Pure─君を守りたかったから─

 楓花が休憩室でのんびりしていると、先輩がやってきた。彼女にはアルバイトの頃からお世話になっているので、プライベートの事情も少しだけ話している。
「お疲れさま。はい、これ。お客様からメッセージ」
「……私にですか?」
 チェックアウトした客室にスタッフが入ったとき、テーブルの上に手紙を見つけたらしい。二つ折にされた用紙には書いた人のサインと、楓花と全てのスタッフへ、という文字が書かれていた。
「英語……Emilyから?」
「We had a comfortable(快適な) stay at this hotel for a few days. The rooms, food, and staff were all excellent. We think we will have a great time the rest(残り) of our stay in Japan. If we have another chance to come to Japan, we will definitely(ぜひ) stay here again!」
 楓花はEmilyとJamesとは勤務中に何度か会い、チェックアウトするときはフロント担当ではなかったけれど、ロビーまで出て二人を見送った。Emilyとは連絡を取っていたし話もしたけれど、手紙のことは聞いていなかった。
「……で、長瀬さん、最後、どういうことぉ?」
「最後?」
 楓花が改めて手紙を見ると、楓花宛の一文が書かれていた。もちろん既に読んでいるけれど、特に何も引っかかっていない。Emilyが書いた最後の一文は、〝FUUKA, we wish you a happy marriage!〟だ。
「私が、幸せな結婚しますように、って」
「彼氏いてるとは聞いたことあるけど、結婚決まったん?」
「いえ、まだです。でも、仮にプロポーズされてるから……そのことやと思います」
「良いなぁ。どんな人なん?」
 晴大のことをパートたちは知っているけれど、先輩にはまだ話していなかった。同級生でスカイクリアの社長の息子で週末はensoleilléを手伝っていると言うと、休日か休憩が合えば一緒に行こうと誘われてしまった。
「長瀬さん、大学出たとこやから、まだ二十二とか三よなぁ?」
「はい」
「彼氏しっかりしてるなぁ。私まだその頃、何も考えてなかったわ」
「高校のときから親の仕事を継ごうと思ってたみたいで」
「同じ高校やったん?」
「いえ、中学が一緒で──」
 付き合うまでのことを簡単に話すと、先輩はますます晴大に興味を持ってしまった。もちろん、楓花から晴大を奪うような真似はしないけれど、先輩として楓花のことをお願いしたいらしい。
 楓花は仕事を終えて帰宅する前に、晴大の部屋へ寄った。晴大はまだ帰宅していなかったけれど、いつでも入って良い、と合鍵を渡されている。
 翌日も仕事なので長居はできないけれど、時間があったので楓花は夕食を用意した。楓花は家で両親が待っているので晴大には会わずに帰り、家族で夕食を食べてしばらくしてから〝美味しかった〟と晴大から連絡が来ていた。
『楓花と一緒に食べれたらなぁ』
「ふふ。近いうちにまた行くから。……もう、一緒に暮らす?」
『──そうしたいけど、あかん、まだ自信ない。いま一緒におったら、楓花のこと頼ってまう……』
「頼ってくれて良いのに」
『いや……楓花だって、まだ大変やろ。それに、前に楓花も言ってたけど、会える日を楽しみに頑張れる』
「……そっか」
『ちゃんと仕事覚えて、親父に頼らんでも良いようになったら、泣かしたる(・・・・・)から待っとけ』
「うん。分かった」
 それから楓花は晴大に〝先輩が挨拶したいらしい〟と言うと、晴大は嫌がりながらもensoleilléにいる予定の日を教えてくれた。
『楓花も頑張ってるみたいやし、負けてられへんな。……まだ先の話かもやけど、新婚旅行、どこ行きたい? アメリカ行って、あの二人に会う?』
「あ──それも良いけど」
『行きたいとこあるんか?』
 楓花は晴大との新婚旅行で行く場所を、学生の頃に既に考えていた。
「私、晴大と──エーゲ海に行きたい。ギリシャの」
『エーゲ海? あ──そうか、はは、あれが最初のデートやったもんな』
 楓花は晴大と付き合う前、大学やアルバイトの帰りに同じ電車になったことは何度かあったけれど、ちゃんとデートとして行ったのは白崎海岸(日本のエーゲ海)が最初だった。翌日に告白されてしばらく悩んで付き合うことになり、その頃から楓花は、もしも晴大と結婚するなら新婚旅行はエーゲ海に行きたい、と考えていた。
「もし厳しかったら、あそこでも良いけど」
『いや、行こ、ギリシャ。俺も行きたい』
 ギリシャへ行くなら近くの国のあそこも行こうか、と話してから電話を切り、楓花は翌日の準備をしてからEmilyに連絡した。まだ日本のどこかにいるはずなので、ゆっくり夕食中、もしくは宿で休んでいるはずだ。
──Thank you for your letter! I'm so happy! I think I can do my best again starting tomorrow. I hope you enjoy the rest of your stay in Japan. I wish you and James happiness ♥
 四人で食事をしたときにJamesが〝もしかすると来年には楓花と晴大は結婚しているかもね〟と笑っていたけれど、それは本当にまだ先の気はしていた。就職してから会える日は少なくなり、寂しいので一緒に暮らしたかったけれど。晴大が前を向いて頑張っていて、泣かせてくれる、と約束しているのでその邪魔はしたくなかった。
 楓花がEmilyに送ったメールは、翌日の午後に返信があった。東京をあちこち観光したようで、Jamesとの写真が添付されていた。楓花と晴大の写真も欲しい、というので晴大に連絡すると、久々に仕事帰りに会えることになった。金曜日の夜、楓花と晴大の休みが珍しく重なった週末の前だ。
「そんな塗り直さんでも良いやん。すっぴんでも俺は」
「私が嫌や……すっぴんで写真なんか撮りたくない」
 晴大が一人暮らししている部屋で一緒に夕食をとったあと、楓花は写真のために化粧直しをしていた。晴大はしばらくそれを眺めていたけれど、楓花に構ってもらえないのが寂しいのか少し頬を膨らませた。
 それから何枚か写真を撮って写りが良いものをEmilyに送り、スマホの画面を閉じると晴大が真面目な顔をしていた。
「どうしたん?」
「楓花……綺麗になったよな」
「えっ、なに急に?」
「最初は全く何とも思わんかったのに」
「そんなん、子供のときと比べたらさすがに」
 大人になっているし、化粧もしているし、最低限でも他人が不快にならない程度には整えているつもりだ。
「俺──、楓花に渡したいものがある」
「うん? ……なに?」
「まだ秘密。ほんまはあのとき渡したかったんやけどな……、もうちょっと待ってろ。それより、せっかく化粧直したし、どっか行く?」