楓花は晴大と付き合い始めたことを、舞衣にはすぐに報告した。ただし、彼にリコーダーを教えていたことや、そもそも当時から仲良く話していたことを除いて──。丈志には大学三年の夏休みに話したので、舞衣には楓花から、就職活動が終わってから事情を話すことになった。
「楓花? 何考えてん?」
大学三年の冬休みが終わる頃に、楓花は晴大の家に遊びに来ていた。晴大の両親とは数ヵ月前に初めて会って、そのときに晴大から家のことや将来の話を聞いた。晴大の父親は飲食店をいくつか経営していて、晴大がアルバイトしている店もその一つだった。晴大は大学卒業後、父親の会社で働くことが決まっている。
楓花は晴大の部屋の小さなローテーブルで頬杖をついていた。
「なんかさぁ……なんで私が、って思うんやけど」
「なにが?」
中学のときは──晴大は行動を起こさなかったけれど楓花を巡って悠成と対立していたし、いまも大学で晴大は同級生の桧田翔琉に敵意を向けられている。翔琉は楓花と晴大の関係を認めているけれど、晴大のことは気に入らないらしい。
「私って、そんな良いもんなん?」
「俺に聞くな。あかん、て言うわけないやろ」
晴大は楓花を横からぎゅっと抱きしめた。この姿を地元の同級生たちが見たら、もしも中学のときに見られていたら何を言われていたかわからない。
「晴大だってさぁ、最初……可愛いとは思わんかった、って言ってたやん?」
「……顔より先に、中身を見てた。俺もよく、外見とかで評価されて嫌やったし」
「でもさぁ、良く思われてたんやし、良いやん」
「何でもできるって思われて辛かったわ。できへんこと頼まれて拒否したら、そんなわけないやろ、って……」
楓花が教えていたリコーダー以外にも、裁縫が苦手だとか、絵を描くのも嫌いだとか、自分は完璧ではない、と晴大はときどき愚痴をこぼしていた。楓花は彼の言うことを素直に信じていたけれど、クラスメイトたちは誰も信じなかったらしい。
「あのときの晴大、可愛かったなぁ」
「……可愛かった? 俺が?」
「うん。あ──外見は格好良かったけど、一生懸命リコーダー練習してる姿が可愛かった。背も私とそんなに変わらんかったし。でも、再会してからは背も伸びてたし、大人っぽくなって、年上に見えてた。力も強くなってるし……」
「俺は変わらん」
楓花が晴大に〝可愛かった〟と言ってから彼は少し眉間に皺を寄せていたけれど、楓花の言葉を聞いているうちにいつの間にか、男の顔をして楓花を見つめていた。
「俺はただ──楓花が好きなだけ。あの年齢で、恋とか愛とか分からんやろ。大人ぶって付き合いたがるけど、そんな奴に限って、すぐ飽きて別れてるし。あいつらはステータス欲しかっただけやろな」
そこまで言うと晴大は、楓花を抱えながらベッドに座らせた。手を握って真剣に見つめられ、楓花も視線を逸らせなかった。
「俺はあの頃から、楓花を守りたかった。その気持ちが強くなったから、俺が年上に見えてたんやろ。それに、あの頃よりは恋愛も分かってるつもりやし」
晴大の手に力が入り、唇が触れそうな距離まで引き寄せられた。既にそんなことで驚かない関係ではあるけれど、晴大の顔がいつもより真剣で楓花はドキリとしてしまった。
「こないだは桧田に助けられたけど、楓花は俺が守る」
「……うん。ありがとう。でもあのとき翔琉君は、私じゃなくて晴大を──」
楓花が晴大とキャンパスを歩いていると、過去に晴大と付き合っていた、と復縁しようとする女子大学生に暴言を吐かれてしまった。晴大は彼女と付き合った事実はなく一度デートしただけで、楓花を悪く言う彼女に腹が立って手を上げようとした。そこへ現れて晴大の手を止めたのが翔琉だった。
翔琉は〝楓花が困っていたから〟と言っていたけれど、晴大が悪者にならないように助けてくれたのは明らかだった。
「あいつの話はすんな。……って、言い出したの俺か」
「うん」
「…………ついでに聞くけど」
「うん?」
「矢嶋──矢嶋は、楓花にどうやったん? 優しかったとか、あったん?」
「矢嶋君? どうやったかなぁ。最初は優しかったけど……告白されだしてからちょっと鬱陶しかったかなぁ」
「それ、楓花が俺のこと好きやったからよな? 俺が巻き込まれたときも……リコーダーのこと隠すために、帰れって言ってくれたんよな?」
「うん、そう」
「良かった。ほんまに部外者にされてたらどうしようかと思った」
「そんなわけないやん。私だって、晴大のこと守りたかったもん」
楓花が言うと晴大はようやく笑顔になって、こつん、とおでこをぶつけてから唇同士が触れた。楓花は両手を晴大の右手で掴まれ、晴大の左手が後頭部に優しく添えられた。楓花は晴大のことを守りたかったしこれからもそのつもりにしている、けれど──、何度も唇に晴大の温かさを感じながら、支配されても構わない、とも思ってしまう。
「楓花……あんまりそんな顔すんな」
「え?」
楓花はいつの間にか、晴大から解放されていた。
「ここ家やし階下に親おるけど──俺が男ってこと忘れんな」
言ってから晴大は少しだけ顔を赤くしていた。晴大とは何度もキスをしているしベッドで組み敷かれたこともあるけれど、まだその先の関係にはなっていない。もちろん楓花は晴大からプロポーズされた時点で、全てのことは覚悟している。
「──うん」
「ほらっ、その顔っ」
「私は良いけど……晴大になら、何されても」
楓花の言葉で晴大はまた、先ほどより照れてそっぽを向いてしまった。顔は見えなくなってしまったけれど、髪の向こうに少しだけ見えた耳がとても赤かった。
「晴大、こっち向いて」
楓花がお願いすると、晴大はしばらく頭を抱えてから、ようやく楓花のほうを向いてくれた。
「……せめて大学のうちは、俺に守らせろ。もしも、その、楓花が休学になったら、桧田に、何言われるか分からん」
楓花が晴大と付き合うと決めた日、晴大はアメリカに留学するので半年間会えない、と初めて聞かされた。楓花は悲しすぎて泣いてしまい、横から翔琉は晴大を責めていた。楓花が落ち着くまで晴大はそばにいてくれたけれど、翔琉は晴大が留学してからもしばらく怒っていた。
「楓花が思ってる以上に俺、楓花のこと好きやからな。……くっそ、中一に戻って、あのときの楓花に告白したいわ」
「……私だって」
楓花がじっと晴大を見つめていると、晴大は先ほどよりも強引に唇を重ねてきた。今度は手を掴まれなかったので、楓花は晴大の背中に腕を回した。もしも中学生のときから付き合っていたとしても、当時の自分たちがいまと同じ温もりを求めるとは思えないけれど──、伝えられずにいた想いが溢れて止まらなかった。
楓花は晴大に抱きしめられたままベッドに倒された。晴大の匂いに包まれて、楓花は自由なほうの手を晴大の腰に乗せた。
「そういえば楓花──成人式のとき、矢嶋に会った?」
「ううん。なんで? 確か晴大、高校一緒やったよなぁ?」
「三年とき同じクラスやったし、LINEも交換したんやけどな……卒業してから連絡つかんねん。送ったやつ既読はついてるけど……まぁ良いわ、今は俺だけ見とけ」
「楓花? 何考えてん?」
大学三年の冬休みが終わる頃に、楓花は晴大の家に遊びに来ていた。晴大の両親とは数ヵ月前に初めて会って、そのときに晴大から家のことや将来の話を聞いた。晴大の父親は飲食店をいくつか経営していて、晴大がアルバイトしている店もその一つだった。晴大は大学卒業後、父親の会社で働くことが決まっている。
楓花は晴大の部屋の小さなローテーブルで頬杖をついていた。
「なんかさぁ……なんで私が、って思うんやけど」
「なにが?」
中学のときは──晴大は行動を起こさなかったけれど楓花を巡って悠成と対立していたし、いまも大学で晴大は同級生の桧田翔琉に敵意を向けられている。翔琉は楓花と晴大の関係を認めているけれど、晴大のことは気に入らないらしい。
「私って、そんな良いもんなん?」
「俺に聞くな。あかん、て言うわけないやろ」
晴大は楓花を横からぎゅっと抱きしめた。この姿を地元の同級生たちが見たら、もしも中学のときに見られていたら何を言われていたかわからない。
「晴大だってさぁ、最初……可愛いとは思わんかった、って言ってたやん?」
「……顔より先に、中身を見てた。俺もよく、外見とかで評価されて嫌やったし」
「でもさぁ、良く思われてたんやし、良いやん」
「何でもできるって思われて辛かったわ。できへんこと頼まれて拒否したら、そんなわけないやろ、って……」
楓花が教えていたリコーダー以外にも、裁縫が苦手だとか、絵を描くのも嫌いだとか、自分は完璧ではない、と晴大はときどき愚痴をこぼしていた。楓花は彼の言うことを素直に信じていたけれど、クラスメイトたちは誰も信じなかったらしい。
「あのときの晴大、可愛かったなぁ」
「……可愛かった? 俺が?」
「うん。あ──外見は格好良かったけど、一生懸命リコーダー練習してる姿が可愛かった。背も私とそんなに変わらんかったし。でも、再会してからは背も伸びてたし、大人っぽくなって、年上に見えてた。力も強くなってるし……」
「俺は変わらん」
楓花が晴大に〝可愛かった〟と言ってから彼は少し眉間に皺を寄せていたけれど、楓花の言葉を聞いているうちにいつの間にか、男の顔をして楓花を見つめていた。
「俺はただ──楓花が好きなだけ。あの年齢で、恋とか愛とか分からんやろ。大人ぶって付き合いたがるけど、そんな奴に限って、すぐ飽きて別れてるし。あいつらはステータス欲しかっただけやろな」
そこまで言うと晴大は、楓花を抱えながらベッドに座らせた。手を握って真剣に見つめられ、楓花も視線を逸らせなかった。
「俺はあの頃から、楓花を守りたかった。その気持ちが強くなったから、俺が年上に見えてたんやろ。それに、あの頃よりは恋愛も分かってるつもりやし」
晴大の手に力が入り、唇が触れそうな距離まで引き寄せられた。既にそんなことで驚かない関係ではあるけれど、晴大の顔がいつもより真剣で楓花はドキリとしてしまった。
「こないだは桧田に助けられたけど、楓花は俺が守る」
「……うん。ありがとう。でもあのとき翔琉君は、私じゃなくて晴大を──」
楓花が晴大とキャンパスを歩いていると、過去に晴大と付き合っていた、と復縁しようとする女子大学生に暴言を吐かれてしまった。晴大は彼女と付き合った事実はなく一度デートしただけで、楓花を悪く言う彼女に腹が立って手を上げようとした。そこへ現れて晴大の手を止めたのが翔琉だった。
翔琉は〝楓花が困っていたから〟と言っていたけれど、晴大が悪者にならないように助けてくれたのは明らかだった。
「あいつの話はすんな。……って、言い出したの俺か」
「うん」
「…………ついでに聞くけど」
「うん?」
「矢嶋──矢嶋は、楓花にどうやったん? 優しかったとか、あったん?」
「矢嶋君? どうやったかなぁ。最初は優しかったけど……告白されだしてからちょっと鬱陶しかったかなぁ」
「それ、楓花が俺のこと好きやったからよな? 俺が巻き込まれたときも……リコーダーのこと隠すために、帰れって言ってくれたんよな?」
「うん、そう」
「良かった。ほんまに部外者にされてたらどうしようかと思った」
「そんなわけないやん。私だって、晴大のこと守りたかったもん」
楓花が言うと晴大はようやく笑顔になって、こつん、とおでこをぶつけてから唇同士が触れた。楓花は両手を晴大の右手で掴まれ、晴大の左手が後頭部に優しく添えられた。楓花は晴大のことを守りたかったしこれからもそのつもりにしている、けれど──、何度も唇に晴大の温かさを感じながら、支配されても構わない、とも思ってしまう。
「楓花……あんまりそんな顔すんな」
「え?」
楓花はいつの間にか、晴大から解放されていた。
「ここ家やし階下に親おるけど──俺が男ってこと忘れんな」
言ってから晴大は少しだけ顔を赤くしていた。晴大とは何度もキスをしているしベッドで組み敷かれたこともあるけれど、まだその先の関係にはなっていない。もちろん楓花は晴大からプロポーズされた時点で、全てのことは覚悟している。
「──うん」
「ほらっ、その顔っ」
「私は良いけど……晴大になら、何されても」
楓花の言葉で晴大はまた、先ほどより照れてそっぽを向いてしまった。顔は見えなくなってしまったけれど、髪の向こうに少しだけ見えた耳がとても赤かった。
「晴大、こっち向いて」
楓花がお願いすると、晴大はしばらく頭を抱えてから、ようやく楓花のほうを向いてくれた。
「……せめて大学のうちは、俺に守らせろ。もしも、その、楓花が休学になったら、桧田に、何言われるか分からん」
楓花が晴大と付き合うと決めた日、晴大はアメリカに留学するので半年間会えない、と初めて聞かされた。楓花は悲しすぎて泣いてしまい、横から翔琉は晴大を責めていた。楓花が落ち着くまで晴大はそばにいてくれたけれど、翔琉は晴大が留学してからもしばらく怒っていた。
「楓花が思ってる以上に俺、楓花のこと好きやからな。……くっそ、中一に戻って、あのときの楓花に告白したいわ」
「……私だって」
楓花がじっと晴大を見つめていると、晴大は先ほどよりも強引に唇を重ねてきた。今度は手を掴まれなかったので、楓花は晴大の背中に腕を回した。もしも中学生のときから付き合っていたとしても、当時の自分たちがいまと同じ温もりを求めるとは思えないけれど──、伝えられずにいた想いが溢れて止まらなかった。
楓花は晴大に抱きしめられたままベッドに倒された。晴大の匂いに包まれて、楓花は自由なほうの手を晴大の腰に乗せた。
「そういえば楓花──成人式のとき、矢嶋に会った?」
「ううん。なんで? 確か晴大、高校一緒やったよなぁ?」
「三年とき同じクラスやったし、LINEも交換したんやけどな……卒業してから連絡つかんねん。送ったやつ既読はついてるけど……まぁ良いわ、今は俺だけ見とけ」



