Pure─君を守りたかったから─

【晴大】

 三月は嫌いだ。
 寒いのか暖かいのか分からない日が続くし、年度末で気分もなんとなく落ち着かない。今までは来年度からのスケジュールも予想しやすかったけれど、中学卒業から高校入学では関わる人間も多く変わるので、いろんな意味で前が見えなかった。
 もともと短い三学期は、卒業学年は特にあっという間だった。在校生は三月下旬まで登校するけれど、卒業式は三月上旬にある。桜はまだまだ咲いていないし、風もまだ冷たい。
「おーっす、あれ、今日は早いな? なんか……いつもより暗い?」
「──そうか?」
 卒業式の朝は珍しく早めに登校し、クラスメイトたちがやってくるのをじっと眺めていた。いつもならチャイムが鳴る十分ほど前から流れている──放送部の誰かがスイッチを入れている──音楽はこの日は無く、在校生もほとんど来ていないので静かな朝だった。
 いつもより長めのホームルームのあと、クラス順に体育館に入った。校長やPTA会長やその他何かの代表たちからの挨拶のあと、担任たちが卒業生の名前を呼び、卒業生が返事するのをじっと聞いていた。三百人ほどの全員が校長から卒業証書を受け取るのは時間がかかるので、クラスの代表だけが受け取った。
「三年○組──△△名──代表、渡利晴大」
「──はい」
 晴大は登壇し、校長から卒業証書を受け取った。運動が好きなのでこれまでは体育委員が多かったけれど、最後の最後で学級委員に推薦されてしまった。たいした用事はなかったけれど委員会で楓花に会うことはなく、面倒なことが増えただけで楽しいことはほとんどなかった。ただ、こうして卒業証書を受け取れたことはほんの少しだけ誇りに思えた。
 卒業証書を受け取って振り返ると、顔を上げている卒業生たちの中に楓花を見つけた。けれど晴大が立ち止まるわけにはいかなかったし、楓花も顔は上げたまま視線を反らしてしまった。席に戻って着席したあと隣のクラスの呼名が始まり、やがて楓花が呼ばれたけれど、代表は楓花ではなかった。
 教室に戻ったあと、改めて担任から一人ずつ卒業証書を受け取った。クラス全員から担任に内緒で用意していたお礼の品を渡すと、普段は厳しかった担任が珍しく泣いていた。
「私立高校に専願だった人もいますが、公立高校の受験が残ってる人も多いです。不安な人は、教室を用意しときますので勉強しに来てください」
「いつ来ても良いん?」
「学校が開いてる時間にね。受験の日は、駅に何人か行きます」
 それから教室に忘れ物がないか最後の確認をして、グラウンドに出た。グラウンドまでの道順では登校していた在校生たちが花道を作ってくれていた。花道を抜けたあとは帰っても良いけれど、ほとんどの卒業生は写真を撮っていた。
「おーい、渡利、こっち来ーい」
「──ああ」
 同じクラスだった生徒、同じクラブだった生徒、撮り終わるとまた次のグループと、晴大はじっとしている暇はなかった。丈志や佳雄に連れられて、いろんなメンバーで何枚も写真を撮った。
 別れを惜しむ同級生たちの中に、晴大はようやく楓花と舞衣を見つけたけれど──。
「渡利くーん、第二ボタンちょーだい」
「え……何おまえ?」
 隣で可愛らしい仕草をしているのは、女子生徒ではなく丈志だった。
「誰にあげるん? 誰も貰いに来てないやん?」
「……誰にもやらん」
「ええー。良いやん、最後やしさぁ、教えろよ」
 ふざける丈志の相手をしているうちに、楓花の姿を見失ってしまった。
 私立高校に進学の場合は全く違う制服になるけれど、公立高校の場合は一部の学校を除いて中学のものをそのまま着られた。ボタンを変えるだけで良いので、第二ボタンを持っておく必要はなかった。だから楓花にあげたかったけれど、そんなチャンスは来ないまま晴大は中学を去った。

 数日後の公立高校受験の日は、私立高校のときのように同じ高校を受けるメンバーで一緒に電車に乗った。
「おまえ良いよなぁ、公立落ちても私立良いとこやし」
 そんな話をしてきたのは、晴大とは違う私立高校を滑り止めで受けた悠成だ。悠成は卒業式の日に楓花に四回目の告白をして、またフラれてしまったらしい。
「ふん。公立のほうが良いわ」
「矢嶋君さぁ、また長瀬さんにフラれてたよなぁ?」
「……それ言わんといて。諦められへんなる」
「あかん、重症や、この人」
 悠成に話しかけた女子生徒たちは、楓花の何が良かったのだろうか、としばらく話していた。
「長瀬さん私立やし、会うこと無くなるやん? おまえやったらすぐ彼女できるんちゃうん?」
「そう言う渡利はさぁ、正直どうなん?」
「別に。まぁ……もし見かけたら喋るやろうけど」
 楓花に会えなくなって寂しい気持ちは悠成と同じだった。他の誰にも話さなかったことを楓花は知っている分、悠成よりもきっとショックは大きい。
 受験は無事に終了し、約一週間後、晴大と悠成は一緒に合格発表を見に行った。結果、二人とも合格だった。
「おまえ──抜け駆けすんなよ」
「抜け駆け?」
「俺の知らんとこで、長瀬さんに告白すんなよ。彼女作るの俺が先やからな」
「……会わんし、無理やろ。しかも、おまえが先とか意味分からんし」
「長瀬さん女子校やから、男と縁ないやん? 久々に会ったら気変わってるかもしれんし」
「それはまぁ、そうやな」
 卒業してもまだ、高校に入学してもしばらく悠成は楓花を諦めていなかったけれど、晴大がクラスメイトから告白されるより先に悠成には彼女ができていた。楓花のことはすっきり諦められたようで、その彼女と別れた後にも楓花のことは口に出さなくなった。
 やがて晴大も、楓花を諦めようと女子生徒からの告白に応え、その勇気の分を返していくけれど──。
 その対応が悪いように解釈されてしまい、噂は他校の同級生たちにも流れて晴大の人気は一気に落ちていった。


【楓花】

 晴大が学級委員なのは以前から知っていた。だから卒業証書を受け取るのも彼だろう、となんとなく思っていた。卒業証書を受け取る代表たちを見ていると、やはり晴大が代表になっていた。三年間でいちばん格好良く見えた──けれど、視線は反らしてしまった。
 楓花は私立高校に進学が決まっているし、晴大はおそらく公立高校に決まる。通学距離が違うので電車で会うことはないだろうし、会ったとしても人混みでは分からないかもしれない。
「楓花ちゃん、写真撮ろ!」
 舞衣たちとたくさん撮ったあと、今度はクラブの顧問に声をかけられた。
「もう君らに放送してもらわれへんね。寂しいわぁ。長瀬さん、高校でも放送部入る?」
「どうやろう……進学校の特進コースで授業が他のコースより多いから、クラブ入る子は少ないみたいで」
「ふぅん……。いつでも遊びに来てね」
「うん。先生も元気で……後輩たちにもよろしく」
 話をしている間に、視界の隅に晴大の姿を見つけていたけれど。
 写真を撮りに行く勇気はなかったし、来られることもなかった。