはいた。だから久しぶりな感じはあまりしないけれど、近くで見ると少しだけ髪型が変わっていた。それ以外は以前と変わらない。
「今日はいつもより早かったな」
「……友達が休みで動きやすかったから」
「誰やったっけ? 天野さん?」
「うん」
晴大が舞衣の名前を知っているのは、丈志がときどき話しているかららしい。何の話をしているのか気になるけれど、もしも悪い話だったら嫌なので楓花は聞くのをやめた。
「長瀬さんて、放送部やったんやな」
「……うん」
「あれ、赤いやつ、おもろい帽子かぶってたな」
「見たんっ?」
「──そりゃ見るやろ、舞台に一人で立ってんやし」
照明を消して朗読を聞かせるのは、午後なのもあってほとんどの生徒が寝るだろうと思っていたし、実際に楓花が見えた範囲では大体の生徒が下を向いていた。
「ベレー帽、部員みんな反対したのに先生に押しきられて……来年も、とか言われたらどうしよ」
「良いんちゃう? 別に。……おかしくはなかったし」
それがどういう意味なのか分からなくて、楓花は返す言葉を見つけられなかった。制服と色が合っているという意味なのか、それとも楓花が似合っていたという意味なのか。晴大は特に気にしていないのか、鞄から音楽の教科書を出して習っている曲のページを開いた。
「なぁ──ちょっと違うこと聞いても良い?」
「違うこと? なに?」
「この、黒子みたいなやつとか、線で繋がってるやつとか、どういうことなん?」
晴大が言っているのは、付点と八分音符だ。
「それは……」
「……アホなこと聞いた?」
「ううん。どう教えようかなぁと思って」
音符の長さの説明は小さい子供向けにはリンゴで例えて話すことが多いけれど、晴大は子供ではない。リンゴ、と言うと怒られそうで、晴大に合いそうな違う例えを探した。
「……トラック」
体育祭で晴大が活躍していたのを思い出して、トラックを一小節とすると一周は白丸の全音符、半周は棒がついて二分音符、1/4は黒くなって四分音符、1/8には旗がつく、と教えた。
「繋がってるのは、旗ついてるやつが続くとき。あと点は、その音符の半分の長さを追加する、っていう意味」
「ふぅん……。旗ついたやつよく見るけど、短いんやな」
「今度の遠足さぁ、どこ行くか聞いた?」
クラスメイトの誰かが休み時間に話していた。
「ううん、知らん。どこなん?」
「友ヶ島やって。班でごはん作るって」
「遠足かぁ……」
「遠足じゃなくて校外学習な?」
友ヶ島は和歌山県北部にある無人島だ。対岸の加太港から船で二十分ほどで、キャンプ場の他に砲台跡がいくつかあるだけで特に何もない。ちなみに加太にもそういう場所がいくつか残っていて、楓花は家族で一度だけ行ったことがある。
勉強から離れられるのは嬉しかったけれど、楓花はあまり友ヶ島を楽しめなかった。アニメの世界と言われるようになってから人気が出ているけれど無人島には変わりないし、ジメジメしていてよく見ると壁や天井は虫が多くて近づこうとは思えなかった。
「ギャアッ、虫っ」
近くの壁で黒い何かがサササと動き、楓花は思わず飛ぶように逃げた。隣にいた舞衣も巻き込んで、転がるように遠くへ逃げる。
「おーい、反対やぞ、キャンプ場あっち」
同じ班の丈志に呼び戻され、なるべく草地を避けながらキャンプ場へ急いだ。
天気は良いし、体調も悪くない。
それでもあまり気分が乗らないのはどうしてだろうと、料理を温める火を調整しながらじっと見ていた。ちなみに飯盒の中身は米のみで、鍋の中身はカレーだ。
「わぁ、米、焦げた」
「それが美味しいやん」
焦げた米にカレーをかけて、みんなで食べた。作るものは班によって違うけれど、ほとんどのところがカレーなのでキャンプ場はカレーの匂いがする。食べているところをパシャリと同行のカメラマンに撮られた──それは、卒業アルバムに載せるためのものだ。採用されるかは分からないけれど、使われるなら変な顔をしていなければ良いな、と思う。
片付けをして荷物もまとめ、全員そろって船に乗る。また来たい──とはあまり思わないけれど、島の全てを見たわけではないので心残りもある。
「楓花ちゃん、どうかしたん?」
舞衣も楓花がいつもと違うことには気づいていたらしい。
「ううん、何もない」
「そう? なんか、魂抜けた感じやから」
「魂……。あ──文化祭終わったからかな? ずっとピアノ弾いてたけど無くなったから」
「あー、楓花ちゃん頑張ってたもんなぁ」
音楽室が使えない日は教室で練習して、使える日は楓花はピアノ担当だった。文化祭が終わったのでそれがなくなって、音楽に触れるのは学校では授業だけに戻った。
「あとは勉強だけやなぁ……あ、三学期に合唱コンクールあるんやったっけ?」
それもまた伴奏は楓花になるのだろうか、と考えていると、視界の隅に晴大の姿が映った。彼はクラスメイトたちに囲まれて楽しそうにしているけれど、話の内容までは聞こえない。話しかけて笑っているのは男子生徒ばかりで、女子生徒は話しかけても会話が続かないらしい。晴大も特に興味がないのか、笑顔にはならない。もしかすると楓花は──。
「相変わらず人気やなぁ、渡利君」
「そうやなぁ。どんな大人になるんやろな」
楓花は佐藤から〝ピアノが弾けるのは高校でも需要がある〟と言われているけれど、音楽の道に進みたいけれど、実際はそうはならない気がしていた。人に教えるつもりはないし、ピアノ漬けの日々は苦しそうだ。
少しは普通の学校生活を楽しもうか──、と思って登校した休み明け、舞衣が体調を崩して休んでしまっていた。放送当番だったので職員室に放送室の鍵を取りに行くと、担任が教えてくれた。
「もしかしたら明日も休むかもしれんって」
楓花はクラスには他にも友人がいるので一人にはならないけれど、放送当番も一人なのか、といろいろ考えてしまう。
「長瀬さん、天野さん休みって?」
楓花を見かけて呼んだのは、佐藤だった。
「そうらしいです。友ヶ島で疲れたんかな?」
「じゃあさぁ、今日……放課後あいてる?」
「はい。……あれですか?」
晴大から長らく呼び出されなかったのは、文化祭の練習や準備で忙しかったのと、楓花が〝残る口実に困っている〟と話したので少しだけ遠慮していたらしい。
いつも一緒にいる舞衣が休みなら動きやすいだろう、と佐藤は晴大にも伝え、放課後に例の部屋で会うことになった。そのことが嬉しかったのか、楓花は一日、少しだけ機嫌が良かった。舞衣が〝魂が抜けた感じ〟と言っていたのは、晴大と会うことが減っていたからだろうか。
同級生たちに見つからないように小会議室に入ると、奥の部屋からリコーダーの音が聞こえた。音を順番に出しているようで──、少しだけ聴いてから、そっとドアを開けた。
晴大とはしばらく話さなかったけれど、遠くから見てはいた。だから久しぶりな感じはあまりしないけれど、近くで見ると少しだけ髪型が変わっていた。それ以外は以前と変わらない。
「今日はいつもより早かったな」
「……友達が休みで動きやすかったから」
「誰やったっけ? 天野さん?」
「うん」
晴大が舞衣の名前を知っているのは、丈志がときどき話しているかららしい。何の話をしているのか気になるけれど、もしも悪い話だったら嫌なので楓花は聞くのをやめた。
「長瀬さんて、放送部やったんやな」
「……うん」
「あれ、赤いやつ、おもろい帽子かぶってたな」
「見たんっ?」
「──そりゃ見るやろ、舞台に一人で立ってんやし」
照明を消して朗読を聞かせるのは、午後なのもあってほとんどの生徒が寝るだろうと思っていたし、実際に楓花が見えた範囲では大体の生徒が下を向いていた。
「ベレー帽、部員みんな反対したのに先生に押しきられて……来年も、とか言われたらどうしよ」
「良いんちゃう? 別に。……おかしくはなかったし」
それがどういう意味なのか分からなくて、楓花は返す言葉を見つけられなかった。制服と色が合っているという意味なのか、それとも楓花が似合っていたという意味なのか。晴大は特に気にしていないのか、鞄から音楽の教科書を出して習っている曲のページを開いた。
「なぁ──ちょっと違うこと聞いても良い?」
「違うこと? なに?」
「この、黒子みたいなやつとか、線で繋がってるやつとか、どういうことなん?」
晴大が言っているのは、付点と八分音符だ。
「それは……」
「……アホなこと聞いた?」
「ううん。どう教えようかなぁと思って」
音符の長さの説明は小さい子供向けにはリンゴで例えて話すことが多いけれど、晴大は子供ではない。リンゴ、と言うと怒られそうで、晴大に合いそうな違う例えを探した。
「……トラック」
体育祭で晴大が活躍していたのを思い出して、トラックを一小節とすると一周は白丸の全音符、半周は棒がついて二分音符、1/4は黒くなって四分音符、1/8には旗がつく、と教えた。
「繋がってるのは、旗ついてるやつが続くとき。あと点は、その音符の半分の長さを追加する、っていう意味」
「ふぅん……。旗ついたやつよく見るけど、短いんやな」



