「体育祭といえば秋のイメージやったけどなぁ」
温暖化のせいで夏の練習が厳しくなったため、夏休み前に体育祭をする学校が増えた。楓花たちの学校も六月に開催するようで既に競技やダンスの練習を始めていて、先日の放送部会ではマイクセットやアナウンスの担当を話し合って決めた。顧問より副顧問のほうが機械に詳しそうで、物の保管場所や繋ぎ方を簡単に教えてくれた。
「楓花ちゃんは何に出るん?」
全員参加の競技の他に、各種リレーの中から一つだけ出ないといけなかった。
「何しよう? 長距離とか嫌やしなぁ……。障害物も、ハードル嫌いやし……」
「ハードル嫌やけどさぁ、袋に入ってぴょんぴょんするやつ楽しそうじゃない?」
「あー、あれはやってみたいかも」
それでも走ることには変わりないので、運動が得意ではない楓花は短距離が良いなと考えているけれど、決して瞬発力があるわけではない。
「体育祭? 何出るか決めたん?」
昼休みに教室で話していると、隣で聞いていた丈志が割り込んできた。
「ううん、まだ。波野君は?」
「俺なぁ……百メートルかなぁ……。そういえばあいつ〝クラス対抗出る〟とか言ってたな」
「……誰が?」
「ん? 渡利。知らん? めっちゃ足速いねん。決めたんか聞いて来よ」
丈志は言いながら立ち上がり、教室から出てどこかへ行ってしまった。
「誰やろ? 友達かな?」
午後からの授業の予鈴が鳴ってから戻ってきた丈志は、『やっぱ出るって言ってたわ』と友人のことを少し話していた。渡利晴大は明るく振る舞うタイプではないけれど、運動神経が良いことで幼稚園の頃から人気だったらしい。楓花も舞衣もまだ会ったことはないけれど名前だけはときどき聞くようになって、授業にやってきた彼のクラスの担任も晴大のことを噂していた。
そんなに噂されるなら見てみたい、と気になっていた頃、楓花は廊下で誰かが晴大を呼ぶのを聞いた。声のほうを見るとそこにいたのは同級生男子と、中学生にしてはいろんな意味で出来上がっている少年──晴大だった。
「で? どんなんやったん?」
昼休みの放送当番になっていた日、楓花は弁当を食べ終えて放送の電源も落としてから、舞衣に〝晴大を見た〟と話した。
「格好良かった?」
「うん。格好良いというか、何やろ……綺麗というか、アイドルみたいな感じ」
「へぇ。私も見てみたいなぁ」
「舞衣ちゃん好きそうな感じ」
「もし渡利君見かけたら教えて!」
教室に戻ってからも舞衣が晴大の話をしていたせいか、渡利晴大は運動神経が良いイケメン、という噂はすぐに広まった。違う小学校だった生徒はもちろん、彼を以前から知っていた生徒まで晴大に注目するようになって、〝彼と同じクラス〟だとか〝彼と仲良く話す〟だとかは、女子生徒たちにとって一種のステータスのようになった。
「体育館の横で男子たちバスケしてるって! たぶん渡利君いてるし、見に行こ!」
晴大はスポーツの中でもバスケットボールが得意だったようで、昼休みはよく体を動かしていた。それを見に来る女子生徒が増えてギャラリーは賑やかだったけれど晴大は特に気にせず、表情も特に変えずに何度もシュートを決めていた。彼は帰宅部だったけれど、先輩に誘われてバスケ部に入ったらしい。
「そんで体育祭で、部活対抗リレーも出るらしいわ。俺にはそんな体力ないわ」
「へぇ。すごいなぁ。勉強はどうなん?」
「頭良かったはずやで。小学校とき〝中学は私立行くんか?〟とか言われてたし」
そんなどこから見ても優秀な晴大を、女子生徒たちが放っておくはずがなかった。少しでも近くを通ると──特に違うクラスの生徒は──キャーキャー騒いでいたし、なぜか女子バスケ部の人数も増えた。
「舞衣ちゃん、渡利君とは何か話せたん?」
「ううん? なんで?」
「え、だって、見る度に〝格好良い!〟って騒いでるし、好きなんかなぁと思って」
「格好良いけど……今は見てるだけで良いかな」
中学生が恋人をつくる──早くはないけれど、舞衣にはまだそこまでの考えはないらしい。
「それにさぁ、渡利君のこと狙ってる女子多そうやし、もし付き合っても苛められそうやん?」
一つしかないものを他人に取られてしまった、悔しい、あいつムカつく、こらしめてやる──。
楓花はそんな考え方をしたことはないけれど、世間にはそういう人がいることを知った。負けたなら悔しさをバネに頑張れば良いのに、勝った人を称賛しても良いのに、と思うけれど、ゼロではない〝悪い思考の人たち〟が怖くて晴大に近づこうと思えないのは舞衣と同じだ。
「渡利君の彼女になる人って、美人なんやろなぁ」
「そうやろなぁ。もうおったりして?」
「いや、あいつ女っ気ないで」
晴大の話をしているときに口を挟んでくるのは、いつも丈志だ。
「そうなん?」
「俺、小学校ときからずっと一緒やけど、女の話なんかしたことないし。勉強とか、たまにゲームの話とか。あとあいつ、話しかけにくいやろ? 俺は慣れたけど」
晴大の格好良さは楓花も認めているけれど、女子生徒たちに騒がれても嬉しそうにせず何をしてもあまり表情を変えないことが、〝俺に近づくな〟というメッセージにも見えた。小さい頃から慣れていた人たち以外は、たとえ用事があったとしてもなかなか話しかけられなかったらしい。
「渡利と話したいん? なんやったら呼んだるで」
「えっ、良い良い、そんなんじゃないから」
楓花と舞衣が慌てて手を横に振ると、丈志は笑いながら『じゃあ俺はあいつと話して来よう』と言って席を立った。それを見ていたほかの女子生徒たちが〝私たちは渡利君と話をしたい〟と言って、丈志に着いて一緒に晴大のクラスへ行ってしまった。
「いま告白とかしたら絶対目立つよなぁ」
「ほんまやわ……」
「楓花ちゃんは? 今はあれやけど──もしいまの人気落ち着いたら、告白する?」
「え? ないない。なんか、格好良すぎて見てるだけで十分やわ。別に好きでもないし……疲れそう」
「じゃあ、私、狙ってみようかなぁ」
「えっ、告白するん?」
「今は考えてないけど、高校になったら気変わってるかもしれんやん? 彼氏つくるのも高校からかなぁ、って気もするし」
その頃にはさすがに嫌がらせをする人は減っているだろう、と舞衣は未来を想像するけれど、新聞やテレビのニュースから高校生のイジメはまだまだ無くならない。些細なことがきっかけで事件になるし、そもそも三年後、自分たちがどこの高校に通っているかもわからない。
「私は〝私立に行け〟って言われてるしなぁ」
楓花の父親は厳しいので、試験の成績が悪いといつも怒られた。楓花が住んでいる地域は柄がそれほど良くないので、校風が乱れやすい公立高校よりも規律の厳しい私立高校に行け、といまから言われている。楓花が晴大と同じ高校に通う可能性は、今のところ非常に低い。通える範囲の私立高校は、ほとんどが女子校か男子校だ。
温暖化のせいで夏の練習が厳しくなったため、夏休み前に体育祭をする学校が増えた。楓花たちの学校も六月に開催するようで既に競技やダンスの練習を始めていて、先日の放送部会ではマイクセットやアナウンスの担当を話し合って決めた。顧問より副顧問のほうが機械に詳しそうで、物の保管場所や繋ぎ方を簡単に教えてくれた。
「楓花ちゃんは何に出るん?」
全員参加の競技の他に、各種リレーの中から一つだけ出ないといけなかった。
「何しよう? 長距離とか嫌やしなぁ……。障害物も、ハードル嫌いやし……」
「ハードル嫌やけどさぁ、袋に入ってぴょんぴょんするやつ楽しそうじゃない?」
「あー、あれはやってみたいかも」
それでも走ることには変わりないので、運動が得意ではない楓花は短距離が良いなと考えているけれど、決して瞬発力があるわけではない。
「体育祭? 何出るか決めたん?」
昼休みに教室で話していると、隣で聞いていた丈志が割り込んできた。
「ううん、まだ。波野君は?」
「俺なぁ……百メートルかなぁ……。そういえばあいつ〝クラス対抗出る〟とか言ってたな」
「……誰が?」
「ん? 渡利。知らん? めっちゃ足速いねん。決めたんか聞いて来よ」
丈志は言いながら立ち上がり、教室から出てどこかへ行ってしまった。
「誰やろ? 友達かな?」
午後からの授業の予鈴が鳴ってから戻ってきた丈志は、『やっぱ出るって言ってたわ』と友人のことを少し話していた。渡利晴大は明るく振る舞うタイプではないけれど、運動神経が良いことで幼稚園の頃から人気だったらしい。楓花も舞衣もまだ会ったことはないけれど名前だけはときどき聞くようになって、授業にやってきた彼のクラスの担任も晴大のことを噂していた。
そんなに噂されるなら見てみたい、と気になっていた頃、楓花は廊下で誰かが晴大を呼ぶのを聞いた。声のほうを見るとそこにいたのは同級生男子と、中学生にしてはいろんな意味で出来上がっている少年──晴大だった。
「で? どんなんやったん?」
昼休みの放送当番になっていた日、楓花は弁当を食べ終えて放送の電源も落としてから、舞衣に〝晴大を見た〟と話した。
「格好良かった?」
「うん。格好良いというか、何やろ……綺麗というか、アイドルみたいな感じ」
「へぇ。私も見てみたいなぁ」
「舞衣ちゃん好きそうな感じ」
「もし渡利君見かけたら教えて!」
教室に戻ってからも舞衣が晴大の話をしていたせいか、渡利晴大は運動神経が良いイケメン、という噂はすぐに広まった。違う小学校だった生徒はもちろん、彼を以前から知っていた生徒まで晴大に注目するようになって、〝彼と同じクラス〟だとか〝彼と仲良く話す〟だとかは、女子生徒たちにとって一種のステータスのようになった。
「体育館の横で男子たちバスケしてるって! たぶん渡利君いてるし、見に行こ!」
晴大はスポーツの中でもバスケットボールが得意だったようで、昼休みはよく体を動かしていた。それを見に来る女子生徒が増えてギャラリーは賑やかだったけれど晴大は特に気にせず、表情も特に変えずに何度もシュートを決めていた。彼は帰宅部だったけれど、先輩に誘われてバスケ部に入ったらしい。
「そんで体育祭で、部活対抗リレーも出るらしいわ。俺にはそんな体力ないわ」
「へぇ。すごいなぁ。勉強はどうなん?」
「頭良かったはずやで。小学校とき〝中学は私立行くんか?〟とか言われてたし」
そんなどこから見ても優秀な晴大を、女子生徒たちが放っておくはずがなかった。少しでも近くを通ると──特に違うクラスの生徒は──キャーキャー騒いでいたし、なぜか女子バスケ部の人数も増えた。
「舞衣ちゃん、渡利君とは何か話せたん?」
「ううん? なんで?」
「え、だって、見る度に〝格好良い!〟って騒いでるし、好きなんかなぁと思って」
「格好良いけど……今は見てるだけで良いかな」
中学生が恋人をつくる──早くはないけれど、舞衣にはまだそこまでの考えはないらしい。
「それにさぁ、渡利君のこと狙ってる女子多そうやし、もし付き合っても苛められそうやん?」
一つしかないものを他人に取られてしまった、悔しい、あいつムカつく、こらしめてやる──。
楓花はそんな考え方をしたことはないけれど、世間にはそういう人がいることを知った。負けたなら悔しさをバネに頑張れば良いのに、勝った人を称賛しても良いのに、と思うけれど、ゼロではない〝悪い思考の人たち〟が怖くて晴大に近づこうと思えないのは舞衣と同じだ。
「渡利君の彼女になる人って、美人なんやろなぁ」
「そうやろなぁ。もうおったりして?」
「いや、あいつ女っ気ないで」
晴大の話をしているときに口を挟んでくるのは、いつも丈志だ。
「そうなん?」
「俺、小学校ときからずっと一緒やけど、女の話なんかしたことないし。勉強とか、たまにゲームの話とか。あとあいつ、話しかけにくいやろ? 俺は慣れたけど」
晴大の格好良さは楓花も認めているけれど、女子生徒たちに騒がれても嬉しそうにせず何をしてもあまり表情を変えないことが、〝俺に近づくな〟というメッセージにも見えた。小さい頃から慣れていた人たち以外は、たとえ用事があったとしてもなかなか話しかけられなかったらしい。
「渡利と話したいん? なんやったら呼んだるで」
「えっ、良い良い、そんなんじゃないから」
楓花と舞衣が慌てて手を横に振ると、丈志は笑いながら『じゃあ俺はあいつと話して来よう』と言って席を立った。それを見ていたほかの女子生徒たちが〝私たちは渡利君と話をしたい〟と言って、丈志に着いて一緒に晴大のクラスへ行ってしまった。
「いま告白とかしたら絶対目立つよなぁ」
「ほんまやわ……」
「楓花ちゃんは? 今はあれやけど──もしいまの人気落ち着いたら、告白する?」
「え? ないない。なんか、格好良すぎて見てるだけで十分やわ。別に好きでもないし……疲れそう」
「じゃあ、私、狙ってみようかなぁ」
「えっ、告白するん?」
「今は考えてないけど、高校になったら気変わってるかもしれんやん? 彼氏つくるのも高校からかなぁ、って気もするし」
その頃にはさすがに嫌がらせをする人は減っているだろう、と舞衣は未来を想像するけれど、新聞やテレビのニュースから高校生のイジメはまだまだ無くならない。些細なことがきっかけで事件になるし、そもそも三年後、自分たちがどこの高校に通っているかもわからない。
「私は〝私立に行け〟って言われてるしなぁ」
楓花の父親は厳しいので、試験の成績が悪いといつも怒られた。楓花が住んでいる地域は柄がそれほど良くないので、校風が乱れやすい公立高校よりも規律の厳しい私立高校に行け、といまから言われている。楓花が晴大と同じ高校に通う可能性は、今のところ非常に低い。通える範囲の私立高校は、ほとんどが女子校か男子校だ。



